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自分の使命を考えると不幸になる

はじめに

人の心について勉強していると「使命」や「天命」または「天職」ついての記述を見ることがあります。
(以降使命で統一します)

人にはそれぞれには「使命」があり使命に従って生きると幸せになるというものです。

本当に人に使命はあるのか?そして使命に従って生きると本当に幸せになるのしょうか?

使命の意味が間違っている

使命と聞くと多くの人は今の自分のやっていること以外を想像します。

例えば事務的な仕事をしている人は使命は事務仕事以外だと考えます。

なぜ事務の仕事は使命ではないのか?
それは使命はもっとドラマティックであるべきだという
考えがあるからです。

さらに深く考えていくと使命があると思うのは人が生きている意味を見つけたいという欲求からきています。

では人が生きている意味は何でしょうか?

論理的に考えれば生きている意味はありません。
ご飯を食べ仕事をして寝る..日々欲求に従って生きているだけです。

そのように考えていくと世間で言われていような人には
大きな使命はありません。

あえて言うなら今現在やっていることが使命と言えるでしょう。

今できることを使命とする

今やっている仕事や役割を一生懸命やることが使命だと思います。

つまらい思うことでも心を込めてやれば使命になります。
例え誰でも出来ると言わようが心を込めてやれば立派な使命です。

周囲から評価されなくてもやること自体に意味があります。

どんなことでも誰かがやる必要があるのでその役割や仕事があります。

だからどんなことでも使命になります。

自分の役割をしっかりとやった結果、周囲の評価を気にしなくなったらそれは本当に凄いことです。

その人は行為を通して貢献していることに喜びを感じているからです。

そう考えると家事をメインでやっているお母さんは凄いです。

家族のために食事を作り掃除をしてもあまり感謝されません。
「いつもありがとう」と言われないお母さんもいるでしょう。

それでも家事が出来るのは役割や使命を超えて家族に役立っていることに喜びを感じているからこそ続けられるのでしょう。

最近は仕事をしながら家事をしている方も多いと思います。
本当に頭が下がる思いです。

どうやら人のために何かをすることや人に対する優しい気持ちからする行為が使命と言えそうです。

天職なども同様に考えた方がいいでしょう。

「自分にはどんな才能があるのか?」と自問するのではなく「自分は今誰かのために出来ることはあるか?」と考えると今やるべきことが見えるのではないかと思います。



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