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[不登校]息子の背中を見送って泣いた日/⑦不登校から別居・離婚そして教育移住までの記録

突然の不登校、突然の別居でシングルマザーになった親子が辿り着いた「市民立小中一貫校」への教育移住。その4年間の記録をマガジンにまとめています。

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コロナ禍の一斉休校を経て、再び学校に登校し始めた息子でしたが、通い始めて数日で、息子は朝1人では家を出れなくなりました。

何とか朝、少しでもすっきりした気持ちになってくれたらと、早起きしてサイクリングをしてみたりと、私もめいっぱい試行錯誤を重ねていました。

それでも

「あそこの横断歩道まででいいから」
「正門まできてくれたらいくから」

とついてきてほしい場所がどんどん学校に近づきます。

そしてついには「昇降口まで送って」となりました。

登校時間より少し遅れて、昇降口まで見送ると、先生が迎えてくれました。

しょんぼりしながら学校に来た息子を勇気づけようとしてくれたのか、次から次に言葉がとんできます。

「よくきたね!」「みんな待ってるよ!」

「つらくっても、きちゃえばがんばれちゃうんだもんね!君はすごいんだから!」

息子の顔はひきつっていきます。私もひどい作り笑顔だっただろうな。

「息子はなぜつらいのか、何がしんどいのか」「どんな思いで今学校までやっと来たのか」という根本には全く触れることはない。

目の前の息子の顔はどんどん引きつっていき、その場でぐるりと方向転換して帰ろうという動きをしました。

そんな息子のに対して、「大丈夫大丈夫!いけるいける!教室に行っちゃえば大丈夫なんだから、行こう」とさらに励ましの言葉。

何か大切なことを見過ごしていないか?
無理にそのテンションに持っていって教室につれていくことに、なんの意味があるんだろうか?
その方法が有効な子もいるかもしれない。
でも、目の前の息子の表情をみたら、逆効果なことは明らかじゃないか。

そんな思いが私の中に充満していくのに、「やっぱり今日は休ませます」と、その一言を言って連れて帰ることができなかった私。

息子が無言で私を見つめ、私の腕を持ってゆらしました。助けて、と伝えるかのように。

それでも私は、何も言うことができませんでした。

先生に連れられて、上履きを履き替えて、ランドセルが落ちるんじゃないかと思うほどに肩を落とした息子の背中を、見送ることしかできませんでした。

学校から帰りながら泣きました。

息子のSOSを受け止めてあげられないのは私だ。

もういいよ、もうこんなのいいよ。こんな思い息子にもうさせたくない。私もしたくない。

そう思いながら、1人家に帰ったのでした。

⑧に続く


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