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働くとは「与えて、与えられ、そして幸せ」ということ。

「働くとは」


もし、学生時代に戻って自分自身に聞いたら「我慢して、上司の言うことを聞いてその通りに動くこと」と答えるだろう。



学生時代から私は漫画を描いたり、文章を書いたりするのが好きだった。



しかし、この小さな海辺の田舎町で生きていくためには、「現実」と言うものを見ないといけないらしい。大人たちは口を揃えてこう言うのだ。「そんなんで食っていけるのか」と。


私はそんな大人たちに自分の夢を話すことを辞めた。「どうせ、そんなの無理だろう」と言われるのが目に見えていたからだ。そしてその夢を実現する方法なんてものも知らなくて、将来に絶望してしまった。



「将来は保育士になりたい。子供が好きだから」


高校生の時、私はみんなにそう言っていた。勿論、勉強も頑張っていたし、学校から自転車を吹っ飛ばして帰って来ると夕飯の準備もしていた。うちの門限は6時だったが私は5時前に帰っていた。そうじゃないと夕飯の時間に間に合わない、と言うのがその理由だった。仕方ないのだ、うちは肩を寄せ合って生きている母子家庭なのだから。



保育士になる、という夢は私が精神を病んだことで、実にあっさりやぶれてしまった。母は私にありとあらゆる「期待」をしていたので、彼女の落胆ぶりは異常なものだった。




母は頑張り屋さんだった。


31歳の時に夫(私の父)を亡くしてから女手一つで働き、私たちを育ててくれた。私たちは、そろばんやピアノ、スイミング、塾を習わせてくれた挙句、母が40歳の時に土地を買い、家まで建てたというすごい人だ。そして、家のローンも10年かからずに完済した。どうしたら母のように強く生きれるのか、私は彼女に聞いてみたい。



私が精神を病んでしばらくしたある日、東日本大震災があった。



すごい揺れの地震があった後に津波が来た。

海の近くにあった叔父の家は流された。

あまり詳しいことは書きたくない。そこで流行ったのが「ボランティア」だった。

たくさんの人たちが国境や宗教を超えて被災地に来てくれた。



私たちは、本当にみんなに助けてもらった。でも、彼らは「ボランティア」なのだ。お金をもらうどころか、逆にお金を払ってまで来てくれていた。中には大学の内申書に「ボランティアしてました」と書けるので来ていた、と言う噂の人までいた。



「働くってなんだろう」

そう改めて考えたとき、私はこんがらがってしまった。



震災から数年後に私はご縁があって結婚した。

夫になった人は私に「じゅんこの絵、好きだな」「じゅんこの文章、好きだな」と言ってくれた。私の絵とか文章はあまり褒められてなかったので、本当に嬉しかった。


初めは手描きだったイラストや漫画は、やがてデジタルになり、そのイラストで喜んでくれてお金を払ってくれる人もいる。そして、去年私はKindle作家にまでなった。


今日、夫に「働くって、なんだろうね?」と聞いてみた。

「人が動くと書いて、働く。動くことじゃない?」

「なるほど」


先月、私はおはようよねちゃんと東京の石神井公園ふるさと文化館で「置きポエム展」を開催した。


よねちゃんさんとリアルで会うのは初めて。そこで泣きそうになった。

よねちゃんさんのTシャツ、マスクが私の描いたキャラクターの「四つ葉ちゃん」だったからである。あの感動は今でも忘れられない。


そして、素敵な空間に並べられたのはみんなの素敵な詩と、いろんな四つ葉ちゃんである。最高だった。


私にとって働くとは「与えて、与えられて、そして幸せ」なことだ。








#私にとってはたらくとは

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