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ささやかな「手中の鳥」を使って「許容可能な損失」の範囲内での行動を繰り返す。事業家 垣内健祐さんのエフェクチュエーション

35歳の時に、大手銀行からたこ八の副社長へ。新店舗展開や、従業員の育成を続け、インバウンドの波にも乗り、右肩上がりだった店舗の売り上げが、コロナ禍で激減。厳しい状況の中、新たな販売手法を次々に実践される垣内健祐さん。エフェクチュエーションをどのように活用されているのか、お話を伺いました。

「手中の鳥」を使い「許容可能な損失の範囲内」の行動を、いかに繰り返すか

____エフェクチュエーションを実践されるときに、重視されていることはありますか?

自分のささやかな「手中の鳥」を使って「許容可能な損失」の範囲内で行動する。やっぱりそれが、絶対的な基本。僕の中ではね、そう思っています。さらにそれを小さく小さく、何回も何回も繰り返す。一気に行こうと欲張る必要はないんです。

手中の鳥と許容可能な損失の範囲内での行動を、いかに行ったり来たりするのか。行動することによって、何かが起きて、経験が増えるでしょ。つまりその都度、自分の手中の鳥が増えるんです。その増えた手中の鳥を使って、また、行動を繰り返す。

それを続けるうちに「レモネードの原則」や「クレイジーキルト」がやってくるんですね。

____手中の鳥を使って、そんなに繰り返し行動されるんですね。

そうですね。「自分の手中の鳥があって、許容可能な損失の中で行動して、レモンができて、レモネードを作って、クレイジーキルトができて、それを全体的にパイロットが見張っている」これがエフェクチュエーションの一連の流れですけど、僕はそんなに簡単には行かないと思っています。

エフェクチュエーションを実践しているのに「レモネードができない」「クレイジーキルトができない」という話を聞くこともありますが、それは単純に行動が少ないんじゃないかと思うんです。行動が少ないから、そういう場に出会うチャンスを掴めていない。

僕は、手中の鳥からの行動を、すごく頻繁に繰り返しています。その中で、小さなレモンとかレモネードはできるのですが、そういったものは、見逃さずにすぐに処理してしまいます。

繰り返しの中でできた、大きなレモネードとか、クレイジーキルトを周囲の人に報告したりするんですね。Facebookとかで。でも、そこに至るまでには、相当な手数を打っています。

そういう意味ではレモネードやクレイジーキルトは、上級編だと考えています。

いろんな考え方があると思いますが、僕のエフェクチュエーションはそんな感じですね。

エフェクチュエーション実践サロンで開催された、たこ焼きパーティー。パーティーの詳細はこちらのnoteに。


「エフェクチュエーション」の下に、小さなたくさんの「コーゼーション」

____一般的に会社の事業といえば「コーゼーション」というイメージがあります。垣内さんはコーゼーションは使われていますか?

エフェクチュエーションを回していく上で、常に小さいコーゼーションがセットでぶら下がってる感覚を持っています。手中の鳥から行動するでしょ。それはエフェクチュエーションなんですけど、行動するときに「ささやかな計画」って絶対必要じゃないですか。

手中の鳥から行動するサイクルを回している中に、小さなコーゼーションがいくつもいくつもぶら下がってる……そんな感じですね。

____エフェクチュエーションの下に、小さなコーゼーションなんですね。

そうそう。例えば前回のインタビュー記事は島田さんが谷口さんに「インタビュー記事を書きたいです」と相談されて、谷口さんへのインタビューが決まりましたよね。これは手中の鳥で行動した、エフェクチュエーションの結果です。

インタビュー記事を書くことが決まったら「インタビュー記事の目的はこうしましょう」「noteで公開しましょう」「この日時にインタビューをしましょう」とか決めるでしょ。これが、コーゼーションですよね。

____なるほど。確かに、コーゼーションですね。

まず、島田さんの手中の鳥である、谷口さんに相談する。インタビューが実現する。次に、谷口さんから僕が紹介されて、僕とのインタビューが実現する。その次は、僕が島田さんの手中の鳥になるんです。インタビュー中にも、島田さんにはいろんな発見があるわけですよね。それも手中の鳥になります。こうやって、どんどん手中の鳥が増えていく間に、ある日突然、ぽんっと抜ける瞬間が来るんです。

作りすぎた冷凍たこ焼きを「レモネード」に

____手中の鳥って、思った以上に増えていくんですね。そしてその結果、レモネードができる瞬間がくると。

今年の夏、大阪の某ホテルの朝食ビュッフェメニューに、たこ八のたこ焼きが採用されました。これが実は、レモネードの原則で実現できたことなんです。

____どんなレモンから始まったんでしょうか。

冷凍食品のたこ焼きを作りすぎたんです(笑)手違いで大量にできてしまって。たこ八の市販用の冷凍たこ焼きは、通常1袋6個入りで販売しているんですが、このまま市販用として売ると、売れ残ってしまう可能性が高いと判断しました。

そこで「大袋に入れて、業務用として売ってみよう」と決めたんです。もちろんこの時点では、業務用たこ焼きの売り先は決まっていません。「売り先は、もうあとで探したらええわ」という感じで、先に商品を作りました。

こういう感じで、自分の許容可能な損失の範囲内で、まず作ってしまうんですよ。作ってから、いろいろと考えてみる。商品があると、絶対売らないといけなくなる。「絶対売らないといけない商品」という手中の鳥がある中で、行動するようになるんですよね。

その結果、クレイジーキルトを得て、ご縁をつないでいただき、ホテルの朝食に採用していただきました。そしてホテルの朝食に採用いただいたことが、手中の鳥になって、さらにいろんなことが動き出すんですよ。こういうことを絶え間なくやっています。

たこ八の冷凍たこ焼き。通常は6個入りで1袋で販売。

____売り先がないけれど「業務用の冷凍たこ焼き」という商品を作られたんですね。

「ホテルと取引するには、どうしたらいいか」からスタートするのが、コーゼーションです。これだと「商品を作ってホテルと取引できなかったら、この商品どうするんですか?」と考えてしまって、先に商品を作れなくなるんです。取引先を見つけて、必要な数量を計算して、たこ焼きを作ることになってしまう。

こうなると、どうしても時間がかかってしまって、今の時代は商売ができないんですよ。だから、できてしまった商品を、どうにかして売る。なんとかして売り込んでいくんです。もちろんその時に、営業の力は必要になりますけど。

銀行員から、たこ八副社長へ

____エフェクチュエーションを学ばれた関西学院大学大学院に入学されたのは、どういったきっかけだったのでしょうか?

娘が関西学院大学に入学したんですよ。娘と生協で一緒にランチでも食べようかなと思って(笑)

____え!「これを学ぶぞ」とかではなかったんですか。

もちろん、もちろん、それはありますよ。
当時、インバウンドの恩恵もあって、たこ八がすごく順調だったんです。それで、「ゴルフに行って、たこ焼きを焼く」を繰り返す生活になって。

安定した生活ですし、それはそれでよかったんですが、こう、リセットしたくなってしまって。かっこよくいうとアンラーン(Unlearn)したくなった、というか。

もともと僕は、銀行員からたこ八の副社長になったんです。三菱東京UFJ銀行の福岡支社に転勤が決まって、いわゆる花形営業マンだった35歳の時に、義父から「たこ八を手伝ってほしい」と言われました。

福岡支社に着任した初日に、支店長に「退職します」と言うことになって。当然、会社としては「あなた、何を言ってるんですか?」となりますよね。「最後1年は、めいっぱいやりますんで」と話をして、なんとか了承してもらったんです。

その1年間は、本当に大変でした。平日は福岡の銀行で働いて、金曜の夜の飛行機で大阪に行って、土曜はたこ八で働く、日曜はゴルフをする、日曜の夜の飛行機へ福岡に戻る。それを1年間繰り返しました。

12月30日に銀行を退職して、1月2日からたこ八で本格的に働き始めました。この時は、たこ焼きがうまく焼けなかったんです。僕は副社長として働き始めましたから、日中は会社で管理業務をするんですね。新店舗の出店準備をしたり、従業員からの相談を受けたり、採用活動をしたり。

でもね、たこ焼きがうまく焼けないと、従業員からは信頼してもらえない訳ですよ。だから、夕方まで会社で管理業務をして、夜中まで営業している店舗に行っては、たこ焼きを焼く練習をしました。

たこ八に入って、5、6年くらいは、平日夕方まで会社で働く、そのあと夜中まではたこ焼きを焼く、出前に行く、そういう生活を繰り返しました。もちろん新店舗の出店があれば、出張に行きますし、デザインを決めたり、図面を引いたりもしていました。

たこ八の副社長に就任後、昼は管理業務、夜はたこ焼きを焼く日々を送られた垣内さん。


____すごくハードな生活だったんですね。

正直、毎日ヘロヘロになりながら働いていましたね。

そういう時期を経て、インバウンドの恩恵も受けて売り上げが順調になって、従業員も真面目に働いてくれる人ばかりになって。そしたら僕はゴルフ場に行ってボールを打つか、たこ焼きを焼くか、だけの生活になってしまって。

何かインプットしたい、リセットしたいと思っていた時に、ちょうど娘が関西学院大学に入学したので「お父さんと一緒に大学の生協でランチしようや」と娘に言いながら、大学院に入りました。

____ちなみに、娘さんは歓迎してくださったんですか?

いえもう、全然(笑)生協でのランチはまだ実現してないんですよ。もう娘も大学を卒業するのに。

____それは残念ですね。

ただ、大学院でのエフェクチュエーションの授業中に作った、たこ八のキッチンカーで関西学院大学に行ったんです。その時に、娘が友達とたこ焼きを買いに来てくれて、一緒にたこ焼きを食べることができました。

____キッチンカーは、論文に書かれてたものですよね。

そうそう、谷口さんと一緒に書いたKindle本に書いています。

エフェクチュエーションの授業中に作られた、キッチンカー。出店までのエフェクチュアルな経緯はケーススタディとしてKindle本に収載されています。(撮影:吉川慎太郎)


エフェクチュエーションとの出会い

エフェクチュエーションの授業もね、受けようと思って受けた訳じゃないんですよ。大学院に入った時は、僕らにエフェクチュエーションを教えてくださった吉田先生が産休中だったんです。2年になった時に吉田先生が戻ってこらたんですが、その時に「かわいくて、きれいな先生だよね」と仲間内で話題になって。それで「単位は足りているけど、受けようか」という感じで受けたんです。

____予想外の動機です!エフェクチュエーションを知った時、どのように思われましたか。

率直にいうと「これ、普段やってるやつやん」と思いました。普段自分がやっていることが、理論になっている。熟達した起業家の実践理論として発見されたんだなと。すごくわかりやすかったですし、頭の中が整理されました。

もともと迷ったり、悩んだりすることは少ないのですが、エフェクチュエーションを知ってからは、行動することに一切迷いがなくなりましたね。

若い人が自分の欲求やイメージ、思いを素直に出せるように、力になりたい

____どんな人に、エフェクチュエーションを活用してほしいと思いますか?

そうですね。内省をしがちで、考え続けてなかなか行動できない人には、ぜひ活用してほしいと思います。

あとは、やっぱり若い人。社会人経験のない学生の方が、意外と「どうするべきなんだろうか」とか「あるべき論」から入ってしまうんですよね。僕も若い時はそうでしたから。そこから入るのではなく、もう少し自分の欲求とかイメージとか思いとかを素直に出せるようになってほしい。その力になりたいと思っています。

____なるほど。それで、学生の就職活動を支援する内定塾を作られたんですね。

そうですね。就職活動において自分がどう考えて、どう行動するのか。そこに、エフェクチュエーションを活かしていけるんじゃないかな、と思っています。就職活動は、挫折を感じることも多いと思うんです。「なんであんないい子が決まらへんの」というのが、結構ありますから。

自分の娘にも言っていましたが、就職活動のいちばんのポイントは、自分の洗い出しだと思うんです。自分が「何者なのか」がわかっていれば、就職活動は絶対に決まる。「就職したい会社に、自分を合わせる」「この業界は、こう言った方が面接が通りやすい」というテクニックに走るのは良くないと思うんですね。自分の娘には「それは絶対にあかん」と「あなたには、すごくいいところがあるから、それをちゃんとアピールできたら、絶対大丈夫や」とひたすら言い続けました。

内定塾は谷口さんにWebサイトを作ってもらいました。今年は就職活動が終わってしまったので、また来年にできたらいいなと思っています。

関西学院大学 大学院学位記授与式にて。(撮影:吉川慎太郎)


____お話を聞いて、私もしっかりエフェクチュエーションを学びたいと思いました。

本を読んだり、動画をみたりして勉強するのも大事なんですが、どうしても「わかったつもり」になってしまう。勉強したら、自分で手を動かして、実践して体感することが重要だと考えています。エフェクチュエーションを学んだら、ぜひ行動してみてほしいんです。そんなに大きなことでなくて、いいんです。

ささやかなエフェクチュエーションを、涼やかに、たくさん回してください。

校正:市川律子
デザイン:谷口貴子


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