ドーピングに頼ったダメ人間の末路
自分は19歳から約5年間、ドーピング錠剤を常用していました。当時は違法薬物指定されていなかっため、ロサンゼルスへ行く度にメキシコの国境にある街ティワナへ行き、大量に購入して帰国していたのです。ドーピングに手を出す切っ掛けは19歳の頃、2対1で喧嘩になった際、当時からカラダがデカかったので「2人ぐらいだったらチョロイ」と思っていたら不意打ちを食らい、ボコボコにノックアウトされ全治三週間の重傷を負ったことに起因。不思議なことに喧嘩って負けると今まで友人だと思っていた周囲の面々が遠ざかっていくんだなと初めて大敗したことで人間関係の薄っぺらさを痛感。
その後友人関係を全部リセットして銀座のイエナ書店という洋書を取り扱っている特殊な本屋の地下1階にホラー雑誌FANGORIAを買いに行ったら、目に飛び込んできたのがハリウッドのアクションスター、チャック・ノリスが表紙なマーシャルアーツ関係の月刊誌。中を開いて立ち読みしているとロサンゼルスに彼の道場があってオフの時は頻繁に道場生へ直接指導しに来ていると書かれているではないですか。『ドラゴンへの道』でブルース・リーよりもカッコよかったあのチャック・ノリス! 彼の道場へ行けば野獣走査線な地獄のヒーローと会えるかもしれない。彼のパーソナルデータが記載されていたのだが、得意技はジャンピングバックスピンキックと書かれていた。本当にあんな派手な技が効くのだろうか? ミーハー心が芽生える。
当時はバブル全盛期。東陽町にあったYWCA英語専門学校を受講し春から2年間通う予定だったのだが、「専門学校へ行くのにお金を貸して欲しい」と銀行へ出向くと定時制高校4年生如きに簡単に100万円貸してくれたことで気持ちがムラムラしてしまい、それを三ヶ月滞在の軍資金として卒業式を待たずに渡米(2年かかって返済)。
道場の場所はロサンゼルスのコロンビア映画のスタジオ(現ソニーピクチャーズスタジオ)があるカルバーシティエリアに存在しているのだけは立ち読みしていて知っていたのだが、細かい番地までは覚えていなかったためSUBWAYやampm、セブンイレブンの店員に聞きまくって紆余曲折してなんとか辿り着く。丁度道場へ行ったら本物のチャック・ノリスがいて「ジャンピングバックスピンキックが強いのかどうか受けてみたくて日本からここの道場へ来た」と説明すると道場生たちに囲まれ、完全に道場破りに来た日本人だと思われた様子。で、キックミットを渡されチャック・ノリスの得意技を食らってみた……ら、ハンパなく強烈で本物の強さを実感したことで道場生になりたいとお願いし入門の流れ。でも道場生たちからは異物混入扱いで中々親しくなれなかった。片言の英語でコミュニケーションを取るも黒帯連中は鼻で笑う感じで、いつか強くなったら俺の脳内ヒットリストにお前らの名前を刻んで1人1人ぶっ倒してやる! と勝手な目標を立てていた。
最初は全然練習についていけなかった。まず驚かされたのが「え? あのチャック・ノリスが組み技も得意としているのか?」と。打撃だけの道場かと思ったら稽古の初日から受け身の練習を4~5時間やらされてカラダは筋肉痛でボロボロ。米軍所属時に韓国駐在の期間、柔道をタップリと学んだそうで投げや関節技も得意だったことに心底ビックリしてしまった。映画劇中ではそういうシーンがないので「なぜ映画の中では打撃しか使わないんですか?」と質問すると「実際の戦場では1対1で戦うことはまずないから投げ技や関節技は無意味。しかしブルース・リーの影響で投打極を総合格闘技として私も発展させていきたいと思ったからここの道場では投打極を教えている」という回答。余談だがチャック先生が最初に作った俺らがいた道場を1995年に畳んだのはUFCの台頭で柔術が見直されキックボクシングや空手道場に生徒が入らなくなったのが理由。ヒクソン・グレイシーがロサンゼルスへ移民してきた時からチャック先生は付き合いのある友人関係とのこと。打撃に関しては全米プロ空手ルールに準拠しての空手やマーシャルアーツの稽古だったので、ローキックが禁止となっており、チャック先生からは一度もローキックの稽古をつけてもらったことがない。日本だとまず相手と対峙したらジャブのようにローキックから牽制していくのがセオリーだけど、全米プロ空手ルールっていう基本パンチ、ミドルキックとハイキックをメインで戦わなければいけないのは本当にやりづらい。得意の膝蹴りもNGだったし……。
スパーリングしてもローキックを放てないことに戸惑いを感じ道場生たちに全然勝てない。日本にいた頃はプロレスごっこか赤羽という土地柄喧嘩しかしていなかった(サイドスープレックス、バックドロップ、フロントネックロックからのDDTというプロレス技を駆使しての)から技術そのものを一切知らない。やはり競技としてルールに沿った戦いでは歯が立たない。あまりにも自分が弱すぎることに腹を立て筋トレが足りないと思いベニスビーチのゴールドジムにも通うようになり、そこで知り合った人から運動能力が飛躍的に向上するドーピングの話を伺う。「ドーピングすれば常にアドレナリンが分泌されているから間違いなく強くなる」この一言で入手することを決めた。が、ドーピングって言えば陸上選手のベン・ジョンソンがやっていたよな、と思い出すも自分は格闘技だからああいう競技じゃないし、と能天気な考えでメキシコのティワナへ。国境警備隊のところから入国し24時間以内にカリフォルニアへ戻ればパスポートは不要なので(メキシコ行くのに持ち歩くのは危険で抵抗あったため持参してない)身元チェックは国際免許証だけで行くというナメた態度で片道5時間かけて向かった。
ゴールドジムで知り合った人から17時にオープンするバーの中で薬物の取引ができると聞いており、薬物を購入希望の者はそのバーのオープンテラス席に座り、敢えてそのバーの店のコースターを裏返しにして待っていると声を掛けられるのでその売人から何でも買えると。嘘か本当かわからなかったので最初は少々不安だったがテラス席でマルガリータを飲んでいると如何にも怪しそうな髭面のドン・ガバチョ風な男が声かけてきた。「何が欲しいんだ?」と聞かれ「ドーピングの錠剤があると聞いているがそれを大量に買いたい」と伝えると、「マリファナもコカインもあるけどそっちは要らないのか?」としつこく営業してくる。おそらくドーピング剤だけでは安いから彼の上がりが少ないから違法薬物を売りたかったんだろう。確か300錠ほど購入したのかな。100錠入りの瓶を3本買ったので多分300錠入っていたはず。「沢山買ってくれたから全部で1000ドルでいいぞ」と値引きしてくれたのも記憶に残っている。
車の中で一泊して翌朝、日が昇る前の早朝にサンディエゴフリーウェイをロサンゼルス方面に向かうと、ビックリするほどの大渋滞。結局10時に行かねばならなかった道場には1時間遅れの大遅刻。サンディエゴフリーウェイをノースへ向かう方面は異常な通勤ラッシュがあると知らなかったからだ。遅刻したことで内弟子の面々は厳しく当たってくるので道場内の掃除など自ら進んで諸々やっていたらランチ終了後にスパーリングやるからと声かけられる。なんと! ドーピング様のチカラを遂にお借りすることができる! ってわけで、効果が表れ始めるまで30分ぐらいかかるそうなのでランチ終了と同時に錠剤を2錠飲む。相当な上物なので1錠飲めば約1日持つと教えられていたんだけど、カラダがデカいから1錠じゃ効かないだろうと勝手な判断をしたのが後々後悔するはめに……。
昼休憩が終わった頃にはカラダ全身が火照り始め、勝手にアイドリング始めている感。内弟子の面々とスパーリングやっても全員黒帯なので1度もダウンすら奪ったことがないし、いつもダウンさせられるのは俺のほうだったから……ドーピングの効果をここで試す最高のタイミングが訪れた。内弟子と道場生合わせて8人ほど道場にいたのかな。ペアになってスパーリング開始。互いにグローブ着用なのでこちらがガードで固まっていると遠慮なく殴ってくる。初戦は道場生だったので自分と立場も一緒なのでパンチが来てもガードやパーリングで対処できたからドーピング効果が発揮できているかわからない。1つだけわかったのが、3分全力で戦っていても息が上がらないし全く疲れない。これはどういうことなんだろう? スパーリングは3分2ラウンドなので2ラウンド目は俺が攻めていくぜと序盤からパンチとミドルキックのラッシュ。サンドバッグを相手にしているようにパンチを繰り出す手数が減ることもないし疲れ知らず。途中途中でカウンターのミドルキックを食らうも痛みすら感じないのでダンプカーのように前へ突進しまくる。2ラウンド終了直前に組み合ってから無理矢理チカラ技なフロント・スープレックスで投げたところでフィニッシュ。パワーまで漲っている。どうなっているんだ、俺のカラダは?
相手の道場生は身長が190cmもある長身だったので、パンチを巧みにスウェーしながら相手の懐へ潜り込んでのアッパーカットを放ったら初めてスパーリングでダウンを奪えた! この動きの早さはドーピング様のおかげでしょう。まさにドラゴンボールで言うところの仙豆を摂取したような感覚。アドレナリンが出まくっているおかげで体力減らないし痛みすら感じない。本当に運動能力が著しく向上している。こんなことってあるか? 次は内弟子の先輩とスパーリング。遅刻したから徹底的に”かわいがり”してくるんだろうと予測しつつ警戒しながらスパーリング開始。下腹部へ前蹴りを入れてくるなど序盤からキツイ攻めを先輩はしてくる、スリップダウンはするものの痛みは感じない。ドーピング剤は興奮剤の役目もあるとは聞いていたがこちらの動きもシャア専用モビルスーツに搭乗しているかのように3倍とまでは行かないけど1.5倍ぐらいは早くなっていた。疲れ知らずだけではなく興奮状態が続いているからより素早さも上がっているんだろう。顔面へのストレートも鼻っ柱を狙うように殴ってくるのでこれはシゴキだなってわかったのでこちらも遠慮せずドーピング効果を期待して1ラウンドからパンチの応酬。1ラウンドが終わると先輩は息がメッチャ上がっていて肩で息している。一方こちらは平然とした涼しい表情。ドーピングって凄い! 完全にチート級じゃないか。まるでニュータイプになったかのようだった……。興奮しているから瞬発力も高まっているので気のせいか相手の攻撃も良く読めるからガードや回避も容易い。先輩も2ラウンド開始したら俺の息が上がってないのがムカついているようでスパーリングとは言え、試合のような本気のチカラで攻撃してくる。だが、面白いように攻撃が読める。それと打撃受けても痛みを感じないからわざと打撃を受けて懐へ潜り込む作戦ができる。そしてボディブロー連打からアッパーカットという得意とするコンビネーションで先輩がひるんだところに首投げでダウンを奪う! というかダウンではなく完全にノックアウトだった。「いつもの吉田と違う」ってみんなに言われるも、まさかここでドーピングしてましたなんて口が割けても言えない。うーん、最低な男だな、俺。
チャック先生はドーピングを嫌っているのは知っていた。ブルース・リーが『ドラゴンへの道』の撮影時にドーピングしていたので「カラダがボロボロになるから止めたほうがいい」といつも警告していたと伺っていたからだ。でも、当時19歳……というか20歳になる歳の年齢なガキには喧嘩で惨敗したのがトラウマなシコリになっていたのでどうしても強くなりたかったから、ここまで激しくドーピング効果が出るのを知ってしまうと常用したくなるのは至極当然の結果。チャック先生には大変申し訳なかったが自分の弱さがドーピングに頼るしかなかったんだろう……。
21時に道場もクローズし帰宅。でもまだエネルギーが有り余っている。これは興奮剤のせいだろう。なんだか何者かに自分のカラダが支配されているようだった。寝ようと思ったが目が冴えて全然眠れない。お腹は減らないけど喉はとても渇く。外をロードワークして走ってくれば疲れて眠れるんじゃないかと、ジャージに着替えて外出。10キロほど走りこんでも一向に疲れない。なんじゃこれ。2錠飲んだだけなのにドーピングってヤバイ……じゃなくて当時はスゴイと思って感動していた。ロードワーク中にオシッコがしたくなったのでガソリンスタンドでトイレ借りると何故かポコチンが勃起したまんま。え? ナニコレ? まだバイアグラなんてものは開発される随分前の話だが勃起薬にもなっているのか? ガソリンスタンドで休憩するもポコチンが勃起したまま一向に収まる気配すらない。仕方ないので交際していた彼女の自宅(道場で知り合ったイタリア系血筋なメキシコ人の女性)へさらに10キロ以上走って向かい夜這いをかけるしかないと判断。しかし走ると勃起しているポコチンがジャージのボトムスの中で痛いと悲鳴をあげている。まぁ夜だからいいか、とジャージのボトムスの股間ボタン3個を外しポコチン丸出しで走りながら彼女の自宅へ。下半身に気づいた人は完全に頭おかしい奴が走っていると思ったに違いない。で、幸い金曜夜だったので深夜まで起きていた彼女に「勃起したまま元に戻らないからセックスさせてくれ」と、とても恥ずかしいセリフを言って了承得て交尾するも……90分ハメていてもエクスタシーが来ない。つまり射精するタイミングが訪れないのだ。90分勃起し続けハメていたら彼女の局部が真っ赤に腫れあがってしまい体力も尽きたそうで終了。結局俺だけが疲れず勃起したまんま彼女の家で朝まで寝ることに。朝起きるとまだ勃起している。いや、待てよ。これは朝起ちじゃないか? でもドーピング効果は1日持続するって教えられていたからまだ昨夜の勃起が継続していたのかもしれない。どうやらとんでもない薬を飲んでしまったようだ。
初回から相当スゴイ効果がわかってしまったことで次回からは1錠づつに変更(当然だろ)。それ以降プロテイン飲料とドーピング剤を併用して練習やスパーリングすることが日常茶飯事に。この2種の組み合わせは日本に帰国してからも継続。ただ、アメリカにいた時も含め。試合の時は自分の美学として……というか良心回路がまだ働いていたのか一週間以上前からドーピング剤は一切摂取しなかった。発覚するのが怖いのではなくチートになるからである。さすがに格闘技の試合で使うのは卑怯極まりない(スパーリングでも卑怯だけどなっ!)。半年ぐらいすると背中に少々異変を感じるようになる。背中上部に小さなボツボツした湿疹みたいなのが沢山できた。別に痒みとかはないけどきっとドーピングの副作用ではなかろうか。帰国してからもドーピングして強くなっているなんて周囲に知られたら恥ずかしかったので誰にも言えなかったが、父親にだけは実家帰った際になんとなく話をした。父親から「久しぶりにお前のカラダ見たけど筋肉ついて良いカラダになってきたな」と言われたので「ちょっとドーピングしてるんだよね(ちょっとじゃねーだろ!)」と返したが、それを冗談に受け止めたのか本気にしたのかどうか既に父親は27年ほど前に他界しているので不明だがそれ以上の反応はなかった。
帰国し、アニマル浜口ジム、スポーツ会館でサンボとレスリング、正道会館で空手とドーピングの活躍する場が多く、尋常じゃないぐらいのスタミナが備わるので1日トレーニングを8時間ぐらいやってもまだまだ体力が残存しているほど。驚いたのが関節技を食らっていても耐えられてしまうので自分で気づかないところでカラダを破壊してしまう点。そのせいで左肩甲骨を変形するほどまで破壊されたけど痛みは大してなかった。アドレナリン効果は危険ってこと。ドーピングは格闘技だけに効果があったわけではなく、日常でも大活躍した。野球チームとサッカーチームにも所属していたので球技やっても疲れ知らずだったのには驚いた。
ぶっちゃけ球技のセンスはなかったけどもドーピングのおかげでスタミナを失うことがなかったのは大きい。特にサッカーの試合でドーピング効果が発揮。ポジションはディフェンダーかキーパーだったが、ディフェンダーとしてゴール前を守っても疲れることなく動けたし、キーパーやって相手選手にボールごとカラダを蹴られても痛いことは痛いが(スパイク履いているからね)その痛みもドーピングの影響下で痛み軽減。
1日の睡眠時間が3時間程度でもドーピングのおかげで元気バリバリだったの
で早朝マクドナルドのバイト、日中は映画関係の広告代理店勤務、夜は居酒屋でのバイトと朝5時起床で深夜1時帰宅でも体力が持続したという恐ろしいドーピング効果。眠らずに済むっていうのはまさに覚醒剤と一緒。体重制限のある試合ではウエイトコントロールもドーピング使っていると特に減量は容易いし(体重増量の方が難しかった)若気の至りでそういうことの繰り返しがカラダを蝕んでいたことに全く気づいていなかったのだ。プロテイン飲料は毎日牛乳で朝夜と2杯、ドーピング剤は練習の時に飲むので週4錠。まさにドラッグ中毒にも近い状態であろう。当時の目標は白帯のままで黒帯の選手を倒すことだった。帯なんて飾りだよって勝手に思っていて、正道会館に所属していた時も昇段試験受けろって先輩諸氏たちからしつこく言われるが毎回断って最強の白帯選手になろうとバカなことを考えていた。それもこれもドーピングによる変な自信があったからなのかな。ただ自分の限界も実は感じていた。試合が決まったらドーピング剤は摂取しないようにしていたからか、試合では勝てない。スパーリングでは強かったのに本番に弱いのか? いや、ドーピングのチカラに頼りすぎていたのかもしれない。とは言いつつも新宿スポーツセンターで木村浩一郎選手から当時頻繁に打撃なしでの稽古つけてもらっていた際、ドーピング摂取状態からスパーリングしても木村さんにはなぜか一度も勝てなかった。あの人は寝技を本気でやったら化け物のように強い。さすが最強ゴリライモ(と言うといつも激怒するんだけど褒めているはずなのに……ね)。そのおかげで全日本選手権やトーナメントに出場しても決まって3位止まり、優勝なんてしたことすらないヘタレ。つまりドーピングに依存してしまうと自分本来のチカラが衰えてしまうってわけだ。ドーピングしないと強くなれないカラダなんて恥ずかしいだけ……。
ちなみに正道会館の教え方は大変素晴らしかったのだが、辞めた理由は東日本選手権のトーナメントに出場した際、2回戦まで勝ち進んだが対戦相手からのハイキックをギリギリでガードしたにもかかわらず、主審の中川審判員が有効にしたことに起因。角度的にヒットしているように見えたのだろうが、そのハイキックが有効になったことでこちらのモチベーションも試合中に下がり判定負けしたから辞める決意をしたのである。この時代は怖いもの無しで尖っていたから些細なことで難癖付けていたイヤな奴だったんじゃないかな……。
父親が癌で亡くなり好き勝手バカやっている余裕が気持ち的にも無くなっていったので25歳で格闘技から完全に足を洗うと決め、最期に選んだ相手は第4回世界相撲選手権で優勝したエマニュエル・ヤーブロー選手。こちらは体重を10kgほど増やしまくってカラダを作り、対戦を直接直訴するべく無謀にも両国国技館へ行き挑戦状を叩きつける。その際に総合格闘技の試合で了承を得られ、関係者らの前で証拠写真を撮影。彼のマネージャーには「日本でもアメリカでも構わないからミックスドマーシャルアーツの試合を組んでくれたら出向く」と伝えたら「あなたの試合映像のビデオを送ってくれ」と言われ、正道会館の東日本選手権に出た時のVHSを国際郵便でアメリカのヤーブロー宅へ送付。ヤーブローは体重300kgの巨漢だ。ドーピングは試合で絶対使わないと自分ルールで決めていたものの、上に乗られたら絶対返せないと思い、どうせ格闘人生の最期だからドーピング決めてやると問答無用に勝負することにした。UFC3で負けたヤーブローが相撲の世界でトップ獲ろうとする……というのもなんだかモヤモヤしていたので自分の引退試合には巨大な敵と戦いたいと挑戦するに至った経緯なのだが、3カ月ほどトレーニングに没頭していたものの一向に先方から連絡がない。
こっちはカラダ作って練習しているというのに何の進展もないのはおかしいと思って連絡したところ「ヤーブローはローキックなしのルールじゃないと試合できないと言ってる」とのこと。彼に送ったVHSには俺の強烈なローキックが放たれた映像が収録されていたからか、それを見て敵前逃亡したとしか思えない。
あまりにも情けないヤーブローの敵前逃亡劇に最期を飾る試合もできず、残っていたドーピング剤も不要と全部トイレに流して常用摂取を断ち切る。副作用と言えば背中や腕に痒みのない湿疹ができたのと勃起したら勝手に持続、からの遅漏、一番の異変は痛覚が鈍くなってきていたことか。51歳になった今では痛覚の鈍さがある程度継続している。殴られても叩かれても痛みが来るのが遅かったり痛みが勝手に軽減されていたりするのはおそらくドーピングの副作用が絡んでいるような気が。でも交通事故で痛めた首と腰のヘルニアは常に痛いんだよね。そういう痛みには適用されないてことかもしれない。28歳から29歳頃だったか、この頃に初めてオシッコの勢いが衰えてきたのを感じた。今まで勢い良くジャーって出ていたのがチョロチョロと尿道からの勢いが減退。それが腎臓を破壊しているとも知らず年齢的なものなのかと勘違いしていた……。
年に1回の健康診断だけでは気づかない部分も多々あって、30代後半に「腎臓がちょっと悪くなっているかな」と医者から言われていたものの、さすがにまだまだ働き盛りで元気があったので特に気にもせず。問題だったのがプロテイン飲料を毎日朝夜と欠かさず運動しない日でも飲み続けていたのである。これはタンパク質の過剰摂取に繋がるそうで、腎臓にも多大に負担をかけていたようだ。そして37歳で腎不全と診断され「このままだと5年もキミの腎臓は持たない」と死刑宣告を受けるかのように医者から牽制される。思い当たるのはドーピング剤の常用とプロテイン飲料の過剰摂取が原因だろう。それ以外にここまで腎臓がボロボロになるなんて思い当たる理由はない。プロテイン飲料で腎臓悪くなる例は数々聞いていたがドーピングでも腎臓が悪くなるのかと……無知は怖い。
確かにドーピングすると心臓や内臓関係にダメージ受けると聞いていたけど俺はどうやら腎臓に来た様子。友人のアクション監督、谷垣健治氏も「プロテイン飲料は一切飲まない」って言っていたのはあながち間違いではなかった。プロレスラーや格闘家、ボディビルダーが心不全や腎不全で亡くなるケースは多いけど、それはタンパク質の過剰摂取も要因していると医者から言われて納得。しかしだ、ドーピングの副作用は頭がハゲたり、カラダ全体に団子状の膨らみが出たり、心不全が圧倒的に多いはず。俺自身の心臓は毛が生えているといつも言われるぐらい強心臓なのでドーピングの副作用は心臓に行かず、腎臓に向かったとしか思えない。ハルク・ホーガン、ランディ・サベージ、ザ・ロック、ビル・ゴールドバーグ、ゲーリー・オブライト、ダイナマイト・キッド、デイビーボーイ・スミス、アーノルド・シュワルツェネッガー、シルヴェスター・スタローン(彼はハゲちゃったのでウィッグ着用)などドーピング愛用者の共通点は皆さん髪の毛が抜けていたり異常な筋肉質、または過剰すぎるスタミナの持続など。日本人のプロレスラーでもドーピングでハゲちゃっている選手も何人か知っているが年齢重ねていくとカラダがボロボロになっている姿を見て「嗚呼、若い頃ドーピングしまくっていたんだろうな」と常用者の自分的にはわかってしまう。
というわけで、ドーピングを5年続けていたバカの末路には腎不全からの尿毒症で死にそうになり、最終的に人工透析するはめになった情けないエピローグが待っていたのでした。透析受けることになったら週3回も病院へ通って毎回4時間もベッド上で寝ていなくてはならないから家族や友人知人に迷惑をかけると思って絶対透析だけは回避し、もし尿毒症になったら死を覚悟すると決めていた。そんな折、9歳の娘に尿毒症で昏睡一歩手前まで来た際、「もう俺のカラダは長くない」とサヨナラを言ったら「パパが死んだら自分も死ぬ!」と泣きながら言われたことで思い直して透析を受けることにしたのです。実際、昨年の春から会う人たちには「今日で会うのはおそらく最期だと思う」と別れの挨拶はかなりの面々に済ませていた。それだけ本気で死を覚悟していたってこと。だが地獄は俺をまだ迎え入れてくれなかったので、あと数年は生きたまま地獄を味わうことになるでしょう。なもんでアスリートの人たちに伝えたい。ドーピングは確かにスゴイ効果が表れるけど絶対クセになるので手を出してはダメ絶対! 俺みたいに腎不全になりたくなかったら手を出しちゃダメ! ハゲたくなかったら手を出しちゃダメ! とは言いつつも過去を水に流したくはないので自分的にはドーピングやりながらトレーニングしていたことを決して後悔していない。むしろ約5年間の格闘技漬けの生活が自分自身初めての青春だったので、ドーピングはダメだけど否定してしまったら吉田自身そのものの生き方を否定することになる。恥ずかしい過去の汚点は拭えないけども興味本位で手を出すとかも危ないから止めるべきです。そういえばロシア行ったら普通に薬局でドーピング剤売っていたけども、今は購入しても日本には持ち込めないでしょうね。