最終目標は人生のゴールであるべき
人生の最終目標は?と聞かれたら、きっと多くの方はこれからも生きていくことを前提とした目標を想像するでしょう。
「何かを成し遂げたい」「老後にお金に困らないよう資産を増やしたい」「FIRE(早期リタイア)して悠々自適に過ごしたい」こういうことを考える人は少なくないと思います。
私の考えはタイトルに書いた通り、最終目標は人生のゴールであるべきと思っています。人生のゴール、つまり「死」です。
「人生の最終目標が死ぬこと」なんて悲しすぎる…と思うかもしれませんが、これはかなり平和的な考え方だと思うのです。
とはいえあまり共感されない考え方だと思うので、私がそう思う理由を述べたいと思います。
最終目標を達成した後のこと
なぜ、人生の最終目標が「何かを成し遂げたい」「理想の生活を手に入れたい」ではだめなのかというと、最終目標を達成してもまた目標ができるだけだと思うからです。
皆さんはマズローの欲求階層説をご存知でしょうか?
5つの欲求は階層構造にあり、生理的欲求や安全欲求など低次の欲求が満たされると、一段階上の欲求が高まり、その欲求を満たすための行動を起こすようになるといわれています。
実際、自分が最終目標を達成した後のことを想像してみてください。
私だったらとたんに何か物足りなくなっているような気がしますし、すぐにまた別の目標を立てているんじゃないかとさえ思います。
実際FIREした人の話を聞くと、「何もしていないのもつまらないし、これ以上自分のために頑張る必要もないので、また誰かのために働きたくなる」ということを言っていたりします。
私はFIREにはほど遠い生活を送っていますが、そんな私でも「そうなるのは当たり前だろう」と想像できてしてしまうのです。
人生は、小さな目標を立てて成し遂げて(あるいは諦めて)また目標を立てて…の繰り返しです。たとえ富や名声を手に入れられたとしても、生きている間は常に欲望があり満たされることはないと考えるのが自然ではないでしょうか。
あの世へは何も持って行けない
人生のゴールは突然やってきます。それがいつなのかは誰にもわかりません。もし志半ばで最期を迎えることになったら…それはきっと悔いが残ってしまうだろうなと思います。
それに、いくら資産を残したとしてもあの世にまでは持っていけません。豪邸を建てたとしても死んだら住むことはできません。
人生をかけて地位を築いたとしても、人々の記憶には残り続けるかもしれませんが自分は何も持たずに最期を迎えるのです。
ならば、自分がこれからも生きていくことを前提とした最終目標を作らない方がいいのではないかと思うのです。
死を前向きに捉える唯一の方法
私はなにか困難なことがあっても「たいしたことはないな。死ぬようなことはないのだから」と、何事もあまり思い悩まずに気楽に生きています(過去は真逆の思考をしていましたが180度変わりました)。
そんな私の唯一の恐怖が「死」なのです。
自分の人生のタイムリミットが近づいてくる恐怖やそれに伴う苦痛、それがいつやってくるのか、どんなに辛いのか、想像ができないからこそ不安なのです。それも自分だけではなく、家族や友人、自分にとって大切な人も同じようにいつか失ってしまう。その恐怖を乗り越えるにはどうすればいいのか、ずっと長い間考えてきました。
そしてたどり着いたのが「人生のゴールを最終目標にする」という考え方です。目標という言葉はポジティブな言霊を持っているので、目標という言葉を使うことで前向きな気持ちになれたらいいと考えました。
いつかみな死ぬのなら恐怖に震えて待つより、死を前にしてとうとう目標を達成しそうだと捉えた方が面白いと思ったんです。
自分の何もかもを手放してゴールに辿り着くことを想像してみてください。
なんだか体が軽くなるような気がしませんか?
この考え方はかなりしっくりきていて、「死」という受け入れ難い恐怖を前向きに転換できる唯一の方法なんじゃないかと思っています。