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あの日から心は15歳のままだった

何気におひさしぶりです、じゅんぷうです。

今年の父の日は、父の命日でもありました。もう37年も前のことです。

当時わたしは多感な中3。入院していた父が手術を受けるというその日、心配ないと思うけれど念のため部活は出ないですぐ帰ってくるようにと母に言われて、放課後、家にいたのです。自分の部屋で音楽でも聴いて過ごしていたと思います。あのころ部屋には本田恭章の特大ポスターを貼ってました。CDはまだなく、兄のおさがりのコンポ。レコードプレーヤーは使えなくてカセットテープだったけどスピーカーはよかった。兄は音響関係の学校を出て、このときもう社会人でした。

病院に行っている母から連絡がきたのが午後4時とか5時ぐらいだったでしょうか。手術中に容体が変わったので来てほしい、と。それで急きょ、近所に住む叔父たちと一緒に車で都内の病院に向かいました。夕方で渋滞していたのでそれなりに時間がかかったけど夏至前のこの時期なので全然明るくて。わたしは、病状の詳細を聞かされていなかったのもあってさほど深刻ではありませんでした。それより変なロゴのTシャツにミニのジャンスカというおかしな部屋着コーデのまま急かされて車に乗ってしまったことや、今夜「ママはアイドル!」最終回見られないかも、というほうが気がかりだったのです。

病院に到着して初めて、これは「ママはアイドル!」どころではない状況の中に自分はいるのだと悟りました。父はICUにいて会えないまま、ただただ経過を待ちます。兄や叔母たちも来て、みんなで待合室にいましたがわたしは病院の中をうろうろ歩いていました。そしてトイレから出て「どこにいたの!」と叔母に連れていかれたときにはもう、父は帰らぬ人となっていたのです。え?まさかの、トイレに行ってる間に…?これはもう一族の語り草。

とにかく何の心の準備もない状態で父が逝ってしまい、わたしはようやく会えた父がまだ温かくて信じられず「びっくりしすぎて」フリーズしたまま時が経って、悲しみと向き合わずして自然治癒したような次第です。父の死を境に、それまでライオンの戦いかってぐらい母と毎日ケンカしていた大反抗期は治まりました。その17年後、母が亡くなったときは心をえぐられるように痛かったですが。

あのときのことを何で今書こうと思ったのかなあと考えてみたら。わたし、父の年齢を先月で越していたんですね。それとさっき本棚整理していてヨシタケシンスケさんの絵本『このあとどうしちゃおう』を読み返したせい。死は寂しくこわいけれどきっといつかみんなに会えるでしょう。お父さん、わたしいまだに「ママはアイドル!」のこと考えてる中3のままお父さんより年上になったよ~!

主題歌のミポリン〖派手‼!〗でも聴いて寝ます。

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