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[昼逃げ当日]精神的な支えになったもの/⑭不登校から別居・離婚そして教育移住までの記録

突然の不登校、突然の別居でシングルマザーになった親子が辿り着いた「市民立小中一貫校」への教育移住。その4年間の記録をマガジンにまとめています。

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元夫からのモラハラや経済DV、精神虐待から逃れるために昼逃げ同然の別居をすることになった私と息子たち。不登校中のこのような別居で、学校はどうなるのか、当時のことを振り返っていきます。今回は昼逃げ当日のお話。


いよいよ昼逃げ当日

家を出ることを決め水面下で準備を進めた10日あまり。いよいよ決行の日が来ました。

相談先でのアドバイスでは、夫の不在時に家を出ること。それはそうですよね。
でも私は、なんとなく直感的に、元夫の場合それはかえって良くない方向にはたらく気がしました。私が思うベストは、これから家をでます、いままでありがとうと、一言伝えて家を出ること。

危険ではないかとも言われましたが、私はそうすることにしました。

案の定、追ってくることはなく、鳴り止まない電話は続きましたが、それは想定内。これでよかったと思っています。

そこから電車を乗り継ぎ、私と息子たちは、無事に移動先へと行きつきました。生まれ育って、慣れ親しんだ町を出る瞬間。移動中に電車のホームで感じたこと、今でもとてもリアルに思い出します。

別居を決めてから当日までの期間、苦しくて、逃げ出したくて、やっぱり別居なんんてしない方がいいんじゃないかと何度も思いました。食事も喉を通らず、眠れない日々。

私の幸せを願って応援してくれる人たちの顔が浮かんでは、絶対そっちにいくんだ、と何度何度も思い直しました。
私の精神的な支えになったのは、周囲のサポートももちろんありましたが、最終的には「私自身」でした。

自分を支えるのは自分自身

私は、自分の仕事のスキルアップのために、この2年前くらいからコーチングセミナーに数年間継続的に参加していました。

それは、感性ラボの感性Artメソッドコーチングというものです。

仕事のスキルアップのためとはいえ、自分のあり方と根本から向き合っていくこともたくさんできる感性ラボ。変化の局面をむかえた時の再創造マインドも体感から学ぶことができ、それは実際に私の再創造を大きくサポートしてくれました。

息子の不登校問題でも、学んだことが大きく役立っていましたが、別居を決行したその日、家から離れていくその瞬間。一歩を踏み出せたのは、再創造マインドを知っていたからこそ。

幸せな自分になるその感覚と、そこに向かうプロセスを、セミナーでのアートワークで何度となく体感していたからでした。

実際に行動するのは、自分でしかありません。間違ってない、いくぞ。と体を動かすこと。マインドがついてこないと体は動きません。

私は別居に向けたこの期間に、何度も「本当の幸せを掴むんだ」と力強く自分を鼓舞していました。行き先の幸せのあの感覚に向かって、絶対に行くんだと。

感性ラボとの出会いがなければ、不登校の息子と向き合い、シングルマザーになって教育移住もした、そんな今の私はありません。

無事の避難は通過点

無事に家を出ることができてほっとした反面、これは応急処置にすぎなくて、やらなければいけないことは山積みでした。

今度は、避難先で、警察署、市役所、学校関連の相談や手続き。児童相談所が避難先に訪問に来ることもありました。

そして夫からの鳴り止まない連絡。今まで直接聞いてきた言葉を、今度はメールなど文字で見ることになりました。そのひとつひとつが心に刺さっていき、苦しくもなりました。

離婚を進めるために弁護士相談、出てきた家は持ち家だったので、売却の手続き。

落ち着かない日々が続きましたが、それでも恐怖に怯える日々からは解放されてホッとしていました。

離婚が成立するまでのことなど、ここからも色々なことがありましたが、それはこの記録では書きません。

この先は「避難別居という状況でありながら教育選択をするというレアケース」にフォーカスを当てて書いていきます。

⑮につづく。


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