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今更自己紹介

せっかく最近note書いてるので、できるだけコンスタントにと思っています。

何を書こうかと悩むのも面倒くさい(笑)
自己紹介してなかったことに気づいたので、改めて自己紹介記事にします。
ちなみに気づいたらかなり長文になったので、気になる目次から読むか、時間があるときに読むべきです。
しかも、そんな面白いことは書いていませんw

1.自己紹介

このnote自体は、実は私が会社を立ち上げる頃に始めました。
その後、メインはX(旧Twitter)でつぶやきつつ、すっかりnoteは書いていなくて・・・
しかし、書くことは割と好きです。延々とかけますw

改めて、自己紹介を。
荒牧順子と申します。
株式会社ドアーズの代表取締役をしています。
また佐賀県医療的ケア児支援センターのセンター長と、医療専門職で立ち上げたダブルケア支援団体 DC NETWORKの副代表をしています。
その他、佐賀県看護連盟の4支部長として看護連盟の活動をしています。

生まれも育ちも、佐賀県佐賀市です。
現在は主に看護職とか、医療的ケア児等コーディネーターとして活動していますが、看護師を目指したのは遅くて、社会人経験後に大学に入学して看護師・保健師になりました。
看護師を目指す前は、臨床検査技師として血液検査などの仕事をしていました。
今は医療的ケアや重い障がいや病気のあるお子さんとそのご家族をお手伝いする仕事をしていますが、自分も子育てを経験し、地域の子育て全般を今後も支えていけたらなぁと思っています。

2.基本ポジティブ

自分で自分の性格って伝えづらい気もしますが、、
基本、ポジティブです!

これ、元々の性格ではないんです。
昔はネガティブで傷つきやすくて、落ち込みまくっていました。
でも、『それ、なんの得にもならなくない?』って気づいたので、今は毎日そりゃ落ち込むこといっぱいありますけど、
『じゃあ、どうすればいいかな?』→『あー、こうしてみよ!』と、
トライアンドエラーで前向きに切り替えてます。

3.半端ない行動力?

そして、人からよく言われるのが
『行動力半端ない!』

多分、行動力は人並外れてると自分でも思います(笑)
自然と行動しているだけなんですがね。
例えば、目の前に課題が転がっていたとする。
皆さんはどうします?

そりゃ、その課題をどうしたら改善できるか?
しかも、『根本的に解決するにはどうしたらいいかな?』って考えますよね?
そして次の瞬間には、行動起こすよね。
え?!しない??笑

まあ、でも思ったことは声に出さないと、行動しないと、思っただけでは変わらないので、やるだけです。
基本的に正しいと思ったことを正しく行動すれば、それはちゃんと結果としてついてくると感じます。
『ああすればよかった・・・』とか後悔するのは嫌なので、そう考えるぐらいならすぐ行動!です。

なので、子育てしながら大学に入学して看護師になったりしたわけです。
ちなみに出身は地元佐賀大学の医学部看護学科です。

4.社会人入学で、首席卒業を目指してみた

こんなことあまり人に言ったことはないですが、実は大学に入学するときに、自分に一つ目標を課しました。
それは、【子育てしながら、首席で大学を卒業すること】でした。

『そんなん無理でしょ?!』って思いますよね(笑)。だって入学したとき子どもは2歳なりたて。魔の2歳児ですよ。
そして看護師になるための大学って実習が多いんですよね。不安はないことはなかったですが、そんな目標を人知れず持ちながら、入学し4年間目標もって何とか乗り切りました。
卒業できて、資格取れただけでハッピーです。よくがんばりました。

無事に看護師と保健師の国家試験の受験が終わり、自己採点で合格は安堵。
大学の卒業式の2週間前頃に、その連絡はやってきました。

大学の学生センターから電話があり、
『卒業式(正しくは、学位授与式)で学長に答辞を読んで頂くことに決まりましたので、答辞を書く紙を取りに来てください』
と、突然しかもめちゃくちゃ一方的な連絡が入りました。

しかも私、なんと断りました(笑)
なんというか、「え、私でいいのかな?」って思ったんですよね。
だって、卒業式ですよ。若者の。
私はすでにみんなより年取ったおばさんです(でも今よりはまだまだ若かったけど)。
いやぁ、大学生活の若き楽しい思い出を語れる方の方がふさわしいかな、と考えたんですね。

断って電話切って、でも翌日もしつこく電話かかってきました(笑)
最後には教授から電話が・・・
『荒牧さん!これ、教授会で全会一致で決まったことなのよ!!!!成績で決まったの。』
『あなたが断って、別の人選ぶってなったら、また教授会開き直してどんだけ大変なのかわかってるの?!』
教授に怒られた・・・w

ということで初志貫徹、大学の卒業式で卒業生総代として答辞を読ませていただきました。
ちなみに、卒業生総代を狙っている大学生がいて、この記事をもしも読まれてたらアドバイスとして言えるのは、「シラバスによく目を通して、苦手な科目も全て100点満点目指して挑むこと」これだけです。レポート採点の科目も、担当の先生に齧り付いてでも100点を目指すんです。それしかないです。
私は基本、求められなくてもレポートは全て論文を何本も引用して論理的に書くようにしていました。

まあ、とてもいい思い出になりました。
卒業式の翌日、佐賀新聞の一面には私のブッサイクなカラー写真が載ってたそうです(当時、新聞購読してなかったけど)。

答辞を読む私:国立の総合大学なのでたくさんの卒業生の前で読むことに。

5.医療的ケア児のご家族を暗闇の底に突き落とした責任

看護師と保健師の国家資格を取って、私は『子育てを支援する看護の仕事がしたい』と考えました。

大学を卒業して資格を取ったとき、入学時2歳だった子どもは小学校入学。
そう、小学一年生って帰宅が早い・・・

大学病院への就職は一旦諦めて、産婦人科でまずは働きました。
しかし、やはり大学病院で働きたい。しかもNICU(新生児集中治療室)や小児科病棟で働きたい。そう思い、1年で転職し佐賀大学のNICUに入職しました。
しかしながら、最初に産婦人科に勤務した経験は全く無駄ではなく、NICUで勤務するにあたってとても糧になりました。

NICUでは、早く小さく生まれたり、病気を持って産まれたお子さんが一生懸命頑張っています。
辛そうなご家族をどう支えてあげられるか、ご家族それぞれの想いを聞きながら、私なりに赤ちゃんとご家族に寄り添ってきたつもりでした。

NICUは集中治療室であり、本当に緊張の連続です。
目の前で亡くなったお子さんのことは、忘れることはできません。
ご家族の涙も。

必死で生きて、注入や酸素、人工呼吸器などの医療的ケアが必要だけど、頑張ったお子さんが【家族が待つお家に帰ることができる】、このNICUからの退院というものは、格別に嬉しいものでした。

退院=HAPPY

私はあの当時、そう思っていました。

しかし、ご家族にとってはそうではなかった。
それを知ったのは、私がNICUから小児科病棟に異動した直後でした。

小児科病棟では、NICUから退院したお子さんと久しぶりの再会。
「NICU退院後、どうでしたか?」
そう聞くと、ご家族の皆さん
『荒牧さん、ちょっと聞いてよ!退院後、暗闇の底に突き落とされたよ。

全然、退院=HAPPYじゃなかった。

退院した後に、ご家族が困らないようにしていた“つもり”だった。
手続きも、情報も、支援も何も足りなかった。
支援の切れ目が生じていた。
私は地域の保健師さん、訪問看護師さんにつなげていればきっと大丈夫だと思い込んでいた。

そして小児科に異動して、夜勤をすることで医療的ケア児や病気のお子さんを持つ親御さんがどんなに自分の身体を犠牲にして、家に残されたきょうだいのことも気遣いながらこの入院生活を送っているのか、を見にしみて感じました。

『ご家族をこの暗闇から救いたい』
そう思い、佐賀大学を退職し地域で医療的ケア児とそのご家族の支援に突き進み始めました。

6.会社を立ち上げる、組織を作ること

“自分は経営者には向いてない“
そう自覚はしていたものの、どうしても佐賀に医療的ケアや重い障がいや病気のあるお子さんの預け先がなくて、どうしようもなく、『じゃあ、私が作るしかない』と思いR3年11月会社を立ち上げました。

最初の事業所である、“医療的ケア児者対応重心型デイ にこっと“を開所したのが、R4年5月でした。
と言っても、これを書いているのがR5年10月なのでまだ開所して一年半も経ってませんが。。
まだ社長としてもペーペーです。

私が会社を立ち上げてこだわったことの一つが、人材です。
ご家族にとって、安心して我が子を預けられるためには、質の高い医療を保証したい。そう思いました。

NICU時代の後輩や、小児科病棟の先輩などに声をかけ高い医療的ケアレベルの経験のあるスタッフを集めて、事業を開始しました。
裏話ですが、福祉事業で看護師をたくさん配置することって、はっきり言うと経営的に厳しいです。それでもこの時はこだわりたかったんですね。

でも、今では最高の人材を集めたからこそ、今はスタッフ一人一人がやりたいことを自立的に企画・運営して組織化していけるような、そんな組織に育っていっている気がします。
モチベーションの高い人材を、一人一人がやりたいことをやれるように環境を整えていくことが、経営者の一つの役割なのかな、と最近思います。

なーんて言いつつ、毎日あーだこーだ悩みながら、苦しみながら、それでも前を向き楽しくみんなとやっています。

スタッフと子どもさんたちがサプライズで誕生日を祝ってくれました!
こんな素晴らしいスタッフと一緒に働けて、幸せです。

7.企画・提案力はまだ成長過程

看護師って、医師の指示のもと患者さんの療養生活上のお世話をする。ってのが一般的ですよね。企画も提案もすることはほとんどありません。そんなスキルは使わなくても生きていけますからね。
まあ、保健師だったら多少行政的に政策に則った企画くらいはするかもだけど。

ただ、私は会社を立ち上げたり、大学病院を退職してからやたらこの【企画・提案】というものを経験させてもらっているな、と思います。

まず一番最初に私自身が取り組んだことが、佐賀県に掛け合って「佐賀県医療的ケア児在宅生活ホットライン」という事業を企画提案して、予算化してもらったこと。
NICUや小児科を退院したご家族が暗闇の底に突き落とされたり、困ったときに相談できるような相談窓口を作りたかったんです。

会社を立ち上げる前の、R3年7月からこの事業を県から業務委託を受けてご家族の相談対応に取り組ませてもらいました。

そして、次に会社を立ち上げよう!となっても、事業計画書を作成しないといけない。補助金も狙いたい。。。
ひたすらプレゼン資料を作りました。

おかげさまで、県の起業支援補助金も提案力で勝ち取り、無事に会社設立し事業が開始できました。

ちなみにですが、医療的ケア児のご家族の相談窓口を県の方と予算かから取り組み始めたのがR2年9月でした。
その一年後に、【医療的ケア児支援法】が国会で成立し、波に乗るように自分が必要だと思っていたこの相談窓口が“医療的ケア児支援センター“として、発展することができました。

この「佐賀県医療的ケア児支援センター」の事業も、委託事業なのでプロポーザル方式。毎年、企画提案しています。(結構大変。だけど、それだけやるべき内容をしっかり行政側へ理解してもらうことも大事ですね)

最近では、講演や講義などにお声がけいただくことも多く、日々資料作成に追われています。こうやって、困難にぶち当たりながら成長させてもらっているんだなぁ、と思います。

山口よしのり知事と佐賀さいこうポーズ!(仲良し)
私の誕生日には知事から誕生日おめでとうメッセージをいただきましたw

8.近い将来の夢

なんだか自己紹介とか言いつつ、いろんなことを語り始めてしまいました。
そろそろ締めようかな、と思います。
大体、こんな長文読む人いるかな(笑)

実は、将来どうするとかってあんまりはっきり決めてなくて。
最近よく「議員とかに出馬するんじゃないの?」とかよく言われますが・・・そんな予定ないです。

今は、病気や障がいのあるお子さんやそのご家族が地域で安心して過ごせる社会になれるように、もっと何かできないかなと思っています。
それは何か一つではなく、たくさんあります。

医療的ケア児さんを支える人たちも増やしていきたいし、それは資格とかに関係なく、たくさんの地域のかたが自然と支えられるような社会になれるようにどうしたらいいかな、と考えます。
まずは医療的ケア児さんや重症心身障害児さんたちをたくさんの方達に知ってほしいな、と思います。そしてその子達やご家族が生活しやすい社会に一緒に創って行きたいです。
社会的弱者に優しい社会って、全ての人に優しい社会だと思いませんか?そんな社会になれるように、一つ一つ自分にできることをチャレンジしていきたいと思います。

また、ご家族が疲れた時に預かれるような施設や産前産後の支援の場とか、NICUから退院後家に帰る前にしばらく家族と一緒に過ごせるような場所だったり、小児がんなど長期間の治療を頑張るお子さんと家族を支えられる場所だったり、そんなものがぎゅっと詰まった、“子どもホスピス“がこの地域にあったらな、そこは特別な場所ではなくカフェとかイベントとかがあって、いろんな地域の人が出入りできるような開かれた場所であってほしい。
そんな場所があったらな〜、なんて最近は思います。
いや、早く実現しようと思います!(行動!)

そんなこんなで、色々苦労はしながらも毎日楽しく過ごしております。
いつどの瞬間に死んでも、後悔しないと自負しております。
ですが、まだまだやりたいことがあるので死ねませんw

最後までお読みくださり、ありがとうございました。
これからも医療的ケア児さんや株式会社ドアーズをよろしくお願いいたします。

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