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[不登校]学校との面談で感じたこと/⑤不登校から別居・離婚そして教育移住までの記録

突然の不登校、突然の別居でシングルマザーになった親子が辿り着いた「市民立小中一貫校」への教育移住。その4年間の記録をマガジンにまとめています。

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学校に伝えたいことを事前に整理

2020年。年度末から年度はじめはコロナ禍一斉休校期間中。その後の分散登校は、およそ2週間続きました。

6月の半ばには毎日の登校がはじまります。前年度の3学期から不登校状態がはじ
まり長男は、家ですごす生活の中でみるみるうちに元気を取り戻していました。

また学校に行き始めたら息子はあっという間にしおれてしまう気がする。本当はもう学校に戻らせたくない。でも、ホームスクールや他の選択肢を知らなかった当時は、そんなことはタブーだと思っていました。

前年度の状態、今の状態。休校期間中に年度を跨ぎ、去年の状態を直接知っているのは学校カウンセラーの先生だけです。学校に戻る前に、一度しっかり先生と話そう。

当時の面談で私が伝えたかったことは、「学校の常識とか、年齢や学年、こうあるべき、という視点を外して、目の前の息子の今に寄り添った対応をお願いしたい」ということ。

そして、

・息子の現状(小2後半からの学校での様子や家でのこと)
・こちらが想像できない感覚の中で息子は生きているようだということ
・教室に長時間いるのは難しいだろうこと(カウンセリング室との行き来を自由にさせてほしい)
・家に電話してほしいと息子が言ったらそうしてほしい

などなど。伝えたいことを書き出し、面談に備えたのでした。

(当時のメモを見返しながらこれを書いていますが、私、本当にがんばっていたなあと思います。こんな要望、学校は困りますよね〜。そもそも学校の通常学級ではここまでの個別対応はシステム的に難しいですよね。)

いよいよ面談当日

私、元夫、担任、学校カウンセラー、教頭先生の5人での面談となりました。

この中で、昨年度の息子を知っているのは学校カウンセラーの先生だけ。

学校でどの程度息子について引き継ぎされているかわからなかったので、昨年の様子からじっくり伝えさせてもらいました。

先生方は、話をよく聞いてくれました。でも、「理解」してくれているのかは、正直手応えを感じなかったのが面談の印象。

丁寧に話は聞いてくれたし、寄り添ってくれた気がしたし、お互いに約束も決めて、面談は和やかに終了したのですが、私はなんだか違和感が残っていました。

約束したことは下記。

・教室を出るときは「〇〇に行ってきます」と一声かけたら出ていい
・息子が家への電話を望んだらすぐに私(母親)に連絡をする

です。

今考えると、こんなに大切な約束を決めるのに、そこに通う本人が不在って不思議すぎる。

帰宅後息子に、面談で話したことや決めた約束を伝え、「何かあったら電話をしてくれるし、そしたらお迎えだってすぐにいくからね」と伝えると、

「それなら行ってみようかなあ」と、息子は登校に少し前向きな様子になったのでした。

面談時に感じた違和感に後から気づく

私は、起きたこと、起きていることを脳内で処理して、そのことに対して自分がどう感じているかがわかるまでに時間がかかるタイプです。

何か違和感を感じる、というセンサーはすごく敏感なのに、その中身がなんなのか、言語化できるまでにすごく時間がかかってしまうので、その場ですぐに、もやもやの正体を伝えてやりとりするのが難しいです。

面談もまさにそうでした。

帰宅してゆっくり整理。するとちょっと言語化できてきました。

こちらが伝えたことに対して、「そういうことってよくあるよね」「これまでもこういう子がいたけど、学校にちゃんとこれるようになったから」「息子君もいまだけよ、大丈夫」と、それまでの先生方の経験や他の児童の話に置き換えられてしまうこと。

これって結局、一番大切にしてほしかった、「息子の今に寄り添った対応をしてほしい」ということが、全く伝わっていない、ということ。

それでもこの当時の私は、「学校に行かせなきゃ」という価値観から抜け出せずにいたので、「ひとまずは息子も前向きになったし、学校も最低限の約束はしてくれたし」と、自分を言い聞かせ考えすぎないことにして、とにかく登校するんだ、ということに決めたのでした。

でもこの決断、やっぱり違ったんだんと、早々に気づくことになります。


⑥に続く


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