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丁寧であること

今日はミキを作りました。

先日のミキ教室で習ったことをなるべく詳しく思い出しながら、お米を研ぎ、お粥を焚き、サツマイモをすりました。

薫子先生に教わったお米の研ぎ方は今まで私がしてきたのとはまるで違うものでした。赤ちゃんの沐浴の様に、ざるに入れたお米をボールの水に浸し、両手でハート型にすくい、ゆっくり拝むように左右の手をすり合わせてお米を研いでいきます。急いでいるときはそんな悠長に研いでられないなぁなんて思って聞いていましたが、こうやって研いだお米はとっても美味しく炊けます。それに、この研ぎ方を経験してしまうと、お米に感謝して敬意をもつということをおろそかにしてお米を食すということがありえなくなってしまいました。

サツマイモをするおろし器を新調しました。セラミック製のものは細かくおろせると聞いたからです。それまで使っていたものは穴が開いている金属製のもので、力を入れれば早くおろせるものでした。今度のはくるくる円を描くようにすりおろすと細かく滑らかにすりおろすことができます。夕飯の時におろした長芋と大根もふんわりなめらか、いつもと違いました。

夕飯のあと、息子と古典音読をしました。前回の伊勢物語を復習して、今日は予告通りに土佐日記を。冗談を交えながら冒頭文を簡単に説明し、一音一音切って一緒に読みました。
中学や高校で古文を習ったとき、音読など全然せずに文法や単語の意味ばかり気にして、書かれている日本語を感じることがありませんでした。「まず読んでみる」という基礎工程をしていたら、どんな仕上がりになっていたのだろうか。

何かに急ぎすぎて本質を忘れてしまう。忘れるどころか気づきもしない。ちょっとした手間なのに。

今頃「丁寧モード」の大切さがわかってきました。ご飯の支度をしているとき、自分が何を持っているのか、包丁を入れる瞬間を大切にしているか。火を入れることを意識しているか。そういうことを知っているのは昔の人なのかもしれません。

「丁寧に」作ったミキは、発酵が始まったようで瓶の上部まで盛り上がってきました。夜のうちに溢れちゃうかな。ちゃんと話しかけて寝ることにします。


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