『ミスター・サンシャイン』の余韻を引きずる悲しみには悲しみで月間。お別れにはSee You Againと言いたくて
新年明けてだいぶたってしまいましたが、今年もじゅんぷうnoteをよろしくお願いいたします。
2022のお正月、わが家の猫が17歳8ヵ月の生涯を閉じました。高齢ではあったけどまさかこんなに急に旅立ってしまうとは夢にも思わず、10日たっても一向にお別れに向き合えません。
明るいドラマやただただ楽しい動画を見るなりして気を紛らわそうなどという気にはまったくならず、悲しい予感しかないドラマを少しずつ見ては史実と照らし合わせ、自分で自分に悲しみの追い打ちをかけるようなM的日々を過ごしてここまできました。
続きが気になるのに一気見する気にはなれず、年末からじわじわ見て噛みしめていた『ミスター・サンシャイン』。
このドラマ自体がどんなエンディングだとしても、やりきれない感情が残るだろうということは見始めたときから覚悟していました。
朝鮮時代というだけで身分制度という重い鎖があり、国政も乱れに乱れて中国(清)、日本、アメリカ、ロシアなど諸外国に干渉されていく朝鮮王朝末期。
主人公は奴婢の子として生まれ朝鮮を捨てアメリカで軍人になったユジン(イ・ビョンホン)と朝鮮一の名家の令嬢エシン(キム・テリ)ですが、本質的な主役は、朝鮮の主権と誇りを胸に戦う名もなき義兵たち。
それに、登場人物たちがこの時代を生き抜いたとしても、このあといくつもの戦争で半島は絶えず動乱の時代が続くわけですから、真の意味で平穏なハッピーエンドなどないわけです。
この時代の王様は朝鮮王朝の第26代王にして大韓帝国の初代皇帝・高宗。王妃の閔妃は高宗の父である大院君と対立して政治混乱を招き、日本人によって暗殺されてしまうのですが、そのへんはドラマでは具体的には描かれていません。物語の本筋がぶれてしまうので省いて正解かなと思います。
こうした描かれていない部分もありますが、実際の出来事に沿ってドラマも進んでいきます。途中までは日本がどうというより朝鮮人の売国奴に立ち向かう展開なのと、ユジンとク・ドンメ(ユ・ヨンソク)の朝鮮への絶望や「家」という重い業を背負って生まれたヒソン(ピョン・ヨハン)の苦しみの素因として、朝鮮人同士の差別、両班の非道な行為などが前面に描かれていました。
韓国ドラマの時代劇は、史実通りの歴史ドラマにすると悪として描かれた氏族の子孫から抗議があったりするようで、それである時期からタイムスリップロマンスなど架空の人物が活躍するフュージョン時代劇が制作されるようになったという背景があります。
『ミスター・サンシャイン』でもク・ドンメが所属する組織は実在しており、親日を美化しているとの批判があって架空の設定に変えたようです。
フィクションとはいえ、日本人としては複雑なシーンもやはり多々ありました。
というわけで…
鑑賞する上で乗り越えなければいけないポイント
✦日本および日本軍の描写は物語上の必要悪として割り切る
いつの時代も日本とは何かしらこじれているので時代劇を見慣れている人は多少免疫があると思いますが、これはもう義兵および、あの時代に愛と信条に命をかけた人々を描くには悪としてわかりやすい、格好の敵が日本であると割り切る覚悟で見たほうがよいです。
もちろん、朝鮮が破滅へと向かっていくのはすべて日本だけのせいとは誰も言っていませんし、朝鮮人の極悪人もたくさん出てきます。
そうは言っても世界的影響力を持つK-コンテンツ。これほどのスケールとクオリティの作品で日本の蛮行が描かれ世界に発信されていると思うと正直、憂鬱ではあります。ドラマの中でも、銃の力で朝鮮を守ろうとしていたエシンが、文字の力=発信力を信じる場面もあっただけに。
✦日本人役の話す日本語のクオリティはあたたかく見守る
いや、役者のみなさん相当がんばってたと思います。思いますが、日本語のセリフが占める割合がかなり多い作品で、<日本語を話せる朝鮮人役>はまあこんな感じでもいいかな…と思いますが<日本人役>の会話はいっそもう吹き替えでもよかったのでは? 白竜さんが出てきたときホッとしました。
✦下関ー東京の距離感はファンタジー
当時の交通を考えたら下関から東京より釜山のほうが早く着いちゃいそうですが、これももう物語のスピード感を損なわないためのマジックとして受け入れましょう。
などなど、日本に関する描写で気になる点はいくつかありましたが、それでも製作費430億ウォンという大資本によるスケールと、『トッケビ』のイ・ウンボク監督と脚本家キム・ウンスクという最強タッグ。セリフ、映像、構図から細部の細部まで詩的でした。
凍った川の上で自分の朝鮮での身分をユジンがエシンに打ち明けるシーンなど、あれが詩でなくて何なのでしょう? ユジンの上官、カイルも詩にたとえるセリフ回しが多く、このドラマは激動の歴史の中で愛と信念に生きた人々の抒情詩といえるかもしれません。
差別や嗜虐、戦闘の描写がなかなか執拗でしたが、きっとこれが描きたかったものなのかな。
助演陣もすばらしかった。
わたしの大好きな方たちがこの作品で貴重なコメディリリーフを担っていたのも、悲劇を予感しながらも見続けられたポイントでした。
ユジンの名前を読めなかったエシンは英語を学び始めます。最初に覚えた単語は「Gun」「Glory」そして「Sad Ending」。この3つが彼女の信念と行動を象徴しているし、彼女が発する英語はつたない発音でもすべて詩のように美しいのです。
こんなに長々書くつもりはなかったんですが、自分の悲しみが止まらないもんで止まらなくなっちゃいました。新年の幕開けに見るはあまりに重い作品で、当然ながら猫を失った悲しみも晴れませんが…エシンが覚えた英語で「Love」と「See You Again」が救いになりました。