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カリスマと祈雨祭|韓国時代劇と80年代少女マンガの思い出

『麗~花萌ゆる8人の皇子たち~』って邦題には8人ってなってるのにメインビジュアルに7人しかいないのがずっと気になってる、じゅんぷうです。ワン・ム入れたげてー。 

 韓国の時代劇でよく見られる雨乞いの儀式「祈雨祭」について、こちらでちらっと触れました。

『ときめき❤プリンセス』は雨乞いの一環としての王女の婿選びが主軸のお話で、野心を持つ婿候補があれこれしたりと政治的事情が入ってきます。また『ポンダンポンダン王様の恋』では朝鮮4代王・世宗が祈雨祭を執り行いますが、ユン・ドゥジュン演じる世宗は近代的・合理的な思考の持ち主で、儀式に疑問を持っています。

 時代は遡って高麗時代が舞台の『麗~花萌ゆる8人の皇子たち~』では、王は体調悪化、正胤(皇太子)は地方の盗賊討伐で不在なので、ほかの皇子たちの中から雨乞いの祭主を選ぶことに。くじ引きによって選ばれたのは、第4皇子ワン・ソ(イ・ジュンギ)。このくじ引きはソを取り立てたい父帝と宰相のジモンが仕込んだもの。
 しかしソは顔の大きな傷によって「あんな顔では天が怒ってしまう」と民衆から石や泥を投げつけられ、祭主の座を放り出してしまいます。これは正胤の座を狙う勢力の思う壺。きっと問題なく祭主を務めたとしても雨が降らなければ同じことが起きたでしょう。

 ところがそのあとソ皇子は鮮やかに覚醒するんですね! そもそもほかの皇子たちは雨が降らなければ民に殺されるかも、と怯えていた中、ソは「雨が降るまで雨乞いをすればいい。それが天の意志だと思わせればいいのだ」と、誰よりも王としての資質を持っていたのです。

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 とにかくヒロインのヘ・ス(IU)の力もあって祭主としてリベンジし、ドラマチックに雨を降らせてカリスマを見せつけた姿に、超常的パワーの『日出処の天子』の雨乞いシーンを思い出したことをこちらでも書きましたが…

『日出処の天子』での雨乞いは、『麗』よりもさらに事情が込み入っています。

 古来から雨乞いなどの祭祀は神に祈ってきた朝廷。仏教が伝来し、崇仏派の蘇我氏vs廃仏派の物部氏が争い、物部氏は滅亡して朝廷は仏教を国家宗教として掲げます。蘇我氏側で参戦していた崇峻天皇(泊瀬部大王)は奥ゆかしく高貴な女人を後宮へと望み、物部氏の残党である石上斎宮・布都姫の噂を聞きつけます←厩戸皇子が大王の耳に入るよう仕向けたもの。なぜなら布都姫は蘇我毛人の想い人、毛人は厩戸の想い人だからー!

 そして干ばつ・飢饉という現状を利用して、布都姫に雨乞いをさせることを大伴氏が大王に進言(これも思惑あり)。斎宮を大衆の目に晒し、雨乞いが失敗すれば斎宮としての力を失い還俗させて入内させる大義名分ができます。この計画を知り、蘇我馬子は滅ぼした物部の女を娶るなど蘇我をバカにしていると憤慨します。額田部女王(のちの推古天皇)も同意見。無能だからこそ担ぎ上げたものの、言うこと聞かないしワガママだし見栄っ張りだしこの大王もう限界…! と。

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 厩戸皇子的には恋敵の権威も失墜させて後宮に入れてしまえて一石二鳥の妙案。ついでに大王の徳のなさもアピールできます。そこまでの結論をこの雨乞いで出す。「出させるのです。人は使いようでいくらでもそういってまわるもの」とは、雨が降る・降らないの違いはありますが『麗』のワン・ソと政治的考えは共通していますよね。このふたり。母に愛を与えられず歪んでいった点も共通。

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 そんなこんなで布都姫の雨乞いは失敗します。すると今度は石上斎宮の権威を貶めたくないあまり朝廷の会議でしゃしゃってしまった毛人をかばって、売り言葉に買い言葉で厩戸皇子が仏に祈って雨を降らせることになってしまうんです。

「できるものか! ばか! 毛人おまえのせいだ」

 これが皇子の本音。自然の気を動かすなど、サイキックな皇子でも無理なんですね。けれど雨乞い本番でお堂(のちの夢殿)に籠った厩戸皇子の精神世界に毛人も無意識に合流し、完全無欠体となったふたりの超常パワーで雨を降らせることに成功するのです。毛人は、厩戸皇子に布都姫を自由にしていただけるようお願いしようとしますが、抜かりない皇子は雨乞い当日にとっとと布都姫を入内させる手筈を整えているんです。

 そして朝廷では今度はやまない雨の責任を厩戸皇子に押し付けようとしますが、皇子が参内したと同時に雨があがるもんだから、傷心の毛人は「これほどの力がありながらなぜわたしには…」とイジケまくり。カリスマ皇子に評判が集まり、無能大王はイラついて、なんとかして皇子に傷をつけようと次の手を画策するという、雨ひとつをめぐってのとんでもなくスペクタクルな展開。こんなにも成熟したストーリー。これが1980年代の少女マンガなんです。このあとももっともっと、厩戸皇子の青い炎がめらめらと燃えます。

 雨乞いによって王権の力を示せるかどうかは、古代においての大プロデュースの舞台だったのですね。天の導きも腕次第。

 

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