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Gift。

もう10年近くになるだろうか。
私は一人のバトントワリングの選手を指導させて頂いている。

基礎となるバレエのボディワークを学びたいと、私のもとを訪れてくれた。

実はその彼女が、サッカーを通じて鬼木さんのライブに至るまでのきっかけを私に作ってくれた。
ぜひ私は彼女に『覗く』や『comeの概念』を知ってもらいたいと思い、先日開催されたオンライン講習会を一緒に受講した。
(AC.gloriaの伊藤さん、鬼木さん、中野さん、ありがとうございました)


概念を理解し、自分の感覚に落とし込むにはそれなりの時間が必要だけれど、『覗く』と『comeの概念』は、バトンという道具を扱う上で、必ず何かしらのヒントになると思っていたので、講習会のあとのレッスンで、彼女と前提を共有しながら、私なりの言葉で伝えていった。

バトントワリングは、自分の脇から指先までの長さのバトン(身長によってサイズは変わる)を、ボディワークとともに規定のプログラムの中で演技して競う競技スポーツ。
選手用だと重さも250g近くあり、手や腕に当たったり、あるいは頭に落ちてくると当然痛いしケガにつながる。

ボディワークも体操競技の床の演技のような、アクロバティックな技もたくさんあり、それを行いながらのバトン操作になるので、かなり複雑で高度な身体操作と瞬間的な認知判断が求められる競技だと思う。

バトンを落とすミスを「ドロップ」というのだけれど、選手時代からどうしてもドロップが多くて悩んでいたけれど、なかなかそれを改善できずにいた。

世界選手権などに出場する選手は、それこそ手にバトンが吸い付くようにキャッチし、次の動きへとなめらかにつながっていく。
もちろんアクロバティックなボディワークありきで。


今までも上手な選手のビデオを一緒に見て研究してきたけれど、これといった改善策に結びつかず、「取れない」というか、バトンが『手に付かない』感じがあった。


『覗く』と『comeの概念』。
私はこの概念を知ってから、再びバトンの動画を色々見てみた。

上手い選手は、バトンを見ているのではなく、“バトン越しの空間”を『覗いて』いるように感じた。
そして、バトンの落下地点と自分の手の軌道の“交点”に『come』している。


次のレッスン。
さっそく彼女にそのことを伝えてみた。
私なりの解釈と言葉だったけれど、彼女なりに必死にその言葉を解釈しようとしてくれた。


演技が変わった。

『これまでとは別の世界です』

言葉は決して大げさではなかったと思う。
傍目には小さな変化かもしれないけれど、彼女の世界観の中で大きな変容だったのだから。


これまでは、バトンをキャッチするとき「パシッ」と手とバトンが当たる(ぶつかるような)音がしていたのだけれど、それがまったくなくなった。

バトンが手に吸い付くようにフワっと受け止められて、次の動作になめらかに接続されていく。

もちろん選手を引退しているので選手権レベルからは遠いのだけれど
それでも喜びに溢れた彼女を見て、私は心が震えた。


私が踏み出した小さな一歩かもしれないけれど、それが彼女の力になれていたのなら、それだけでいい。


『先生が踊る喜びを再び私に与えてくれました』


そういってくれる彼女の言葉こそ、私にとってかけがえのない喜びだった。
私のことを信じて、これまで一緒に試行錯誤してきた日々。
生徒と先生という立場かもしれないけれど、私は彼女を戦友のようにも思っている。
だからこそ、この言葉は私にとって宝物みたいに輝いている。

自信とは、自分を信じられる力。

それは自分を“信じて”くれる人からのGiftなのかもしれない。
ふと、そんな風にも思った。


Gift。

私にとって、鬼木さんのインスタライブはまさにGiftだった。

緊急事態宣言が、明けようとしている。

と同時に、鬼木さんのレギュラーインスタライブも終わりを迎える。

仕事と重なった日以外、ほぼ毎日聴かせて頂き、最終回は思わず涙ぐみそうになった。


新たな気づきのあった日々。
それを現場に還元できた時の喜び。

私の職業はフットボールとは違うジャンルだけれど、異ジャンルの私を拒まず受け入れて下さった鬼木さんとリトルシャペウの方々。

あの場は、まさにホスピタリティだった。

自分も誰かの力になれる日が来るように。
そう思ってもがいてきた日々。
きっとずっともがきつづけるのだろうなと思いながらも、そのことを楽しめる自分でいたい。

最高のGiftをありがとうございました!

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