対談: オカモトコウキ(OKAMOTO'S)×倉品翔(GOOD BYE APRIL)。1990年生まれのふたりが語る世代感、バンドとソロ活動、共同制作の逸話、喪失と時間。
いま新しいソロアルバムを作っていて、そのタイトルは『時のぬけがら』になる。下北沢で倉品翔くんと一緒に呑んでいたときに、オカモトコウキくんからそう聞いたのは、今年の年明けのことだ。「”夏のぬけがら”っぽいね」と、真島昌利が1989年に出した1stソロアルバムのタイトルを思い出しながらそのとき言ってしまったのは少し酔ってもいたからだけど、春になる頃に完成したそのアルバムを彼から受け取って聴き、そしてそれを毎日のように繰り返し聴きながら、自分はコウキくんのそのアルバムを真島昌利の『夏のぬけがら』や仲井戸麗市の『絵』(1990年)の横に並べて置いておきたくもなったのだった。
バンドの、ヴォーカリストではなく、ギタリストのアルバム。だけどギター以上に歌を前に出しているアルバム。極めてパーソナルな思いを綴ったアルバム。だけど曲調は多彩で、古いも新しいもない、タイムレスなアルバム。そういうところでその2作と通じているし、あくまでも主観ではあるけど夏や夏の終りに聴くのが最高に合いそうなアルバムであることも大きい(嬉しいことに7月20日にアナログ盤も出る!)
自身の内側を見つめて歌詞を書いているのに、音楽的には外に開かれている。聴き手に寄り添う感覚を持つパーソナルな作品でありながら、実際は気の合う複数のミュージシャンたちと作られている。シンガー・ソングライターとしての個性を十二分に感じさせながら、バンドアンサンブルの妙も味わえる。そういうところもそのアルバム『時のぬけがら』のユニークな魅力だ。
約半数の曲を大林亮三(SANABAGUN./Ryozo Band)と共作。ファンクやレア・グルーヴ、あるいはブラジリアンミュージック寄りのモダンな曲で、大林の技術と知識とセンスが活きている。一方、『時のぬけがら』には正攻法的とも言えるポップス曲もあり、その輝きがアルバムの奥行きや豊かさにも繋がっている。「君は幻」と「SMOKE」。どちらもアルバムのリード曲となり、MVも作られた曲だが、この2曲のプロデュースを担当し、「君は幻」ではコーラスやストリングスアレンジでも貢献したのがGOOD BYE APRILの倉品翔だ。対談の言葉にもあるように、コウキくんは曲順についても倉品くんに相談。それ以外でも彼は、このアルバム制作になくてはならない重要なミュージシャンのひとりだったわけだ。
倉品くんがヴォーカルのGOOD BYE APRILは2010年の終わりに結成し、長らくネオ・ニューミュージックを標榜するバンドとして活動してきた。が、2020年にリリースしたアルバム『Xanadu』でサウンドを大きく変え、シティポップにグッと寄った表現に。そこから注目度と評価が一気に高まり、今年1月リリースの『swing in the dark』では現行の洋楽ポップをも消化しながらさらにサウンドを進化させたところだ。倉品くんは一方、ソロでもライヴを積極的に行ない、また河口恭吾のようなベテランから若手の女性歌手まで広くプロデュースやアレンジを手掛けてもいる。
そんな倉品翔くんとオカモトコウキくんは、ふたりとも1990年生まれの一人っ子。ほかにも通じるところがいろいろあるようで……。そのあたりのことや、制作に関するエピソード、そして『時のぬけがら』のテーマでもある”喪失と時間”についてなどを、コウキくんのホーム・スタジオ「Studio KiKi」でじっくり語り合ってもらった。
インタビュー・構成・撮影/内本順一
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「僕は芸術家肌というよりは、中間管理職的なことをやっている瞬間が多いかもしれない」(コウキ)
ーーふたりは同い年なんだよね。
オモカトコウキ: そうなんですよ。31歳。僕は90年11月生まれで。らっしー(=倉品)は夏じゃなかったっけ?
倉品翔: そう、8月。見えないって言われるけど、真夏生まれで、夏が一番好き。
コウキ: そうなんだ?! それ、めっちゃ意外かも。でも自分の生まれた季節を好きになるものだよね。僕は秋・冬が好きなので。
ーー同い年であるのに加えて、ふたりとも一人っ子。因みに僕も一人っ子なので、その感じを漂わせつつ話を進めていければと。ふたりとも確かに一人っ子感、あるよね。
コウキ: ありますねぇ。らっしーもありますねぇ。
倉品: 自覚あります。人との距離の取り方に出ますね。兄弟がいる人って、すごくナチュラルに相手に近づけるところがあるじゃないですか。僕はそれが得意じゃなくて。
コウキ: 2つ3つ年上の人と話していて、「たいして年が違わないんだから敬語使わなくていいよ」って言われたときに、急には切り替えられなかったりする。「そんなに急にタメ口になれませんよ」みたいな。そういうときに、一人っ子だからなぁって感じます。あと、よく言われることだけど、一人が好きなのに寂しがりやっていう。
倉品: それ、あるね。一人の時間が好きっていうのは、常に根っこにある。
コウキ: じゃなきゃ、ひとりで釣りに行ったりしないでしょ(笑)
倉品: あははは。そうだよね、普通は誰か誘うもんね。僕は一人で相模湖行って、丸一日ぼーっと釣りしてますから。僕の場合、一人っ子の上に人見知りが乗っかっちゃってますからね。
ーーあと、ふたりともバランサーだよね。それも一人っ子の特徴なんだろうけど、何人かでいるときにバランスをとって、みんなの話を聞いたりするでしょ。
コウキ: そうですね。バンド内でも、僕が「次はこういうアルバムにしませんか?」ってみんなに聞いたりして。で、レコード会社の人に「今回、どのくらいの納期ですか?」って聞いて、「じゃあ、こういう感じでいくのはどうでしょう?」みたいに提案したり。
ーーレーベルとメンバーの意見の調整役を自然とやっている。
コウキ: そう。僕は芸術家肌というよりは、中間管理職的なことをやっている瞬間が多いかもしれない。OKAMOTO'Sだとそうやっていろいろバランスを考えちゃいがちですね。でも自分はギタリストだからっていうのもあると思うけど、らっしーはヴォーカリストなのにバランサーじゃない? 珍しいよね。
倉品: ああ、そうだね。バンドにおいては自分もまさにそういう役割。フロントマンって普通はバンドを引っ張っていくタイプじゃないですか。僕はむしろ後ろから押している。あんまりない構図(笑)。メンバーそれぞれが自分のペースを持っているけど、僕だけタイム感がスローなので、3対1になることもけっこうありますね。
ーー世代的な特徴みたいなものは、何かあったりする?
コウキ: 音楽を聴き始めた頃は当然サブスクなんてあるわけないから、僕の場合は音楽雑誌の「ロック名盤100選」みたいなのを参考にしてCDを買って聴いていたんですよ。そういう昔ながらの聴き方をしながら、中学高校くらいでYouTubeが出てきて、「昔のライヴ映像がこうやって見れるなんて嘘みたいだな」なんて思って。だからレコードなりCDなりを買って音楽を聴く上の世代と、YouTubeやサブスクで聴くのが普通の下の世代の狭間にいる感じなんです。
ーーでも、CDはともかく、当時は同世代でレコードを買って聴く人は限られていたでしょ。たまたまコウキくんはそういう環境でそういう友達も回りにいて、レコードで聴くのが好きだったからなんだろうけど。
コウキ: 西新宿のAIRSとかあるじゃないですか。BACK TRIP Recordsとか。ああいうところに、ブート買いに行ってましたもん。で、賭けみたいな気持ちで高い金額払って買ったら、音がモゴモゴで聴いてられないオーディエンス録音だったりとか。
倉品: へえ~。同世代でも僕はそういうのは通ってないですね。田舎育ちだったので、そういう世界を知らずに育ってます。
コウキ: あと、世代の話で言うと、僕らが10歳のときに9.11のテロがあって、僕らが20歳のときに東日本大震災が起きたんですよ。で、僕らが30歳のときにコロナがきた。特に20歳のときは、バンドでデビューしてすぐのタイミングだったので、その後の活動に大きな影響があった。コロナのタイミングにデビューした今の若いバンドもそうだと思うけど、予定していた目の前のことが急になくなるのはなかなか大変なことで。(東日本大震災があった)2011年は、GOOD BYE APRILはもうやってた?
倉品: GOOD BYE APRILの結成が2010年の終わりなので、始めた直後。バンドの長さもわりと近いよね。
コウキ: OKAMOTO'Sは、結成は高校のときだけど、デビューが2010年5月なので、そういう意味では近いね。
倉品: 僕らが結成して初めの数年間は、CDを制作して流通して売っていくのが活動のひとつの核だったけど、それがだんだん変わっていって、サブスクが出てきてからはそっちで聴く人が多くなった。自分たちもサブスクを意識した音作りをするようになったし。
コウキ: レコード会社の売り方も、僕らがデビューした頃はまだ、タイアップとってきて、アニメかなんかの主題歌になって、それで広めて売って、2~3年目で武道館、みたいなロックバンドの成功のメソッドがまだあった。
ーーまだシングル盤をコンスタントにリリースして、1枚出す度にプロモーションもちゃんとやって、という時代だったよね。
コウキ: そうでしたね。その形が崩れていくのを見ている10年間でもあったという。
倉品: 5つくらい下の世代になると、最早フィジカルを作ることに対してロマンを感じてないみたいですからね。僕らはパッケージとして出すことにロマンを感じていて、今でもそこにエネルギーを注ぎたくなるところがあるんだけど。
コウキ: うん、ある。ロマン、ある。
「それまでは僕らと全然違う音楽をやっている印象があったんですけど、思ってるほど遠いジャンル感じゃないんだなと感じた」(倉品)
ーー前にも吞みながら聞いたけど、改めてふたりの出会いをここでもう一度話してくれる?
コウキ: 改めてちゃんと話すと、出会ったのはGOOD BYE APRILが『Xanadu』を出したばっかの頃で。YouTubeチャンネルをやっている、みのミュージック……みのくんの家に、OKAMOTO'Sのサポートで鍵盤を弾いてくれているブライアン新世界(BRIAN SHINSEKAI)と遊びに行くことになったんですよ。そのときにブライアンがらっしーを連れてきてて。
ーー倉品くんはブライアンさんと以前から友達だったの?
倉品: ブライアンくんは僕らの曲をサブスクで聴いてくれていて、当時「人魚の鱗」を配信したタイミングで、突然「この曲好きです」みたいなDMが彼から来たんですよ。僕は僕でブライアンくんの「やさしくされたら」をサブスクで聴いていて、すごい好きで。それがきっかけで2回くらいゴハン行って、で、みのくんの家に一緒に行くことになったらコウキくんがいたという。
コウキ: その場ではそんなに話してないんですけど、音源を聴かせあったりしたんですよ。そのときに「いいな」と思って、帰って『Xanadu』を聴き直して、自分的にすごく刺さったので、改めて連絡したんです。
倉品: その日のうちに連絡くれて。僕は僕で、もちろんOKAMOTO'Sは知っていたけど最近の楽曲をちゃんと聴いてなくて、みのくんの家でまじまじと聴いたときに、思ってるほど遠いジャンル感じゃないんだなと感じた。それまでは全然違う音楽をやっている印象があったんですけど。
ーーロックバンド然とした印象を持っていた。
倉品: 僕らとは違う世界にいる人たちという印象でしたね。でも、そのときに聴いて、勘違いしてたなって思って。
コウキ: GOOD BYE APRILは『Xanadu』でガラッと変わったじゃない? OKAMOTO'Sも音楽性が常に変わっていくバンドなんだけど、初めの頃のガレージロックっぽい印象が未だ世の中では強いみたいで。でも実際そういう音楽性だったのって2010年から3~4年だったりするんだけど。
倉品: 自分たちがバンドを始めた頃のその印象から先入観を持っちゃってたんだよね。それが一気に払拭されたのが、みのくんの家で聴いた「Picasso」という曲で、それがむちゃくちゃよかった。
ーー出会ったタイミングがよかったわけだね。
倉品: あ、それはあったかもしれないですね。僕らが『Xanadu』を出してないときだったら、コウキくんにとっての僕らの印象も違っただろうし。
コウキ: 『Xanadu』、かっこよかったんですよね。みのくんの家で初めて聴いときから引き込まれて。つのけんくんのドラムに(高橋)幸宏さんみたいなタイトさがあって、すごくいいねってそのときに言ったのを覚えてる。
ーーで、性格的にも通じるところがあって仲良くなったと。
コウキ: そうですね。話したら、音楽の趣味も通じるところがあったし。
ーー例えば?
コウキ: 例えば昔の歌謡曲とか、オアシスを始めとする90年代のUKロックとか。年が一緒なので、「あのときあれが出てきて、ああだったよね」みたいなところで通じ合って。
ーーなるほど。バンドをやりたいって思い始めた時期も近かったりするのかな?
コウキ: でも、僕の場合はバンドで大成したいとかじゃなくて、最初は音楽を売る側の人になりたかったんですよ。レーベルの人とかマネージメントとか、どっちかというと裏方業みたいなことをやりたかった。とにかくリスナーとして音楽が好きだったから、自分がプレイすることに執着してなかったんです。ライヴを始めたときもデモCDを作って売ったりとかをしてなくて。だけどたまたまきっかけがあって早い段階で世に出ることになった。だから、ちゃんとミュージシャンとしてやっていけるな、これを生業にして生きていこうって真剣に思ったのって、実は2016~17年くらいで。
倉品: そうなんだー。それは意外だな。あ、でも話してると確かにそういう面もあるなって感じる。表だけじゃなくて裏方も好きなんだなって。
コウキ: うん。
倉品: 僕は逆に、リスナーとしてはそこまでいろんな音楽を聴きまくってきたわけではなくて。気づいた頃には曲を作るのが趣味みたいになっていたんです。とにかく曲を作るのが好きだった。バンドをやりたいというよりは、まず曲を作っていたいという気持ちが強かったですね。
コウキ: そこはオレと全然違うね。
倉品: うん。まあスピッツとか、バンドというものに対しての憧れはあったので、結果、バンドになるんですけど。歌うことには自覚的じゃなかったし、自信もなかったけど、中学の頃には曲を作ることを中心に音楽で生きていきたいと思ってましたね。
コウキ: ソングライター志向なんだね。
倉品: そう。
コウキ: 曲作りに関しては、僕は意識としてはサンプリングみたいに作っていたんですよ。ひとのかっこいいドラム・パターンとかコード・パターンを借りてきて、それをミックスして「これ、かっこよくないですか?」って言っているような表現の仕方だった。
ーー自分らしさを突き詰めて、「オレの魂を聴け」みたいな表現ではなかったわけだね。だけど今作は「オレの魂を聴け」っていう作品だよね。
コウキ: そうそうそう。完全にそうですね。遂にできた。「オレの魂を聴け」みたいなアルバムが。
「自分の趣味性を明らかにしてソロアルバムを作ったら、客観性を持ってバンドとバンドの曲を見れるようになった。それはすごくいい作用だなと思って」(コウキ)
ーーふたりとも、バンドがありながら、ソロ活動もしているでしょ。バンドでの活動が一義で、バンド活動よりソロ活動を優先することはない。
倉品: そうですね。
ーーだから、まずはバンドとして高みに上りたいというのがある。
コウキ: それはもちろんあります。
倉品: それが大前提というか。
ーーでありながら、ソロ活動もするわけじゃないですか。それはソロも「やりたい」なのか、「やらなきゃ気が済まない」なのか、わからないけど。
コウキ: 今回に関しては「やらなきゃ気が済まない」って感じでした。バンドの歴史が長くなってくると、前回はああいう作品だったから次はこういうふうにしてほしい、みたいな制約めいたものが出てきたりもする。なおかつ、メンバー4人の音楽性とか趣味性がひとりひとり全然違うから、全員が納得するものを作るのは針の穴に糸を通すような感じになってきちゃって。それが面白いというのもあるんだけど、でもやっぱり難しいなと思ったくらいのときに初めてソロ・アルバムを作ったんです。で、ひとつそうやって自分の趣味性を明らかにしたものを作ったら、バンドに戻ったときに、逆に割り切ってできることに気付いた。客観性を持ってバンドとバンドの曲を見れるようになったというか。それはすごくいい作用だなと思って。
ーーバンドだけをただただやっていたらストレスになりかねなかったのが、ソロをやったことで自分の表現の風通しがよくなった。
コウキ: そう。バンド活動がうまくいってないからソロをやっているんじゃないかって見る人もいるかもしれないけど、むしろバンドをうまく回していくためにソロをやっているという感じがあるんです。
ーーなるほど。倉品くんはどう?
倉品: OKAMOTO'Sと僕らとでは背負ってるもののサイズ感が全然違うけど、でもさっきコウキくんが言った「針の穴に糸を通す」という譬えはよくわかります。そもそも違う人間が4人いるのだから、全員が納得する共通項を見つけるのは簡単なことではないし、でもだからこそ面白みもあるし。最近の僕らは、「ニューミュージックからのシティポップ」という枠のなかでどれだけ面白いことができるかという発想でやっているところが明確にあって、それは制約と思っているわけではなく、その枠のなかで作るのが自分にとっても面白くなっている。で、たまにそこから外れた曲をやりたくなったら、ソロとしてやる。そういう感じですね。
ーーバンドでやりたい曲とソロでやりたい曲のチャンネルが分かれている。
倉品: もともとは分かれてなくて全部一緒だったんですけど、『Xanadu』以降、自分のなかでチャンネルが分かれてきました。
ーーそれ、わかる。
コウキ: うん。わかる。作り込みの度合いが変わったからじゃない?
倉品: そう。お題をもらって、そこ目掛けて作り込んでいくのって、めっちゃ楽しいんですよ。それとまったく違うことをやりたいときにソロでやるというのはありますね。アコースティックでフォーキーなことをやるチャンネルとしてソロがあるというか。最近はそれがより明確になってきた。それはライヴもそうで、バンドのライヴのときは、ちょっと別の人間として存在するような感じが自分のなかではある。それが楽しくなってきたんです。
ーーチャンネルを分けたことで、どっちも楽しくやれるようになった。
倉品: そうですね。
ーー倉品くんは、ソロでは身軽にあちこち地方へ出かけて歌うということを続けているよね。
コウキ: フットワーク軽くて、いいよね。
倉品: そうだね。ひとりでふらっと旅をするのが大好きなので。
ーー 一人っ子だからね(笑)
コウキ: 結局そこに帰着するという(笑)
ーーコウキくんは、ソロで地方の小さな場所を回りたいみたいな気持ちはあるの?
コウキ: めちゃめちゃあって、それこそ1stの『GIRL』を出したあとに小さなライヴハウスとかをツアーするっていうのをやろうとしていたんですよ。けど、コロナにあたっちゃって中止になった。改めて仕切り直しでやりたいとは思っているんですけど。
ーーそれぞれこんな感じで、これからもバンドとソロとうまくバランスをとりながらやっていくのかな。
倉品: 僕はそうですね。表と裏の境目なく、いろいろやりたいと思っています。というのも、今回コウキくんの作品に関わらせてもらったことも大きくて。自分が表に立つんじゃないところで誰かの作品作りに携われるのが大きな喜びだと再確認できたので、そういうこともひっくるめて総合的にやっていきたいです。
ーーGOOD BYE APRILはメジャー・レーベルと契約しないで続けてきただけに、ファンダムの築き方とかも含めて、どう動けば自分たちの音楽が広がるのかということをひとつひとつ手探りでやってきたところがあるじゃない?
倉品: そうですね。めちゃめちゃ土着的なやり方で。
ーー倉品くんが地方のカフェなどで弾き語りライブをやったり、バンドでショッピングモールのフリーライブを徹底的にやったりして、ネットワークを築いていった。その強さってあるよなと思っていて。で、そういう活動のなかでシティポップの波が世の中にきて、自分たちの音楽性をうまくそこに連動させたことが大きく広がるきっかけになった。
コウキ: 僕が『Xanadu』を最初に聴いたときに思ったのは、側(がわ)はシティポップとか80sっぽい洗練されたものだけど、そもそも楽曲がもともとよくて、実はいろんな音楽ができるし、いろんないい曲を書けるけど、今は洋服としてシティポップを着ます!って言ってやっているような感じがしたってことで。自分たちにとって今必要だからそれをやっているというか。同世代でそういうふうにやっているバンドっていなかったし、そこが新しいなって思ったんですよ。今やっているのはシティポップだけど、そもそも楽曲がよくて、そこにひっかかったし、シンパシーを感じたというか。
倉品: もともと自分たちの根っこにシティポップがあったわけではなくて、たまたま回りで盛り上がってきて、そこに合いそうだし、好きだし、やってみたいっていうことでやりだしたようなものだからね。だからコウキくんがそう言ってくれるのは嬉しいし、僕もコウキくんの1stソロを聴いたときに感じたのは、側(がわ)ではないってことなんですよ。コウキくんはまず素晴らしいメロディメーカーであり、さらにいい作詞家でもある。僕は自分のことを作詞家だとは思ってないので。だから曲のコアな部分にすごくシンパシーを感じていたんです。
ーーコアなところで共感し合えるのはすごくいいよね。それこそ外側のイメージで「こういう感じね」って判断して、中まで見ない(聴かない)人もいるわけで。だからこそどうすれば伝わるか、考え続けていかないとならないわけだけど。
コウキ: そうですね。そのへん含めて、OKAMOTO'Sはそれこそずっと試行錯誤ばっかりで。言うても10年かかっての武道館だったし。さっき言ったようなロックバンドの成功メソッドに乗れてなかったし、フェスに出てもいつも居場所がねえなぁって思ってたし。
倉品: へえー、そうなの?
コウキ: いや、ほんとにそうですよ。居場所がなかった。同世代のバンドでシンパシー感じるバンドがほとんどいなかったし。2015年にSuchmosが出てきて、ようやく変わった感じだったからね。そのあたりでかっこいいなと思える同世代のバンドがいくつか出てきて、だいぶやりやすくなった。最初の頃はめちゃくちゃ辛かったですよ。黒猫チェルシーが僕らと同じ頃なんだけど、たぶん黒猫チェルシーも同じような思いをしていたと思う。
ーーフェスで居場所がなかったというのは、同世代のロックバンドがいなかったから?
コウキ: フェスに限定して言うと、とにかく盛り上げていこうっていう4つ打ちのバンドが多かった頃で、そことは全然親和性がなかったから。
ーーああ、2000年代後半からしばらくは4つ打ちダンスロックバンドが全盛だったもんね。
コウキ: 普通のロックバンドがいなくて。大人もそういうフォーマットにハメようとするから、難しかったですね。僕らはハマんないわけですよ。だって村八分とか聴いてるバンドだから(笑)。そういうところで乖離があって。
ーーでも居場所がなかったということでは、GOOD BYE APRILも負けてないよね。倉品くんとえんちゃんと呑むと、必ずそういう話になったもんね。
倉品: 本当になかったですからね。むちゃくちゃ浮き続けましたから。まあ未だにそういうところはあるけど(笑)。確かにフォーマットにハメたがる大人って多くて。ただ、ある時期からそういう人が周りにいなくなって、好きにやるようになりましたけど。
コウキ: あ、オレらもだんだんそうなっていった。言うこと聞かないから、そういう人はだんだん離れていったし(笑)
ーーははは。因みにSuchmosは同世代?
コウキ: そうです。ちょい上か下かな。今回のアルバムに参加してくれたTAIKINGは同い年。
倉品: GLIDERの(栗田)祐輔も同い年だし。
コウキ: (大林)亮三くんも同い年ですからね。(マスダ)ミズキちゃんもそうだし。
ーー同い年ならではの通じるものがやっぱりある。
コウキ: これだけかたまってるってことは、きっとそうなんでしょうね。
「ポップな側面に関してもうちょっと整理してくれたり、客観的にアレンジしてくれる人はいないかなぁと思っていた頃で。そこに現れたのが倉品くん」(コウキ)
ーーでは、そんな同い年のミュージシャンがたくさん参加しているアルバム『時のぬけがら』の話をしましょうかね。まず、どんなふうに制作が始まっていったのかというところから。
コウキ: 2019年に最初のソロアルバム『GIRL』を出したときには、またアルバムを作ろうという明確な目標を持ってはいなかったんですけど、亮三くんと会って話したときに、彼が『GIRL』をすごい気に入って聴いてくれていたことがわかって、共作しようという話になったんです。彼が好きな音楽はファンクとかR&Bとかブラックミュージック全般で、僕もそういう音楽は好きだし、やりたいと思っていたんだけど、リズムの面でなかなか上手く表現できないところがあって、そういう面で助けてくれる人を探していた。で、亮三くんとだったらお互いになかった部分をうまく補いあえるような気がして。
ーー共作を始めたのはコロナ禍に入る前?
コウキ: 初めて共作したのが「WORLD SONG」で、できたのが2019年12月。コロナ禍前です。で、年が明けて共作が加速していくなかで、コロナ禍に突入した。そのときに、これはアルバムのテーマに関わってくることなんですけど、初めて時間がめっちゃできたので中学高校の頃に聴いていたレコードをいろいろ聴き返したんですよ。こうやって今自分が聴いている音楽を演奏している半分以上の人はもう亡くなっているんだなと、そのときにふと思って。でも死んでる人も生きてる人も、レコードの上では音楽として同じように再生される。しかもコロナ禍で世の中が止まっていて、外出できない、人にも会えないという状況なのに、音楽は聴くだけで自分をいろんな場所に連れていってくれる。そう考えて、ちょっと不思議な気分になったりして。「幽霊気分」という曲はそこから引っ張られてできたんですけど。で、時空を超えたその感じをもっと表現できないかなってところから、だんだんとアルバムのテーマとか歌詞ができていって。
ーー前作同様、打ち込みとかではなく自分で演奏して作るというのは大前提としてあった。
コウキ: ただ、前作みたいに全部自分で演奏するのはなかなか大変だなと思っていたんです。そうしたら、亮三さんと出会ったのを皮切りに、このアルバムに関わってくれることになる人が次々に登場して(笑)。気づいたらアルバムができていた感じでした。
ーー初めからいろんな人と一緒に作ろうと考えてそうしたわけではなく。
コウキ: そう、気づいたらいろんな人が登場していて、いてほしいときにいるべき人がいる、みたいな。藤原ヒロシさんもたまたま成り行きで2020年にユニット(ORDER of THINGS)を組むことになって、そのときに制作したなかから1曲入れたし。倉品くんと会ったときは、もうアルバムの半分以上ができていたんだけど、ポップな側面に関してもうちょっと整理してくれたり、客観的にアレンジしてくれる人はいないかなぁと思っていた頃で。いるにはいるけど年上の人が多くて、そういう人にお仕事的にお願いするのもなんかなぁって思っていたんです。そこに現れたのが倉品くん。
倉品: 現れました(笑)
ーーファンクなどブラックミュージックのフィーリングを持った曲と、ポップス方向に寄った曲と、両方入れたいという考えはもともとあったの?
コウキ: ありました。亮三さんはディスクユニオンのレアグルーブ館の店員だった人なのでコテコテなんですけど、そこまで全編コテコテの黒いムードにするのではなく、折衷っぽくしたいと。
ーー『GIRL』は、ビートルズ大好きなコウキくんがビートルズからの影響を素直に表すなど、自己紹介的なアルバムだった。それに対して『時のぬけがら』は音楽性をもっと広げながらも、今の思い……というか2020年から2022年の思いを書きつつ、より自分を曝け出している感じがする。
コウキ: そうですね。サウンドはいろんな人と一緒にかっこいいものを作れた気がしたので、それによって込めたい思いというものがどんどん出てきたし、前作の”全部オレが”というホームメイド感とはまた違う感じの曝け出し方ができた気がします。
ーー倉品くんには、「2曲のプロデュースをお願いします」みたいな感じで頼んだの?
コウキ: というよりかは、とにかく僕が倉品くんの作る音楽をすごく好きだったので、なんかこう、自信を持たせてほしかったんですよ。「これでいいと思う?」って聞いて、「いい」って言ってくれる人というか。曲として発表するにあたってのアリバイじゃないけど。
倉品: ほんとにオレ、「めっちゃいいじゃん」って、ずっと言ってたよね(笑)
コウキ: そうそう。「ほんとにいい? じゃあ、いけるわ」みたいな。
ーーそのくらい信頼できた。
コウキ: そうですね。会ってすぐにそう思ったくらい、『Xanadu』が好きだったし。やっぱり信頼できる人に「いいね」って言ってもらわないと、自分じゃ確信が持てなくて。「君は幻」もそうだけど、特に「SMOKE」はストレートすぎる曲だから。こんな直球勝負、恥ずかしいからしてこなかったタイプなんで。倉品くんに入ってもらったことで、こういうものを出せた。
倉品: でも、その2曲(「君は幻」と「SMOKE」)は、僕が受け取った段階でほぼほぼできあがっていて、それがむちゃくちゃよかったんですよ。コウキくんは「くずしたいところはくずしていいよ」って言って任せてくれたんですけど、デモの段階で2曲とも無駄なものをまったく感じなかった。だから「君は幻」は弦アレンジの整理とかをしたけど、ほぼ原形のままで。
コウキ: 「君は幻」の弦アレンジ、めっちゃいいよね。
倉品: あ、ほんと? よかった。でも、自分としてはもともと入っている旋律を精査していったぐらいの感じなんですよ。
コウキ: 倉品くんには、曲順も相談したんです。総合的な観点でいろいろ意見をもらった。スタジオディグ(*埼玉県本庄市の歴史あるレコーディング&リハーサルスタジオ。Gliderの栗田兄弟が運営し、GOOD BYE APRILもよく使っている)も紹介してくれたし。だから、全体コーディネイトですね。だって、直接的に関わってくれてる曲じゃないときも、ずっといたもんね(笑)。途中からの全行程、いてくれた。
倉品: やることなくても、ディグだし、遊びに行こうと思って(笑)
コウキ: ディグではまず、亮三くんとカール・グッチのリズム録りをやって、それに僕がダビングして。カール・グッチくんはそれまでレコーディング経験もなかった若いドラマーで、確か26歳だったかな、亮三くんの紹介でやってもらうことになったんだけど、ファンクとかアフロビートとかが得意なんですよ。彼がとにかく一生懸命で、「もっとよくなりますから、もう一回やらせてください!」とか言って、「じゃあ」ってことでもう一回やって、結局1曲で10回くらいやったんだけど、2回目が一番よかったりして(笑)。だけど、その感じも懐かしいというか、OKAMOTO'Sも最初はこういう感じでやってたなぁって。初心に帰れました。
倉品: 僕とかも、いかにカール・グッチくんが気持ちをあげて叩けるか、応援団みたいな感じでそこにいて。いいチーム感がありましたね。
「歌って、言葉とメロディと声の3つが噛み合ってないと入り込めないところがあるじゃないですか。コウキくんの曲はその3つがすごく噛み合って聴こえる」(倉品)
ーー「君は幻」、本当にいい曲だよね。昔の歌謡っぽさもちょっとあって。
コウキ: この曲は尾崎紀世彦さんの「また逢う日まで」みたいな王道リズム&ブルース歌謡みたいな曲を書きたくて書いた曲で。そういうジャンルのなかで一番泣けるやつを作ろうと思ったので、編成も豪華にしたかったんです。そういう曲調とサウンドで、切ない歌詞……過ぎていってしまったことを歌っているというのがいいんじゃないかと。明るい曲に寂しい歌詞を乗せたかった。
倉品: 歌詞、最高ですよね?!
ーーうん。本当に。メロディラインも起伏があるし、名曲・代表曲になりうる1曲じゃないかと思う。
コウキ: ありがとうございます。この曲だけ、ヴォーカル・ディレクションも倉品くんにしてもらったんですよ。
倉品: レコーディングに立ち会って、それこそ何テイクも録ったものを僕が組ませていただきました。
ーーもう1曲の「SMOKE」はどんな感じで?
コウキ: 「SMOKE」は打ち込みのドラムとかも倉品くんにやってもらって。
倉品: 元はもっとビートルズライクだったんですよ。
コウキ: そう。僕が言ったのは、「ビートルズをめっちゃ好きな人がビートルズライクなナンバーを作ったみたいなものじゃないようにしてほしい」ってことで。倉品くんならそういうふうにやってくれると思った。というのも、僕はGOOD BYE APRILを聴いたときに、シティポップがめっちゃ好きな人がいかにもシティポップっぽい曲を作ったって感じがしないところがいいなと思ったので。
倉品: そういう要望があったし、「幽霊気分」みたいにがっつり打ち込みっぽい曲はほかにあったので、「SMOKE」は全体のバランスがとれるようなサウンド感を意識したんです。
ーーほかのいろんなタイプの曲を接続するようなサウンド。
コウキ: 実際そうなったよね。
倉品: うん。だからシンセとストリングスのバランス感だったり、リズムの音色の質感だったりを考えて、ちゃんと現代的に聴けるバランスを「SMOKE」で探した感じがありますね。
ーー消えゆくものに対する思いが溢れ出てきて、歌と弦とが混ざり合って、聴いててたまらなく寂しくなるし、抱きしめたいような気持ちになる。デモの段階からそういう曲だったの?
倉品: もともとそうでした。最初のデモも、一サビに入る度にけっこう泣きそうになる感じがあったので、そこは全面的に活かしたいと思った。むしろそこを助長するベクトルで、オチサビの弦は完全に泣かせに行く、みたいな。エモーショナルに行きたかったんです。
コウキ: あそこ、すごくいいよ。
ーーヴァイオリンは島内晶子さんと谷崎舞さん。GOOD BYE APRIL人脈で。
倉品: そう。島内晶子ちゃんとも相談して、チェロは入れずにヴァイオリン2本を主軸に組んだので、シンプルと言えばシンプルなんですけど。
ーーシンプルなんだけど、豊かに響く。
コウキ: なんか最終的にオアシス感が出て面白かった。「ホワットエヴァー」感。
倉品: 出ましたね。
コウキ: 書いているときはまったく思ってなかったんだけど。
倉品: 一サビ終わりの間奏とかね。打ち込みの段階では思わなかったけど、同じ旋律を生で弾いてもらったら、かなり「ホワットエヴァー」感が出たという。
コウキ: でも、それがよかった。「SMOKE」は自分が考える限りのなかで、誰もが思うであろう一番いい曲というぐらいのものをやりたかったんですよ。そういう曲を一生のうちに一度だけやつておきたかったというのはあった。
倉品: わかる。黄金律ね。
ーーそこをやるのはけっこう覚悟がいるというか、思い切りが必要じゃない?
コウキ: そうですね。思い切ってやんなきゃ、みたいな感じでした。
倉品: でも僕のなかでは、『GIRL』を聴いて感じていた凝縮されたポップネスのその先みたいに聴こえていたので、突然こういうのが出てきたというふうには思わなかった。ナチュラルだし、その意味でもこのアルバムに入ってすごく際立つ1曲じゃないかと。
ーーあとはやっぱり、オカモトコウキというシンガーの唯一無二の声の魅力が、このアルバム……とりわけこの2曲で最大限に引き出されているということを思うよね。
コウキ: 嬉しいですねえ。今回は、前作の借りてきた猫感がちょっと減ったという感じが自分でもしていて。前作のときは、「いや、あくまでもオレはギタリストなんで。ヴォーカリストじゃないんで」みたいな感じがどっかにあったんだけど、今回は普通に気持ちよく歌えた感じがあったんですよ。
ーー照れてる場合じゃない、みたいなことだったのかな。
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