感情の棚卸し
外側からは全くそうは見えないと思うけど
いま毎日、
私の内面が慌ただしく騒ぎ
心の棚卸しが佳境です。
自分の中で、
罪悪感でネットで検索するのもはばかられ、
ずっと怖くて触れずにいた言葉があるのですが、
最近、自分の中で
何か許可が降りたような感覚があり
恐る恐る検索してみたら、
体にめり込むように腑に落ちていく安心感と
そういう仕組みだったのか、と納得する快感と
私だけではなかったんだという安堵で
貪るように情報を吸収しています。
その情報を知る先人の
YouTube発信に触れていると
過酷な内容に反して
なぜかものすごく癒やされるのです。
今日は、
昨日とは別の人が語る
同じ情報に触れたとき
脳で理解するよりも前に
胸の辺りがそうだそうだ!と騒ぎ
iPadの画面を前に
声をあげて泣いていました
でも、冷静に見ている自分もどこかにいて
なんだか不思議でした。
そしてもう一つ不思議なことに、
同じ動画を2回目見た時は
どこの場面で泣けたのか
もうわからなくなっていたのです
まだまだ気が引けて、
私はnoteでその言葉を表せないのですが、
それはまだ乗り越えられていないからか、
今まさに乗り越えている最中で、
きっと近々、
さらりと表現できる日が
来るんだろうと思います
その時は、多分乗り越えられた時。
登山で最後の険しい鎖場を
必死で登っている時のような
怖さと苦しみと希望が
ミックスになった感情を棚卸ししている
今日は、そんな土曜日でした。