自己肯定感の低い私がしていた10のこと、そしてそれを変えていく宣言 その8
8 我慢強さが何事にも勝る。頑張れば頑張るほど結果が出る。
やさしさとは自己犠牲のことだと思っていました。
私が我慢すれば、全て丸く収まるんだと。
だから、面倒で皆が嫌がることに自ら手を上げてやさしい人を演りました。
やさしい人を演る(やる)
と言ってる時点で、もうおかしいですよね(^o^)ホントにやさしい人は演じませんものね。
*****
こんな気持ちで行動するからから、私が自己犠牲的に動いたことについては、実際あんまり喜ばれていなかったように思います。
返って、
「当てつけがましい」とか
「上から目線」とか
陰で言われてたような(T_T)
挙げ句の果てに
「あなたは本当のやさしさを分かっていない」なんて、全く尊敬していない人にまで言われてしまったりして、やり場のない怒りに気が狂いそうでした。
だから見返したくて、
もっと、頑張って頑張って、頑張った。
結果は、、、空回りばかり。。。
でも今、思い返せばその出来事は、
「違うよー、そっちじゃないよー」の
合図だったとしか思えません。
Change→→→
そして2018年、
私はいい人と思われたいがための我慢していたことを認め、頑張ることをやめはじめました。
でも当時、それは思っていたより生易しいことではなかったです^_^;
「我慢なんてしてないよ〜」と平気なふりして演じていたことが、いかに多かったかが炙りだされて痛すぎる!
「違う」と思ったら勇気を出してNOを言わなくてはいけないなんて怖すぎる!!
私の急な変化に、
なんかあの人変わったね、宗教?洗脳?大丈夫?の目で見られる。
これまでの人間関係が激変しました。
そのまま頑張っていい人を演じている方が楽なんじゃないか、と思うこともありました。
でも地道に、
自分は今我慢してるなと気がついたら、
勇気を持って手を放し続けました。
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あれから2年。
随分と楽になりました(^o^)
そのまんまでいればいいんですもの。
心なしか、緩めで裏表のない方が周りに居てくれます。
お互いに我慢もなく、どちらかだけが頑張ることも無く。
否定も、拒絶もない。
待ち望んだ環境が、
頑張るのをやめた場所に、あったのでした。
次回、自己肯定感の低い私シリーズ第9回。
〇〇〇しなければならない。親孝行とは〇〇〇〇すること。私は〇〇〇〇になってはいけない。
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