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心理ネットワークアプローチを「臨床革命」と呼ぶ理由:心理学の「統計革命」 (特にベイズ統計学) との類似性

※下記のエッセイは,『認知行動療法研究』48巻1号の特集「認知行動療法研究の新時代を切り開く研究法」上で樫原 潤・伊藤 正哉が執筆した論文「心理ネットワークアプローチがもたらす『臨床革命』―認知行動療法の文脈に基づく展望―」の補足資料です。

もともと,特集の特設ページで公開されていたものですが,「どうせならばもっと多くの人に読んでもらいたい!」ということで,noteでも公開することにしました。なお,このエッセイは,厳密な査読を受けた文章ではありません。引用などしていただける場合には,論文本体を引用していただくようお願いします。


はじめに

このエッセイでは,論文本体の「かっちりとした文章」とは別建てで,「心理ネットワークのよもやま話」を書きます。筆者らは,心理ネットワークアプローチを「統計に強い研究オタクの新しいおもちゃ」にするのではなく,「それぞれの目的意識や理解度に応じて,誰もが気軽に活用・参照できるもの」にしていきたいと考えています。そのために,研究者・臨床実践者といった垣根を越えた率直で気軽な意見交換,言い換えれば「雑談」がしたいと思い,1つのきっかけ作りとしてこのエッセイを執筆することにしました。

みなさまには,ぜひ筆者らとお茶でも飲みながら「雑談」しているつもりで,「なるほどねえ」という合いの手や,「いや,それはどうかな?」というツッコミを心の中で入れながら読んでいただければと思います。そして,別記事で紹介するSlackグループや学会などの場でみなさまと本当に「雑談」できることを,今から楽しみにお待ちしています。


「臨床革命」とはなんぞや?

みなさまは,論文タイトルの「臨床革命」という言葉について,初見でどのような印象を持たれたでしょうか?「わくわくして読むのが楽しみになった!」と思われた方だけでなく,「本当にそんなすごい話なのか?」「奇をてらっているだけではないか?」といぶかしんだ方もいらっしゃったかと思います。また,「いままでの臨床を否定するつもりか」「若造が大言壮語しおって」とあきれた方もおられたでしょう。

まず初めに断っておきたいのは,私たちが「革命」という表現を用いたのは,これまでの臨床実践を否定するためではありません。むしろ,「臨床実践の現場から乖離していきかねない学術研究のあり方を見直し,もっと現場の実情に沿ったものへと変えていく」ということを意図しています。フランス革命などの市民革命が「市民のための政治」を実現するための運動であったように,私たちも心理ネットワークアプローチを契機として「臨床実践のための学術研究」を実現していきたいと考えています (従来の学術研究がどのように臨床実践と乖離していたのか,心理ネットワークアプローチによってどのような変革が期待できるのか,という詳細は論文本体をご確認ください)。

また,「臨床革命」という言葉は,心理統計学をめぐる「統計革命」になぞらえたものでもあります。ここからは,「統計革命」の概要について紹介し,心理ネットワークアプローチとの類似性をまとめた上で,「臨床革命」の向かう先について考えてみます。


心理統計学をめぐる「統計革命」

以下,2018年に刊行された『心理学評論』の「統計革命」特集号 (61巻1号) の議論を参考に,「統計革命」の概要をまとめてみたいと思います。心理学研究については,近年,「研究結果の再現性に乏しい」「分析結果を確認してから仮説を後付けするなどの,不適切な研究実践が横行している」「研究のプロセスが不透明である」などの批判が相次いでいました。こうした状況を変えるための同時多発的なムーブメントが「統計革命」であり,それは「ベイズ統計モデリング (ベイズ統計学)」「モデル評価」「オープンサイエンス」の3本柱から成り立っています (三浦・岡田・清水, 2018)。

このうち,モデル評価とは,「データの解析結果を見てから理屈をこしらえるのではなく,理論に裏打ちされたモデルを事前に構築し,そのモデルの適切性をデータで評価する」というものです。また,オープンサイエンスとは,研究で用いたデータや解析コード,実験素材などを,誰もがアクセス可能な場所 (例えば,Open Science Framework; 以下OSF) で共有し,研究の透明性を担保していくというものです。残るベイズ統計学については,心理ネットワークアプローチとの類似点が特に多いと感じているので,次節でその概要を述べたいと思います。

上記の「統計革命」が「革命」と呼ばれる理由について,筆者らは,「統計解析に根差した心理学研究を行うすべての人」に対して「ものの見方を根本から見直す」ことを提案するものだから,と考えています。心理統計学の論文では,特定のテーマで活用できる新しいデータ解析法が提案されることが多いですが,「統計革命」は,「従来通りの研究実践で本当に良いのか」という問いをすべての心理学研究者に投げかけたわけです。もちろん,「統計革命」で提案されるやり方を誰もが踏襲しているわけではありませんし,また「統計革命」の論者も「このやり方を踏襲せよ」と迫ってはいません (すべての研究を一色に塗りつぶすのは,科学として不健全なあり方でしょう)。そうではなく,「根源的な問いを関係者すべてに投げかける」ということそのものに大きな意義があったと考えています。このことで,「ベイズ統計学ではなく帰無仮説検定をこれまで通り実施するが,結果の拡大解釈にならないようここに気をつけよう」「オープンサイエンスを実現できない事情があるが,せめてここだけでも工夫しよう」といった形で,伝統的な研究実践の洗練が進み,心理学全体のさらなる発展が促されているように感じます。


心理ネットワークアプローチと「統計革命」 (特にベイズ統計学) の類似性

ここからは,心理ネットワークアプローチと「統計革命」アプローチ (中でもベイズ統計学) の共通点をいくつか挙げていきます。第1に,どちらのアプローチについても,「ただ便利な分析を提案するというものではなく,ものの見方をがらっと変えている」という特徴が挙げられます。論文本文に記したように,心理ネットワークアプローチは「疾病概念ではなく,個別症状の相互作用関係に着目して精神疾患を理解する」という形で,大胆な視座の転換を行っています。「統計革命」の柱であるベイズ統計学でも,従来の「帰無仮説を想定して,手元のデータが特筆すべきものだったかどうかを評価する」という形から,「手元のデータを踏まえて,仮説がどの程度適切だったのかを評価し,より良い仮説を練り上げていく」という形へと,大きな視座の転換を行っています。

第2に,上記のような視座の転換が,現実場面の実感に則した方向へと行われている点が挙げられます。「個別症状の相互作用関係に着目して精神疾患を理解する」というあり方が臨床実践の現実に沿った自然な発想である,というのは論文本体で述べた通りですが,「手元のデータを踏まえて,仮説を評価し更新していく」というベイズ統計学のあり方もまた,研究実践の現実に沿った自然な発想と言えるでしょう。研究実践では,「人とつながっている実感があった方が幸せだろう」などの仮説を検証するために「交友関係と主観的幸福感」などのデータを収集しよう,と考えていくのが通常です。そのため,「交友関係と主観的幸福感の関連は皆無であると仮定して,手元のデータがどうだったのかを評価しよう」という従来の帰無仮説検定は,自然な思考の流れに反したものだったと考えることができます。

第3に,心理ネットワーク分析とベイズ統計学の双方について,「従来のものよりも数学的に高度かというと,そうではない」という議論がなされています。論文本体では,心理ネットワークモデルと潜在変数モデルが数学的に等価であることを述べましたが,ベイズ統計学で計算される「仮説が真である確率」も,サンプリングによって変動し,かつ統計的な様々な仮定のもと成り立つという点では帰無仮説検定と同様である,ということが指摘されています (南風原, 2018)。むしろ,「モデルを高度化・複雑化するという発想をやめ,視座を転換することで,現実場面への応用が効きやすい分析を開発していく」というのを売りにしている点が,心理ネットワークアプローチとベイズ統計学の共通点だといえます。

第4に,心理ネットワークアプローチも「統計革命」も,近年のコンピュータ・情報通信技術の発展に支えられて急速に拡大しているということが挙げられます。「統計革命」の柱であるオープンサイエンスも,「データや解析コードを,誰もが気軽にアップロード・ダウンロードできる」という環境がなければ実現し得ないものですし,そうした環境が実現されたからこそ「先行研究の解析コードを真似るところから,心理ネットワーク分析を勉強しよう」ということが可能になっています。また,心理ネットワーク分析もベイズ統計も反復計算を行う場面がよくありますが,それを誰でも行えるのはコンピュータの処理速度が向上からに他なりません。筆頭著者 (樫原) は,自前のノートPCで心理ネットワーク分析を動かしては「計算終了まで20分も待たねばならんのか」などとよく文句を言っていますが,「ノートPCでも待てばできる」というのは,よく考えればすごいことです。コンピュータ・通信技術が進歩しておらず,「スーパーコンピュータでもない限り,心理ネットワーク分析は実施できない」という状況だったならば,中高生時代,数学の追試の常連だった私が心理ネットワークアプローチに手を出すことはなかったでしょう。

上記のように類似性をまとめましたが,実は,心理ネットワークアプローチもベイズ統計学も,オランダのアムステルダム大学を中心に発展しています。これは単なる偶然ではなく,アムステルダム大学内で研究者同士の活発な相互作用があるからこそ,上記のような類似性を持ったアプローチが複数発展していると想像されます。同大学の心理学分野にはPsychological Methodsのグループがあり,その中にはDenny Borsboomを中心とした心理ネットワークアプローチのユニットと,Eric-Jan Wagenmakersを中心としたベイズ統計学のユニットが形成され,双方のユニットに沢山の優秀な心理統計学者が集っています。「心理統計学者だけで構成されている部署が複数ある」というのは日本では想像もつかない豪華な環境であり,革命的なアプローチが同時並行で発展してきた背景には,アムステルダム大学による心理統計への重点的投資があったと考えられます。

 

おわりに

以上,心理統計における「統計革命」との類似性に着目しつつ,心理ネットワークを「臨床革命」と呼ぶ理由について述べてきましたが,いかがだったでしょうか?「なるほど,確かに革命的だ」とご納得いただく方だけでなく,「心理ネットワークの革新性について,まだ半信半疑だ」「潜在変数モデルにも相応の良さがあるはずだ」とお感じの方もいらっしゃるかもしれません。

私たちは,そのどちらのご意見も大事にしたいと考えています。「統計革命」の概要を説明する際に,誰もが「統計革命」のやり方を踏襲するのは科学として不健全だと述べましたが,それと同様に,臨床心理学の研究が心理ネットワークアプローチで埋め尽くされてしまうのは不健全だと考えています。そうではなく,潜在変数モデルやその他の伝統的なアプローチを用いる際に,「人間の精神の理解の深化とケアや実践の向上に,どうすればもっと寄与できるか」と議論する流れが生まれることを願っています。そのような積み重ねの中で「心理ネットワークアプローチにはない,他のアプローチの良さ」が明らかになっていき,臨床実践者が活用しやすい研究知見が世の中に増えていったならば,筆者らとしてはこんなに嬉しいことはありません。心理ネットワークアプローチの台頭を1つの契機として,研究者や臨床実践者といった立場を越えた,全員参加での「臨床革命」が進んでいくことを切に願っています。

 

引用文献

南風原 朝和 (2018). 心理統計の新しい展開と今後の統計教育 心理学評論, 61, 142–146.

三浦 麻子・岡田 謙介・清水 裕士 (2018). 統計革命: Make statistics great again. ―特集号の刊行にあたって― 心理学評論, 61, 1–2.

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