![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/64763643/rectangle_large_type_2_2ccbc2bfa6ee322b7eba2223170f107d.jpg?width=1200)
『グレタ ひとりぼっちの挑戦』
2021年11月1日(月)
吉祥寺アップリンクで、『グレタ ひとりぼっちの挑戦』。
観てよかった。アクティビストとしてのグレタさんだけでなく、多様な面をもったひとりの若い女性としてちゃんと戸惑い、ちゃんと悩み、ちゃんと葛藤し、ちゃんと弱音をはいて、それでも信念を曲げずに動く姿が描かれていた。
彼女の目にこの世界がどう見えているのかもよくわかり、観ていて心が痛んだり、恥ずかしくなったり、勇気をもらったりもした。
彼女のスピーチに拍手して讃えるひとはたくさんいるが、時間はないからすぐに動いてほしいという訴えに応えるひとがいない。拍手して讃えてそれで終わりなの? そんなのはいらない。私は変えたいだけ。だから動く。こんなこと、やらなくていいならやってない。やらないとダメだからやっている。言ってることとやってることが違うひとにはなりたくない……。シンプルだ。行動力はシンプルさに宿る。ということをグレタさんに教えられる。
『ビリー・アイリッシュ/世界は少しぼやけている』を観て感じたものと、かなり近いものがあった。ふたりとも10代で温暖化への危機感を表明・表現しているから……というだけではなく、そのなかでの葛藤と、でも続けるんだという意志の部分で。
いやそれにしても、ストライキを始めたばかりの頃からグレタさんに密着してカメラを回していたネイサン・グロスマン監督、すごいな。ヨットで大西洋横断する際にも同乗して撮ってるわけだから。それでいて同調しすぎず、適切な距離感を持ちながら接して作品にしているからよいのだろう。
因みに原題は『I AM GRETA』なんだが、『グレタ ひとりぼっちの挑戦』という邦題は、ちょっとどうか。家族、特に父親のサポートは非常に大きく、父親との対話があったからこそ彼女はいろんなことに気づけている。彼女は「ぼっち」なんかじゃない。意図はわかるが、そのまま『アイ・アム・グレタ』『私はグレタ』で行ってほしくはあった。