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「Jagatara2020 ライブ&ドキュメント」を見て。

スペースシャワーTVで2夜続けてJAGATARAの番組を見た。一昨日は93年の「江戸アケミ詩文集出版記念・JAGATARAなきJAGATARA」アンコール放送。昨日は「Jagatara2020 ライブ&ドキュメント」初放送。テレビの前に座って音量も大きめにじっくり見ながら、自分にとってJAGATARAとはなんだったのかを改めて考えることになった(答えはまだ出ないけど)。

まず93年の「JAGATARAなきJAGATARA」。27年前とあって、さすがにメンバーも近田さんらゲストの方々もみんなお若い。

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ユカリさんがかっこよくて華がある。江戸アケミさんありし日のJAGATARAでは南さんと共にコーラス&ダンスを担当されていたが、この(93年の)ときはもうサックスプレイヤーとして、ダンスの南さんとは完全に異なる独立した役割を果たしている。国外に目を向ければキャンディ・ダルファーがいるが、日本にはああいうセクシーな衣装であんなふうにかっこよく吹く女性プレイヤーはほかに見当たらないわけで、改めてJAGATARAにおいてのユカリさんの存在の大きさを思った。

ゲストを迎えての曲のなかでは、チエコ・ビューティーの歌った「夢の海」がとてもよかった。ポップでキラキラしてて、JAGATARAのなかでもポップ度数の高いあの曲に声と醸し出す雰囲気が合っていた。

完全に忘れていたが、「都市生活者の夜」では江戸さんの歌がそこに響いていた。1月のクアトロの「夢の海」同様、バンドが演奏して江戸さんの歌がそこに響くという(Otoさん言うところの)逆カラオケがそこでもあったのだ。

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そして、昨夜の「Jagatara2020 ライブ&ドキュメント」。これが素晴らしかった。あのライブに関与していた全てのひとたち…メンバーとゲストの方々のどの言葉にもハッとさせられるところやグッとくるところがあった。

ある意味で進行役的な役割を果たしてたOtoさん、それから南さんのいろんな言葉ももちろんだが、EBBYさんが「「裸の王様」以降はメンバーがフィックスされてバンド感があった。『南蛮渡来』しか聴かないという原理主義的なひとにとっては軟派に思えたかもしれないけど、86年以降のJAGATARAはいいぜ!って言いたくなる」と言っていたのが印象に残った。そう、確かに江戸さんが本格復帰した86年にJAGATARAは本当の意味でバンドになったのだ(そして永久保存された以降は、バンドというより運動体であり続けている)。

1月27日のライブには出演されてなかった若い3人の言葉もすごくよかった。いまこの時代に江戸アケミの言葉がリアルで必要だと話すMars89、「edo akemi」という曲を発表しているWool&The Pantsの徳茂悠さん、OKAMOTO'Sのオカモトショウさん。それぞれがそれぞれの深い理解の仕方で、じゃがたら~江戸アケミのバトンを確かに受け取っていることが言葉から伝わってきたし、ハッとさせられるJAGATARA解釈もあった。

クアトロライブの翌日に行われたトークを中心にしたイベント「Jagatara2020 ナンのこっちゃい生サロン」から、宮台真司さんと山本政志監督の言葉がピックアップされていたのもよかった。特に山本監督の「アケミは凄い人だったと言われてるけど、オレはあいつのバカなとこいっぱい知ってるから。じゃがたらのバカパートを忘れてほしくないんだよ」という言葉が使われたところに、番組制作者の理解を感じた。Otoさんへのインタビューでも僕はそのことを話させてもらったが、JAGATARAを語る上で抜き落としてはいけない、それも江戸さんの重要な側面だったと僕は思っている。

それから「Jagatara2020 ナンのこっちゃい生サロン」に来ていたお客さんたちの言葉もどれも印象的で、特にそのうちのひとりが「僕の友達や同世代の何人かは、もうアケミがいないから(今回のライブに)行かないって言ってたけど、僕はそういうのが理解できない。肉体だけに固執するのはよくないと思っていて…」と言ってたのが響いた。肉体は滅びても魂は残る…とはよく言われることだが、まさにそういうことだ。そして、その次に話していたのが客としてその生サロンに来ていたラッパーのダースレイダーさんで、彼は「AIでできる国民的歌手みたいな形にならないからこその江戸アケミであるってことが前提で、それをどう伝えるかというのは難しいミッションだけど、でもいま江戸アケミの何かが必要だというのはすごく大事な感覚だと思うので、それを江戸アケミに関わったひとたちが、こんなこと言ってたんですとかって今の時代に合わせた形で発信するのがすごく大事なことだと思います」と話していて、これにもテレビの前で深く頷いてしまった。

番組は、こういった様々なひとたちの言葉と、江戸さんありし日のライブ映像や江戸さんの言葉、そして1月27日のJAGATARA2020のライブ映像を混ぜる形で構成されていた。クアトロのライブ映像は1曲まるごと流すことはせずにゲストが入った曲のそれぞれのよさが現れた数秒をつまんで繫いでいく形だったが、3時間に及んだライブを丸ごと流すよりもテンポのいいこの形でこそよかったし正解だったと思う。数秒ずつであってもそれぞれの個性とそれぞれのJAGATARA解釈がそこから十分伝わってきた。また実際にライブを観たときとは印象の異なる部分もいくつかあり、例えば大槻ケンヂの歌った「タンゴ」のロックアレンジも今回改めて聴いたらすごくかっこいいじゃないかと思えたのだった。そしてやっぱりNobuさんによる「FADE OUT」と町田康さんによる「アジテーション」と折坂悠太さんによる「中産階級ハーレム」と続いた3曲が白眉だったと改めて思った。

無人のマイクスタンドにスポットライトがあたって江戸さんの声が響いた「夢の海」では見ていてまた泣いてしまったが、そのあとの番組の作りが素晴らしかった。クアトロライブの最後で観客と出演者全員による大合唱が起きた「もうがまんできない」のその場面と、89年の寿町のフリーライブで客がひとつになってたそのときの映像が重なる形で映し出されたのだ。江戸アケミとそのバンドがJAGATARAなのではなく、その場所にこうしているみんなが……そのひとりひとりがJAGATARAなのだという、江戸さんがあの頃から発していたメッセージ。それが時空を超えたふたつのライブの映像を重ねることで明確に伝えられたのだ。ここで僕は震えるほど感動した。

と、このように、番組制作者の編集と構成にJAGATARAへの深い理解と熱い思いと愛を強く感じた。それが僕には嬉しかったし、番組制作者に感謝したい。本当に素晴らしいドキュメンタリーだった。リピート放送が4/4と4/17にあるようなので、見逃した方はその機会にぜひ見てもらいたい。

そして番組をご覧になられた方は、このライブの3日後に行なったOtoさんのインタビュー記事も読んでいただけると、いまのこの社会にJAGATARAの音楽がいかに必要か、よりわかってもらえると思う。

最後にもうひとつ。

前にも書いた通り、自分は82年に初めてじゃがたらのライブを観て、86年から89年までは追いかけるようにJAGATARAのライブをあちこちに観に行っていた。なにせ30数年も前なのでそのひとつひとつについて文字に起こせるほど確かな記憶は残ってないが、芝浦インクのあのワンマンのときの「BIG DOOR」が最高に凄まじかったとか、そういう点としての記憶がいくつか残っている。そんななかで、ときどき思い出すのが、あれは横浜からバスに乗って着いたどこか(場所をはっきり覚えてない)の野外イベントでのこと(ジャズ・フェス的なものだったように記憶している)。演奏の途中で、江戸さんが突然空を指して「とんびだ!」と言ったのだ。みんながそのとき空を見上げて、輪を描くように上空を飛んでいたとんびを目で追った。なんとも言えない幸福感のようなものがあった。

先頃出たムック「じゃがたら おまえはおまえの踊りをおどれ」のなかで、志田歩さんが次のように書かれている。

「もうひとつ鮮烈に覚えているのは、法政大学の野外ステージでのコンサートだ。演奏途中でアケミが天を指差し「星が見えてるぞ!」と放った言葉に、その瞬間その場を共にできていることへの強烈な幸福感が込み上げ、アケミもまたそうした想いを嚙み締めていると確信した。じゃがたらの持つ包容力とは、すなわち共生感だった」

これを読んで、そうだ、僕と一緒に見ていた友達のサクラバくんがあのとき感じたのもまさに「その瞬間その場を共にできていることへの強烈な幸福感」であり、まさしくそれは志田さんの言う「共生感」だったのだと気づいた。

余談だが、そのイベントが終わってから、僕とサクラバくんは横浜中華街まで行き、テキトーに店に入ったのだが、そうしたらその店の奥にじゃがたらのメンバーがいて円卓を囲んでごはんを食べていた。が、江戸さんだけそこにはいなかった。と、そんなことも僕のじゃがたらの記憶のひとつだったりする。

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