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JAZZY UPPER CUT@新宿LOFT

2024年4月7日(日)

新宿LOFTで、JAZZY UPPER CUTの復刻CDリリース記念ライブ。

一夜限りの再集結であり、メンバーのSNSにはこれが最後かもしれないと書かれてあったが、どうなのだろう。わからないが、最後であってほしくない。

JAZZY UPPER CUTがいかなるバンドなのか、ここで自分なんぞが整理して書いてもたいして説得力がない。それよりCD復刻に際してのNobuさん(ヴォーカル&トランペットの桑原延享)のインタビューが最近アップされたので、それを読んでほしい。JAZZYがどう始まりどう転がっていったか…の話だけでなく、Nobuさんの今の思いがしっかり語られている素晴らしいインタビューだ。インタビュアーはLOFT PROJECT・加藤梅造さん。

この日・4月7日は亡き川田良の誕生日。ということもあって、オープニングアクトで(川田も在籍した)WRUの現在形、WRU01(ウル ゼロワン)が出演。メンバーは寒川光(bg)、西村雄介(b)、南たけし(ds)。寒川光さんはサックスではなくベースギターを文字通りギターのように弾いて、振動そのものが表現であるような太い演奏を聴かせた。

セットチェンジを挿んでJAZZY UPPER CUTのオンステージ。

幕の向こうから「オレたちがJAZZY UPPER CUTだ」というNobuさんの声が聴こえてきたその瞬間からカラダが熱くなった。文言は忘れたが、その始まりにNobuさんは過去の曲を今に放つ意味、今またJAZZYがステージに立つことの意味を端的に言葉にした。「やつらのOKなんていらない」。その言葉も聴き、そして演奏が始まった途端に血が躍り出す感覚を味わった。

この夜のメンバーは、桑原延享(vo,tp)、石渡明廣(g)、西晃津(g)、早川岳晴(b)、角田健(ds)、Tahi(perc)、斉藤トオル(key)、寒川光(sax)、TaRA(vo,cho)、バラ(vo,perform)、DJ宮島(tts)。元からのメンバーに、(Nobuさん曰く)「30数年前は子供だった」メンバーを加えての布陣だ。またDJ KRUSHからは花が届いていた。

これはライブレポートではないので、なんの曲をやってどんなふうに展開したかなどは書かず、自分の感想だけを書く。

まずとにかく演奏の強度が凄まじかった。ひとりひとりが腕あるミュージシャンであるにしても、こうして久しぶりに集まってこのアンサンブルになるというのは凄いことだと思った。

JAZZY UPPER CUTは91年にライブ活動を開始して94年に活動休止。その後、96年7月と、2015年1月(川田良の一周忌)に再集結ライブを行なっているようだが、その2015年のライブから数えても、もう9年が経っている。であるにも関わらずーー。

これが94年に活動を休止したバンドのライブだなんて、一体誰が信じるだろうか。そのくらいとてつもない演奏と言葉の強度であり、熱量であった。懐古的なムードは0%。完全に2024年の今を打ち抜く音と言葉の破壊力&説得力だった。

「戦争だけが死ねばいい 戦争こそが死ねばいい」(「DEATH TO THE WAR」)

例えばそれは、完全に2024年に響かせるべく存在している歌のように思えた。そう思えるフレーズがいろんな曲のなかにいくつもあって、何度もハッとした。

音楽としてはまさに雑食で、ロックやらファンクやらジャズ的風味やらあの頃のヒップホップぽさやらがぐしゃぐしゃと混ざったものだが、このライブを観ていて自分はとりわけファンク(といってもJBとかああいうのではなくどっちかといえばファンカデリックより)の混沌表現の凄みを感じた。ファンキーが大好きだなんて笑わせるんじゃないぜ、と言う資格のあるバンドはJAGATARAとJAZZYだけだろう、みたいな。それを支えるのが早川岳晴さんと角田健さんで、早川さんはチャボさんと一緒にやるときとはまた全然違うファンク的な開放の度合いがなんか印象的でもあった。

JAGATARAやビブラストーン、ときにはフールズの自由さも。そうしたバンドのグルーブやスピリットを感じる瞬間もありつつ、しかし何々っぽいなどとは言わせないJAZZY UPPER CUT流のミクスチャーの形が圧倒的だった。初めから終わりまで、ビリビリと全身しびれっぱなしだった。

本編の終わりにNobuさんはJAGATARAの「でも・デモ・DEMO」の一節をJAZZYの曲に入れ込んで歌ったりもした。魂の継承とは例えばこういうことだと思った。

アンコールをやる前、Nobuさんが今の自分がこのライブをやることの意味について話した。文言は覚えてないが、先のインタビューで話されていたのと同様のことだったので、そのインタビューにあった言葉をここにも紹介しておきたい。

今回、JAZZY UPPER CUTのアルバムが再発されることになって過去の自分に立ち返ることになったわけだけど、言ってみれば今年は俺にとって総ざらいの年だと思う。パンデミックでDEEPCOUNTの活動が止まった時に、JUNGLE’Sの再発の話があり、やるんだったらちゃんと新曲を良に送ろうと思って1月にライブをやった。俺としてはJAZZYの頃よりも幼い自分に向き合うのはすごく恥ずかしい部分でもあったけど、子供が生まれた時に歌った曲に対して、じいさんになった今の自分からの回答に書き直して歌った。本当は逃げてしまいたかった幼いバカな自分に対してちゃんと答えを出すことができて、それが今の自分にとってすごく自信になっている。過去に対面するということは、決して逆行することではなく、未来のためにやれるんだと気がついた。だからJAZZY UPPER CUTの再発とライブに関してもすごく意味があることだと思う。もちろん俺はDEEPCOUNTでいつも過去に自分が書いた曲に対面しながらやっているんだけど、JUNGLE’SやJAZZY UPPER CUTの曲に実際的に立ち返るということがすごく重要で、そこから持って帰れるものもあるし、新しくできるものもある。30年前に自分がぶん投げたものがちゃんと人に届いていたということだし、もう一度世に出す事でさらに遠くまで投げられるかもしれないと思う。

少なくとも自分にはそれが届いたし、それを受け取った気にもなっている。できるならもっと多くの人に届けばいいのに、とも思う。なので、これが最後だなんて言わず、また機会があれば昔の歌をさらに未来に放って繋げてほしいとも思う。今、必要な言葉であり、必要な音であると、自分はこのライブでカラダ丸ごと強く実感したから。

『jazzy upper cut 1992 Revisited』と題されたCDは、5月22日発売。
まずは、それを聴くべき。

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