木村充揮『ザ・ライブ!』ライナーノーツ
木村充揮さんが2019年4月にリリースしたライブ・アルバム『ザ・ライブ!』。そのライナーノーツを公開します。
文中にもある通り、『ザ・ライブ!』は2018年4月に「木村充揮 下北沢ライブサーキット」のタイトルで行われた5日間公演のうちの4日間の名唱・名場面をまとめて、CD2枚に収めたもの。
先日、発売元であるEDOYAのプロデューサー兼ディレクター、畝本さんとメールでやりとりをしているなか、「あれ、CDじゃなくてストリーミングで聴いているひとも多いみたいで」「そういうひとたちは、ライナー、読めないわけですもんね」「読めるようになってたら喜ぶよね」ってな話になりまして。「なんだったら全文掲載、OKですよ」と嬉しい言葉もいただきましてね。でまあ、僕としてもそりゃ多くのひとに読んでもらいたいし。ひとりでも多くのひとに木村さんのナマ歌の素晴らしさを堪能してもらいたいし。ってことで、ここに公開させていただいた次第。
ステイホームのお供に好きなお酒でも呑みながら、改めて「読んで」「聴いて」いただければ幸いでございます。
世の中には、テレビの音楽番組によく出てくる人を“いま、イケてる”アーティストだと捉えている人がいる。ツイッターなどSNSで頻繁に話題になったり、音楽評論家のような人たちがよく論考したりする人を“イケてる”アーティストだと思っている人もいる。音楽が好きだと言いながら、作品でしかアーティストを評価しない人もいる。でも作品をコンスタントに出して、テレビの歌番組にもちょいちょい出て、SNSで話題になったりもするようなアーティストだけが“イケてる”わけでは断じてないし、当然そういう人たちだけで音楽の世界が成り立っているわけでもない。作品はそんなに出さないし、メディアにそんなに出はしないけど、精力的に音楽活動を続けて、ずっといい状態を保っているアーティストはたくさんいる。ライブで歌うこと。客を前に歌うこと。それを主軸として音楽活動をブレずにしぶとく続けているタフなアーティストがたくさんいる。こう書いても理解できない人には、このように言っておこう。「木村充揮を見てみい」と。
ライブハウスの情報をこまめにチェックしている人なら、木村充揮がどれだけ精力的にライブを行なっているか(ずっとそうしてきたか)、知っていることだろう。毎年100を軽く超える数のライブを行ない、この3月で65歳になるが未だその数が減る様子を見せない。もう何年もの間、毎年「ひとり旅ツアー」を行ない、2017年7月には京都・磔磔で「木村充揮満載な1週間」と題して多彩なゲストを迎えた7日間連続公演も敢行。昨年4月には「木村充揮 下北沢ライブサーキット」と題した「木村充揮満載な1週間」の東京版を行ない、7月に再び磔磔で1週間公演を行なったあと、翌月末には名古屋の得三での3日連続公演もあった。もちろんほかにも様々なイベントに出演し、様々なミュージシャンと共演する機会も非常に多い。まさに“ライブ、命”。木村にとっての音楽とは、即ちライブで歌うこと。ライブが暮らしであり、生きることそのものであり、生きる糧でもあるのだろう。
そういう木村にとって、作品は記録でしかない。と断定するのはよくないかもしれないが、恐らくほかのアーティストほどには重要ではないんじゃないかと思う。新しい曲を生み出すことよりも、そこにある“いい歌”を、“いい感じ”に聴かせることのほうが木村にとっては意味のあることなんじゃないか。
だから、歌うのがオリジナル曲であるかないかにも拘らない。『木村充揮自伝 憂歌団のぼく、いまのぼく』(K&Bパブリッシャーズ。2012年刊行)に、こんな一文がある。「今、ぼくは『オリジナルって、いったい何やろうなあ?』と思う。『昔の曲にも立派な曲がいっぱいあるし、それを歌うこともぼくのオリジナルと違うかなあ』とも思う」「誰の作った曲であれ、いい歌はいい歌だ。それがぼくの思いであり、ぼくの考えだ」。
ブルーズでも演歌でも歌謡曲でもジャズスタンダードでもイタリア歌曲でも童謡でもなんでも、木村充揮が歌えば木村充揮の歌になる。それはもう圧倒的かつ絶対的にそうであって、つまりそこにある曲にどれだけ自分の暮らしとか思いとか魂とかを込められるか。ただそれだけであることが即ち唯一無二の木村の歌唱の強度となっているのだろう。
そういうわけだから作品というものをずいぶん長らく出してなくて、アルバムとなると2014年3月にアナログ盤で出した『憂歌兄弟』以来、今作は5年ぶり。ソロアルバムとしては2011年に2枚続けて出したジャズスタンダードのカヴァー集以来、実に8年ぶりとなる。そして意外なことに、ソロとしてはこれが初のライブ盤。題して、『ザ・ライヴ!』。“ライブ、命”でずっと続けてきた木村の“そのまんま”がここに真空パックされているわけで、木村充揮という歌うたいがたまらなく好きな我々ファンにとってはこれ以上ない最高の新作ということになるだろう。そりゃあライブハウスに足を運んでナマで体感するほうがいいに決まっているが、しかし家でお酒をチビチビやりながら、いつでもラクなかっこであの“天使のダミ声”を味わえるのはやはりありがたいこと。普段ライブにあまり行かない人にいまの木村の凄さを知らしめる意味でも、これは最適な1枚だと言える。
録音されたのは2018年4月。「木村充揮 下北沢ライブサーキット」と題された東京・下北沢での5日間公演から、DISK-1の1~5までが9日の風知空知、6から9までが10日の440(four forty)。DISK-2の1から6までが11日のラカーニャ、7から13までが14日の風知空知で収録された。「木村充揮 下北沢ライブサーキット」には日ごとに異なるゲストも出演。本作では9日の風知空知に出演した藤沼伸一、10日の440に出演した三宅伸治と梅津和時、14日の風知空知に出演した有山じゅんじとのやりとりを聴くことができるのも嬉しいところだ。
藤沼伸一は昨年復活を遂げた亜無亜危異を始め、舞士、REGINAほか複数のバンドで活動。泉谷しげるのバンドでも長年弾き続けているギタリストだが、筆者の記憶している限り、これまで木村とがっぷり組んだことはなかったんじゃないか。だがPlayer誌上で「日本の5大ブルーズギタリストのひとり」として紹介されたこともあるように、ブルーズ特有のタメ感なども表現できるギタリストである故、呼吸はバッチリ。80年代前半に憂歌団は何度かRCサクセションや亜無亜危異とロックイベントで共演することがあり、その頃から亜無亜危異の生々しいロック衝動を「いいなぁ」と感じていた木村にとっては(もちろん藤沼にとっても)刺激的な共演だったことだろう。
三宅伸治と梅津和時と木村の共演は、キャラの異なる3者の合わさりが面白い。筆者が3人の共演を初めて観たのは梅津が新宿ピットインで毎年行なっている「梅津和時・プチ大仕事」だったが、数多のミュージシャンと共演してきた梅津や三宅であっても木村独特の進め方には手を焼いているようで、その様がなんとも面白かった。煙草を吸い、酒をおかわりし、ようやく曲が始まっても途中でまた観客に喋りかけたりする木村と、ちゃんと進めたい梅津&三宅。このアルバムにもそんなやりとりが収められている。尚、憂歌団の2ndシングル曲「たくあん」は三宅のたっての希望で演奏されたもの。また梅津と三宅と言えば、その線上には忌野清志郎という存在が浮かび上がるわけだが、RCサクセション「いい事ばかりはありゃしない」を3人で歌っているのも聴きどころだ(梅津もヴォーカルをとるというのはなかなかレア!)。
そして有山じゅんじ。上田正樹と有山の名盤『ぼちぼちいこか』が出たのも憂歌団のデビュー盤『憂歌団』が出たのも1975年であり、その頃から触発されあい、個人的にも付き合うようになった両者は、1998年には“木村充揮と有山じゅんじ”名義で『木村くんと有山くん』というアルバムもリリース。本作の「あなたも私もブルースが好き」と「陽よ昇れ」はそこに収録されていた曲だ。また「キムチはできるだけ辛い方がいい」は今回初めて録音された曲だが、元は70年代のサウス・トゥ・サウス時代に有山と上田正樹によって書かれた曲だそうだ。ふたりの歌とギターの個性と個性、そのぶつかり合いと溶け合いの様は思わず笑ってしまうほど。たまらない。
憂歌団の代表曲・レア曲、ソロアルバム収録曲、共演作からの曲、ジャズスタンダードやブルーズのカヴァー曲と、「誰の作った曲であれ、いい歌はいい歌」のポリシーのもと、たっぷり歌った5日間(のうちの4日間)のライブをギュッと凝縮した2枚組。そこには「いい感じ」のように、最近のライブ定番でありながら音源化は初となる曲もある。
まるでいますぐ目の前で木村がギターをかき鳴らして歌っているかのような、近くて、迫力があって、生々しい音と歌。力の入れ加減と抜き加減も見事な日本最高峰のヴォーカリストの“いまの歌”を、どっぷりと浸るように味わってほしい。
2019年2月12日、内本順一
↓こちら、アルバム・リリース後に行なったインタビュー記事です。