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着信音がこわい
「ちょっと来てくれ」
こんな一文だけのメールが父親から来る。
なにか大変なことでも起こっているのかと仕事中も気が気で無い。
心落ち着けて実家に駆けつけると、
「来た来た」と父はニヤニヤした。
そしてそこから始まる、
愚痴、泣き言、不平不満、依存
あれやってくれ、これやってくれ、もっとやってくれ、もっともっと。
しんどいな・・・・
***
「えらいことになっちゃった」
こんな電話が父親から入る。
あわてて駆けつけると、
パソコンの矢印が動かない (マウスのスイッチがoff)
メールのやり方がわからない (と、メールがくる)
携帯が電話ができなくなった (と、携帯電話してくる)
何を食べたらいいかわからん(医者からパンと麺類を控えるように言われた)
母さんが何を着たらいいのかわからないと言っとるぞ(ちゃんと着替えてる)
で?????
こんな呼び出しが何度も繰り返されている。
だんだん疲弊していくわたし。
お前は元気でやっているのかい?
などと聞かれることは、無い。
***
次第に、スマホや自宅の電話の着信音が鳴る度に
わたしはビクビくするようになってしまった。
着信音がこわい。
そして昨年末、自宅電話のプラグを抜いた。
***
お父さんさみしいんだよ〜相手してあげれば?
いろんな人にそう言われて来ました。
ぜひ皿回しの芸を想像してほしいのです。
長い棒の先にお皿を乗せてクルクル回す、あれです。
一つ成功したら落とせない。
そしてどんどん渡される。
二つ目のお皿
三つ目のお皿。。。
さみしさの相手をするということは、
「このお皿を回して私たちを楽しませ続けて!」
「落とすなよ!!ずっとずっと!!死ぬまでずっと!!」
に付合うことのように思います。
ずっとです、ずーっと。
瞬間芸でお辞儀をして、拍手喝采。
ジャジャーンはい終わり!
ではありません。
必要なのは、
「わたしにはその芸は無理ゲー」と断って
早めに棒とお皿を置いて、
立ち去る勇気。
周囲から親不孝者!!と罵られてもです。
その人は事情を知らない、ただの傍観者なのです。
このように、
「無理です」と親に断ることは悪いことではないのだと
わたしは気づくのに約50年かかりました。(汗)
世間の人が、親御さんに向かって
気軽に「無理〜」と言っているのを聞いたとき
わたしは本当に驚いた!!
親に言われたことはすべてやらなくてはいけない。
親に「無理」と言ってはいけないと、思い込んでいたのです。
これがわかるようになって
最近だんだん着信音にも耐性ができてきました。
先日、自宅電話のプラグも戻せたよ。
***
起こっているその問題は、だれの問題なのでしょう?
娘だからといって
親の不安をすべて解消しなければいけないなんて決まり、
無いんです。
できないと断ってもいいんですよ!
断ることで、もしかしたらその人のなにか素敵な可能性が
広がることもあるかもしれないしね。
あの人は大丈夫。
心配ではなく、信頼する。
着信音の恐怖が教えてくれた、教訓でした。