見出し画像

父に、逢いたくて

日常でふと父を思い出す。

何度もくどいようだが、私は6歳の時に父は死んでいて(亡くなったという表現はちょっと違う)
私はその時から父に関するありとあらゆる悲しみを感じてきたのだ。

ずっと母子家庭で育ってきた私が気にすること、それは母に気に入られることだった。

割りと算数や数学、国語の成績が良かったので私は沢山勉強もしたし、本も読んだ。

子供のくせに、母より遅くに寝るのが当たり前。

「勉強なんてしなくていいから、早く寝なさい!!」

母の怒声に泣きながら

「勉強してから寝る!!」

お風呂上がりどんぶくを着てこたつで震えながら勉強をした。今の私が見習いたいほどの勉強家だった。

今考えると、勉強ができること=母に認めて(誉められてもらえる)と考えていたのだろう。

でも、母は私を誉めることはなかった。

私が正しいことをしても、テストで満点をとっても、昭和親父的教師に意見を言っても、何をしても、母は私を誉めてはくれなかった。

そんな時、私は父を想った。

死んだ父は、私の想った通りに優しくて、

私の想った通りに笑ってくれて、

そして、悲しい時には私の想った通りに励ましてくれた。

しかし、それは私の悲しみを深めていった。

「ああ、お父さんが生きていればなぁ……」

高校一年生の時、私がすごく気になっていたのは、クラスで母子家庭の人は何人いて、誰なんだろう?ということだった。もしかしたらその子と気が合うかもしれない、と思っていた。

お父さんがいる家庭の人たちがものすごく羨ましかった。

例え、どんなお父さんでも。

同級生のほとんどは、私と意見が合わない。

「お父さんなんて、邪魔だよねー」

と平気で笑いながら言う同級生が羨ましくて、憎たらしかった。

あんた、親の有り難み分かっているのか?と心の底で冷淡に言っている自分がいた。

父の写真を見ると涙が止まらない。

私は、幼い頃に父を失うことでファザコンになってしまった。

もしも、私の願いが叶うなら

お父さんに、逢いたい。

いいなと思ったら応援しよう!

じゅんこ3
サポートしてくれたお金(貴方からの愛)は、銅像の制作費としてコツコツ貯めます。 優しい貴方には「じゅんこ3、本当に銅像になったよ、こりゃビックリだ会」にお招き致しますので、楽しみにお待ちくださいませ。尚、石像になる、ブロンズ像になる等、内容が大幅に変更になる場合もございます。