きのくに線夜行~世界遺産登録前の紀伊山地で熊野巡礼~高野山|乗り鉄夫との平成よくばり鉄道旅#5
こんばんは、墓参りと聖地巡礼がライフワークなじゅんぷうです。
乗り鉄&バスちゃんな夫と、船らぶの私の計画的なはずなのになぜかいつも行き当たりばっ旅な思い出日記シリーズ。
①東北 1998.8月
②瀬戸内 1998.9月
③伊豆 1999.1月
④北陸 1999.1月
と順に投稿してきて、続いては河内~讃岐(1999.3月)のつもりだったのですが、現地ではほぼレンタカー移動(運転は私…)だったので、いつか御陵めぐりの別記事にすることにして、熊野に参ります。
大阪ぶらぶら~聖地巡礼
1999年8月の終わり。ノストラダムスの大予言の年。このころ私はとり・みきの『石神伝説』に夢中でした。
新聞記者の真理は取材先で次々と怪事件にまきこまれる。彼女の前に現れた学生服姿の白鳥は、かつてヤマト朝廷に敗れ滅んでいった日本各地のまつろわぬ者たちの封印を解き、日本を破壊して朝廷への恨みを晴らそうとしていた。賀茂氏の血を引き巫女としての呪力を隠し持つ真理、物部氏の末裔の自衛官・石上は白鳥の野望を阻もうとするが……
という伝奇マンガを読みすぎて、2巻「熊野の章」に登場する和歌山県那智勝浦、本宮、新宮の熊野三山を目指した次第です。
いつも寝ずに早朝出発ですが、今回はゆったり午後出発。しかも大井競馬の馬券を買うため後楽園に寄っていくなんていう余裕ぶっこきだったのですが、夫が「競馬新聞忘れた」⇒予想を書き込んでいたので自宅に取りにもどる⇒「カギ閉めたっけ?」⇒自宅にもどる⇒「ケータイ忘れた」⇒自宅にもどるというすごろく状態で全然ゆったりできない旅立ちとなりました。
そんな夫の希望で、貴重な「ひかり」の食堂車でハヤシライスを食べながら大阪に向かいます。夕方17時ごろ新大阪に着き、地下鉄で心斎橋へ。アメリカ村で帽子を買ったりお茶したりぶらぶら。そして近鉄に乗り、コリアンタウン鶴橋で焼き肉&ビール。夜も深まった22:45、新大阪発きのくに線、新宮行き快速という名の夜行に乗り込みます。
きのくに線(紀勢本線)Wikiより
車内には乗り鉄グループがいて、ほかの乗客に車両切り離しのことを聞かれて得意満面で聞いてもないことまで答えています。鉄って説明好きですよね~。天王寺からお勤め帰りの人たちで混雑しましたが、和歌山を過ぎると残るは旅人ばかり。車窓に真夜中の紀伊水道を見ながらひたすら南下して行きます。紀伊田辺駅で車両切り離しのためしばし停車すると、鉄軍団はカメラを持って大移動して行きました。もちろん、うちの鉄も。
4:48 紀伊勝浦で下車。まだ暗い中、タクシーで那智山へ。見晴台でタクシーを降りて数分、熊野灘に水彩画のような朝日が昇りました。日の出ビューを狙って来たわけではないので、これは思わぬ副産物。少し山を下って熊野三山のひとつ那智大社と、青岸渡寺をお参りします。青岸渡寺の三重塔とその背後の那智滝のセットはザ・日本の絵葉書というような、胸にガツンとくる光景でした。
和歌山県公式観光サイトより
この神々しい滝に近づこうと、車道とは別の「お滝道」を下りていきますが、これが鎌倉積みという激しい石段で膝が笑いまくり。滝そのものをご神体とする那智大社別宮の飛瀧神社まで下って、さらに石段を下り、今度は観瀑台というお滝アリーナに上ります。
アリーナで飛沫を浴びながら、心持っていかれました。夜行列車を降りてからまだ2時間もたっていないけど、私はもう熊野の虜。ちょっと不思議な感覚でした。なんだかんだ旅先で心に残るのって人情的な面だったり面白い出会いだったりハプニング的なことだったりするけど、熊野はもう人間飲み込まれてる感じです。丸飲み。
バスで那智駅まで下り、駅のすぐ近くの補陀洛山寺と熊野三所神社に寄ります。当時『死国』きっかけで原作者の坂東眞砂子作品にもドはまりしていまして、彼女の『桃色浄土』という小説で補陀落渡海(ふだらくとかい)を知りました。
『死国』は映画化前から原作ファンだったのですが、同時上映の『リング2』を受け止めるために『リング』『リング2』『らせん』の原作もわざわざ読んでまで公開初日に銀座の東宝会館に見に行った熱い思い出。『死国』巡礼で土佐にも行きたかった。
『桃色浄土』の舞台は四国だったけど、外に出られないよう戸を打ちつけられた渡海船に乗って沖に出ていき、南方の海の向こうの浄土を目指すという想像を絶する修行がここ那智勝浦でも行われていたようです。那智駅のホームの向こう側はすぐ太平洋。ここが補陀洛の海なのかなと考えると胸がざわざわざわ。この修行は水葬の風習へと形を変えたそうです。中には船から脱出した僧もいたようですが、生きて帰ることは許されなかったとか…。
さて那智から紀勢本線で熊野灘の海岸沿いを新宮へ移動します。新宮からバスで本宮へと、蛇行する熊野川に沿ってひたすら北上。バスを降り、129段の石段を登って熊野本宮大社にお参りしました。これで残る熊野三山詣では明日の速玉大社のみ。牛王(ごおう)と呼ばれる神符もそろいます。
参道脇のお店で朝&昼ごはん。ざるそば、鮎の塩焼き、くずもち。それぞれの実家に甘いものを発送して、この本宮大社の旧社殿跡である大斎原も見に行きます。大斎原にあったお社は明治時代に大洪水で流されたそう。それもそのはず、完全に中洲にあるのです。その昔は橋もかかっておらず、参詣客は歩いて川を渡ってお参りしたのだとか。禊の意味があったのでしょうかね?
新宮にもどるバスに乗り、志古で下車。ここから、瀞峡めぐりのウォータージェット船に乗ります! 熊野川の上流は三重県側が北山川、奈良県側の支流が十津川となっていて、和歌山との3県の県境である峡谷が瀞峡です。私たち今夜、瀞峡に泊まるのです。移動のために乗るのは私たちぐらいのようで、お弁当を持った観光客で満員。でも広々した河原はのどかで、水しぶきが気持ちいい。
熊野観光開発HPより
小川口というところで船を降ります。じつは当初は本宮から十津川村経由のバスで今日の宿、瀞ホテルにまっすぐ向かうはずでした。そこから別行動で、夫はひとりで廃坑になった紀州鉱山跡から沸いた湯の口温泉を走るトロッコ列車に乗りに出かけるというプランだったのです(今こうして見るとちょっと楽しそう)。
湯ノ口温泉Wikiより
けれど出発前夜に私が「熊野三山の奥の院、玉置神社」の存在を知ってしまい、知ったからには行くしかないじゃないですか? それでふたりでトロッコに乗ってからタクシーで玉置神社~ホテルというルートに変更したのです。この数年後に熊野古道など紀伊山地の霊場と巡礼道が世界遺産登録されたので、いまはもう少しアクセスよくなっているとは思いますが、当時はこれしかなかったのです。
夫にすれば希望通りトロッコには乗れるし、ホテルから船で往復する手間はなくなりました。わたしは乗りたくもないトロッコに乗らねばならないけど神社のために修行だと思って船を降り、河原を歩いて、トロッコの乗船口になっている瀞流荘でトロッコの時間を聞いてみると…
1日5便しかなくてたったいま出たとのこと。言葉を失う夫と吹き出す私。こんなにツメの甘い鉄います?? 山奥につき船に乗る前にタクシーも手配しておいたので、瀞流荘でお茶しながらタクシーを待ちます。もう一生分のトロッコって文字打ったわ。
というわけでトロッコをあきらめ、標高1000メートルの玉置山の山頂付近にある神社までタクシーはぐんぐんスーパー林道を上っていきます。途中、目の前の斜面が崩れたっ!?と思ったらそうではなく、上方からサルが3匹飛び出してきてタクシーの前を横切り、一瞬こちらを見据えて道の下の深い森へと消えていきました。そのとき私の脳裏をよぎったのは熊野の神々ではなく、なぜかベトコンの姿だったのですが、とにかく神社の駐車場に到着して徒歩15分の社殿に向かいます。油断すると落ちそうな参道を、木の根を足掛かりに一歩一歩進みますが、それにしても何にも音がしない世界。またすごいところに来てしまった感。
玉置神社公式より
見事なケヤキの古社で、狛犬もよき…! しばし見学して御神酒「神代杉」を買って、来た道をもどります。歩いていると急に低い雲が広がってきて、まるで山が動いているかのような錯覚。いや何があってもおかしくないと思う伝奇マニアでした。汗だくでタクシーに戻り、心地よい疲労とカーブで居眠りしているうちに瀞八丁に到着。
来ました、瀞ホテル。大正創業のレトロな木造建築。ロケーションといい、横溝テイストを感じてまたオタク心に火がつきます。案内された部屋は二間と廊下つきで瀞峡の眺めもまるで犬神家。私たちがいる本館は奈良県十津川村だけど、吊り橋を渡っていく別館は和歌山県の飛び地で、さらに川の向こう側は三重県という立地。
瀞ホテル公式より
なんと平成16年に閉館し、さらにその後紀伊半島大水害で別館が流されるという大被害だったものの、平成25年に食堂・喫茶として営業再開したそうです。じゅんぷうのもう一度泊まりたい宿トップ3でしたが、残っているだけでもよかったです。誰か早く文化財に指定してくださいー!
お風呂上りもただただぼんやりと過ごして釣り人たちが引き上げていくのを見届け、広間で合同の夜ごはんは私たちを入れて2組だけ。地酒「太平洋」とホテルの前で捕れた天然鮎の塩焼き、アマゴのフライなど。食後に、持参した「熊野三山・七つの謎」を読もうとしたけど寝落ちしました。紀州での長~い1日ようやく終了。
翌朝、下半身筋肉痛(激痛)での目覚め。
朝食後に吊り橋を渡って別館を探索したり、ゆっくり身支度をしていると船が来ました。私たち以外は志古からの往復客で、ちょうどホテルの前が瀞峡めぐりの休憩場所になっているのでみんな船から降りて写真を撮ったりおみやげを買ったりしています。
あらためて船から見上げると、ホテルはすごいところに建っているのがよくわかります。奇岩と原生林に囲まれた上瀞のほうを回ってから熊野川を下っていきます。昨日は満員だったせいか、今日のほうが景色もよく見えたりして。腰まで川に浸かっている釣り人たちの合間をぬって昨日船に乗った志古に到着。
和歌山県公式観光サイトより
志古から新宮行きのバスに乗って、目的地の神倉神社近くのバス停で下してもらい、コンビニで飲料水を確保していざ神倉。
こちらの石段も鎌倉積みでの538段、汗ってこんなに体から流しちゃっていいの? と疑問が生じるぐらい流しながら、山頂のご神体ゴトビキ岩に到着。着いたよ、白鳥くーん! 運動不足の人は夏に上るのはやめましょう。
和歌山県公式観光サイトより
毎年2月に行われる女人禁制の御灯祭りでは、松明を持った男衆がこの石段を一気に駆け下り、無数の松明が連なって山を下りていく様は下り竜といわれるとか。
次の目的地、速玉大社は階段なし! 神倉神社は旧社殿にあたり、こちらに新たに速玉大社を造ったので、この地は「新宮」なのだそう。参拝して、新宮駅前の徐福公園で休憩してから京都行きオーシャンアローに乗車。駅前で買ったさんま寿司とめはり寿司で車窓の海を見ながらお昼ごはんです。めはり寿司とは高菜ごはんを高菜の葉でくるんだもの。
和歌山公式観光サイトより
紀伊田辺で下車して、闘鶏神社へ向かいます。かつて最強を誇った熊野水軍を統率していた弁慶の父が、源平どちらに味方するかをここで鶏を闘わせて決めたんだとか。結果、源氏方について壇ノ浦に出兵し平家は滅ぶわけですが、とにかく勝負事にご利益があるということで私たちも競馬がらみの御祈りなど。そういえば馬券はどうなったのか記憶になし。
知の巨人・南方熊楠の旧居跡や奇絶峡に寄りながらタクシーで目指すのは龍神温泉です。名前で決めたといっても過言ではない龍神温泉。日は傾きかけているもののまだ明るい夏の夕方、温泉街に到着。お泊り先は紀州藩主の常宿だったという、その名も「上御殿」です。ご主人は明治以前から名字帯刀を許されていた龍神家。3年ほど前からずっと気になっていたお宿です。
上御殿公式サイトより
私たちの部屋「山霧」の眼下は日高川の渓流。吊り橋など散策してから夕飯です。宿にいる時間を長くして落ち着きたいという私の希望もあり、今回の旅は宿ポイントかなり高いです。それでも滞在時間短いと思いますが、冷酒「世界一統」をがんがん追加しながら鮎の塩焼き(この旅で3匹目)、鹿のたたき、鹿の陶板焼きなどなど、デザートの紀州みかんまでまんべんなく美味しかったです。
温泉は日本三大美人の湯。ぬるっとしたお湯で気持ちよく、川の音を聞きながら満喫して湯上りにこれもあちこちで飲んでいる梅ジュース。さらに買っておいた梅ワインを飲みながら「探偵ナイトスクープ」を見て2日目終了です。
7時起床。露天は先客がいたので内湯で朝風呂。空気が冷たいのでつい長湯をしてしまいました。
卵に冷奴、紀州梅、龍神みその味噌汁などシンプルで染み入る朝食。この旅行中、ふだんからよいお通じがさらによくなりました。鮎効果か梅効果でしょうか。この現象を神倉神社の御灯祭りにちなんで下り竜と名付けました。
清算して宿から徒歩15分という曼荼羅の滝への石段を登り始めたところ、湯あたりしていたことに気づいて気持ち悪くなってしまいました。10分以上歩いても滝の音は聞こえず、20分たったところでまだまだ続く山道を見上げて絶望。バス停まで旅館の車で送ってもらう約束をしていたので断念してもどります。
旅館の旦那さんが運転する車の中で、私の頭の中では龍神家のストーリーが勝手に創作されていましたが、気づいたらバス停に着いて龍神村を後にしました。バスは高野龍神スカイラインで標高1000メートルまでうねうね登って護摩壇山へ。源氏に敗れた平維盛が護摩を焚いて命運を占ったという山。いやだから源平の一連はことさら暗い気持ちになるんですよ。ごまさんスカイタワーに上って紀伊半島の深い森をながめます。
和歌山県公式観光サイトより
南海りんかんバスに乗り換えますが、湯あたりとバス酔いにやられ、ゲップを出して吐き気を散らそうとコーラを飲んだら余計気持ち悪くなりながら日本最大の霊場、高野山に到着しました。聖域でもあり、一大観光地です。
まずは真言宗の総本山、金剛峯寺をお参りして、昼食は精進料理。実家の母に数珠をおみやげで買い、奥の院を歩きます。数々の武将や戦没者、企業創始者などが眠る墓地ですが、石好きの私にとっては石のワンダーランドでした。最後は弘法大師御廟へ。私の旅って墓参り。
ここで時間がなくなり、バスで高野山駅へ向かい高野山ケーブルに乗ります。高野山はかなり駆け足。今回の旅で何万本の杉の木を見ただろうかと思いながら極楽橋から南海電鉄で難波へ。今回は紀伊半島の西半分を回った感じですね。
明石焼きを食べてから新大阪に移動してベンチに座っていると母から電話。本宮から送ったお菓子、もう美味しく食べたそう。前回「おかやま」で今回「わかやま」なの、最近何してるのと聞かれ、本宮って何日前の何だっけ?と思いましたがたった2日前の話でした。それでも和歌山の山奥から埼玉へと考えると日本の流通はすごいですね。
19:54 のぞみ28号。紀伊半島は本当に奥深く、まだまだ行きたい場所もありました(今回泣く泣くパンダや白浜を外した)。夫は「何百年も何千年も昔に険しい山を登ってきて、そこにあんな滝とか岩とかあったら拝んじゃうよね」とカップ酒を飲みながらピュアな感想を発していましたが、トロッコに乗り損ねた痛恨のミスは忘れているようで何よりです。
✦うっかり者の乗り鉄と
うっかり結婚してしまった私の
うっかり旅行記、
お読みいただきありがとうございました。
次は「伊勢」に参ります✦