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FUJI ROCK FESTIVAL'21 (後編)

「前編」「中編」とアップしたあと、仕事が立て込んでだいぶ間があいてしまったが、ようやく「後編」。フジロック3日目のことを書いておこう。

2年ぶりのフジとあって、初日は帰宿の際にいささか自分の体力の衰えを感じなくもなかったのだが、2日目もガシガシ歩き回り、3日目になるとカラダが慣れたのか、体力気力共に充実。気持ちの面では、2日目の朝に開催に対しての否定的なツイートをたくさん見て落ちたりもしたので、その手のツイートを見ないように心掛けたのもよかったようだ。

というわけで、3日目に観たライブの感想を。

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22日(日曜)に観たライブの感想。

この日観たのは、以下の通り。

GLIM SPANKY→CERO(中盤以降の25分)→青葉市子(後半30分)→ケロポンズwithこどもロッカーズ→BEGIN→MISIA(前半25分)→GEZAN→忌野清志郎Rock'n Roll FOREVER with ROUTE17 Rock'nRoll ORCHESTRA→奇妙礼太郎(中盤15分)→電気グルーヴ→砂原良徳(中盤20分)。

まず向かったのはフィールドオブヘブン。民謡クルセイダーズの出演がキャンセルとなり、急遽代打が決まったGLIM SPANKYだ。2015年のレッドマーキー及び前夜の岩盤ステージ、2018年のグリーンステージと、GLIMのフジのステージは全て観てきたが、今回はふたりだけのアコースティックセットで、ヘブンというあの場所によく合うセットリストを考えてきてくれたのがわかる構成だった。ブルージー(「ダミーロックとブルース」「Flower Song」など)とフォーキー(「こんな夜更けは」「Hello Sunshine」など)の配分バランスがよく、とりわけ「こんな夜更けは」のムード、ギターと声の響きが、ヘブンの空間によく合っていた。リラックスした雰囲気を感じさせながら、しかし出演キャンセルとなった民謡クルセイダーズの思いも乗せてしっかりこのステージを務めるんだという意気も伝わってきた。結果、ふたりのいいところがよく表れたライブとなった。亀本くんが「フジの主要4ステージのうち、レッドマーキーとグリーンに出て、今回はヘブン。王手かかって、あとはホワイトだけ」と話していたが、来年か再来年はバンドセットでホワイトで演奏するところを観たいものだ。バンドセットであれば、今の彼らにはホワイトが最も映えるステージだと思うので。

グリーンステージに動いて、CEROを途中から。ライブで聴けば尚更、曲構成の個性とグルーヴを強く感じられる「魚の骨 鳥の羽根」はしかし、グリーンの広大な空間で真昼間ともなるとなかなか本来の濃密さが伝わり辛いような…とかチラと思ったり。そして確かその1、2曲あとだったかに高城晶平さんが朗読を行なった(その内容は現地で観ていたひとよりも、配信で見ていたひとにこそ伝わるところが大きかったように思う)。そのあとで彼は「いろいろ言いたいことがあったけど、時間がなくなってしまったので……。これからも健やかに生きていきましょう」と短く話してもいたが、恐らくその「いろいろ言いたいこと」=「いろいろ思うこと」を明確な答えにはならないまでもとにかく綴ったのが先の朗読だっただろうと思う。そして「さん!」からライブの終わりまではグリーンの昼間に相応しく明るいトーンで。小田朋美さんと角銅真実さんの演奏姿とコーラスに色気があり、気づけばおふたりばかり目で追っている自分がいた。

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ヘブンに動いて、青葉市子。想像を遥かに上回る観客の数(後方までびっしり)に少し驚いた。彼女の歌声の音量だとヘブンでも大きすぎないか、後ろには届かないんじゃないかと思ったのは、しかし杞憂だった。市子さんの歌声及びバンドの弦の音色とヘブンを囲む木々の発するものとが溶け合い、なんというか天国(まさしくヘブン!)で聴こえている音楽といった感覚があった。

オレンジのエリアに動き、ジプシーアヴァロンでケロポンズwithこどもロッカーズ。これまでもフジで観たことはあったけど、近い距離に腰を落ち着けて全編ちゃんと観るのは今回が初めて。これがめちゃめちゃよかった。ドラムのふーちん(ふーちんギド、チャランポランタンほか)始め、バックバンドの「おなかペコペコズ」は腕のあるメンバー揃いなので、ファンキーな曲をやればしっかり腰にくるグルーヴが出るし、ロックンロール調の曲をやればロールする感覚もある。わけても「こどもロック」というロック曲の歌詞が、ギスギスしたこの時代に、そしてこのフジロックですらいろいろ言われるようになってしまった2021年8月に、真っすぐ心に響いてきた。曲に合わせて前のほうで飛び跳ねている子供たちを見ていたら、そこに希望を感じて、涙が出てきた。さらに雨降るなか、子供たちもお母さんたちも大きなカニの爪を手につけて、揃って「エビ!  カニ!」とやりながら夢中で踊っているのが微笑ましく、自分はにっこりしながら、なんだかグっともきてしまったのだった。いやぁ、いいライブだったなぁ。

ヘブンに戻って、BEGIN。これまた後ろのほうまでひとでいっぱい。人気の高さがよくわかった。そしてヘブンの空気感とBEGINのゆったり感はこの上なく合っていた。前のほうで立って観ているひとも後方で座って観ているひとも満遍なく楽しませる余裕があるのは、長きに亘ってライブを主体に活動してきたキャリアの賜物だろう。三線の音色もいい「三線の花」。島袋さんが歌う「海の声」。名曲「恋しくて」。バラードが沁みる。癒される。「笑顔のまんま」。「生きてるだけでまるもうけ」というフレーズに、そうだよなぁとこんな時代だからこそ尚更思いもする。「オジー自慢のオリオンビール」が始まれば、前のほうで立って観ていたみんながカラダを揺らし、腕をあげてエアジョッキで乾杯。ステージの上と下とがひとつになる。といった具合に、とにかく緩急のつけ方が上手く、さすがだよなぁ、こうだから30年以上も続いているんだなぁと改めて思ったり。加えて、比嘉さんのMCがよかった。ものすごく心に響いた。「よく来たね。たいへんだったね。ここまで来るの、すごいと思うよ」「もしかしたらオレたち、これが今年の最後のライブになるかもしれん。わからないけど、それぐらい世の中が大変なことは理解している」「でもな、フジロックに反対するひとと賛成するひととがぶつかってもしょうがないわけよ。フジロックやったほうがいいって言う人も、やらないほうがいいって言う人も、目指す先は同じ。平和に暮らしたいということ。それなのにぶつかりあってもしょうがない。だから専門家や政府にきちんとお願いしましょう。同じところを目指すひとでいろいろ言ってもしょうがない」。誠実で、きりっとしたMCだった。自分は手が痛くなるくらい拍手したし、みんなそうだった。そして「島人ぬ宝」「涙そうそう」。うしろのほうで座って観ていたひとはしばらくそのまま立ち上がらずにいた。自分の横に座っていた男性は泣いていた。これがBEGINのライブ力であり、歌の力だよなと実感した。

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グリーンステージに動いて、MISIAを始めから。けっこうな人数のバックバンドがステージに並んで演奏がスタート。ホーン隊が勢いよく吹き鳴らし、「心の中でメイクサムノイズ!」と黒田卓也さん(うまいこと言う)。アフロビートになったりもする開幕曲はかっこよく、途中からそれがオーケストラっぽく壮大な展開を見せるなか、スモークが焚かれていよいよMISIAの登場だ。そして一瞬の静寂のあと、彼女が歌いだしたのは……「君が代」。おもいきりずっこけた。「嘘でしょ?」と思った。自分のそばで観ていた女性ふたりは、顔を見合わせて「信じられない」といった表情をしていた。2018年のホワイトステージのMISIAは、(全部は観ることができなかったけど)とてもよかった。黒田さんがアレンジを仕切るようになってから、MISIAのライブはジャジー度とファンキー度が増してそれ以前よりかっこよくなった、というのが、2年くらい前にグリーンルームフェスでも観た自分の印象だった。なのに。「君が代」って。それでも3曲目で歌われたのが「陽のあたる場所」(MISIAの曲のなかでトップ5に入るくらい好きな曲)だったので、そのときは気持ちを持ち直して立ってカラダを揺らしたりもしたのだが、そのあと今度は「Smile」「Over the Rainbow」とスタンダード曲をメドレーで歌い、そこから大ヒット曲の「Everything」。さらには「アイノカタチ」。バラード攻勢だ。もちろんこうした王道バラードが彼女の持ち味だということはわかっているが、フジのステージに合っていたかと言えば、うーん。振り返れば2018年のホワイトステージでは「つつみ込むように…」も歌われたし、「真夜中のHIDE-AND-SEEK」のようにホーンが映えるかっこいい曲も歌われた。あの構成は夕方のホワイトに実に合っていた。それに対して今回はグリーンという大ステージであることを意識して誰もが知っている有名曲ばかりで構成したということなのだろうが、その誰もが知っている曲が「君が代」や「Smile」や「Over the Rainbow」というのはどうなのか。セットリストを考えるにあたっては、当然MISIAの意向だけでなく、ディレクター的なひとの考えも反映されているだろうし、関わる何人かの考えを擦り合わせて構成が決定されているはずだ。誰がこれでいこうと考え、誰がゴーしたのだろう。誰が「君が代」を1曲目にもってこようと言いだし、もしそれがMISIAだったとするならばどうして誰も「それは違う」と言わなかったのだろう。観ながらそんなことも考えてしまい、自分としては今回はもうひとつ入り込むことのできないライブとなった。レッドマーキーのGEZANを始めから観たかったので、「アイノカタチ」の途中で移動。

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レッドマーキーでGEZAN。凄かった。結論から書くと、今年観たなかでのベストアクトだ。この日のベストアクトというだけでなく、3日間通してのベストアクト。彼らは相当長い時間をかけてサウンドチェックをしていたのだが、その段階から凄かった。マヒトゥ・ザ・ピーポーはステージにいるかなりの人数の音を冷静に聴き、全体を見渡して冷静かつ的確に指示を出していた。既に大人数の客が集まっていて、その前でそれをしているわけだ。映画監督的な資質の備わったひとなのだなと思った(現在『i ai』という映画の脚本・監督を担当しているそうだが、なるほど、そういう表現者なのだろう)。ライブ本編はまず前半がとてつもなかった。ステージ上にはバンドのメンバーに加えて、後ろに20人近くの合唱隊。所謂ロックバンドのサウンドではなく、呪術的というか、宗教的というか、アフリカのどこかの部族の祈りの儀式みたいな多声音楽がバンドの鳴らす轟音と混沌とした様で混ざっているといった感じだ。その真ん中で鹿だかなんだかの頭を被って叫ぶマヒトは未開の部族の酋長のようでもある。ロックとかそういうものとは層の異なる、観たことのないものを目撃し、体験しているという感覚があった。その状態で数曲やって合唱隊が去ると、そこからしばらくはバンド形態のライブに。しかしパワーは少しも落ちることなく、マヒトのヴォーカルもメンバーひとりひとりの演奏の強度もさらに増していくように感じられた。マヒトが話を始め、新加入したばかりでこれがデビュー・ステージとなる18歳のベーシスト、ヤクモアを紹介すると、彼は「ロックスターになりに来ました!」と叫んだ。ドラマーが「(数ヵ月ぶりのこのライブで)カラダ中に血が巡っているのを実感する」というようなことを言っていたのも印象的だった。そして後半のハードコアな曲ではバンドの仲間?と思しきラッパーがひとり出てきて激しくラップして引っ込んではまた次のラッパーが出てきてラップして引っ込んでを繰り返す。最後に下着姿で出てきて叫び、観る者たちの度肝を抜いたのは、ゆるふわギャングのNENEだったようだ。またライブ終盤のマヒトのMCも強度のあるもので胸を打った。何をどう話したかここでその言葉を書き表すのは難しいが、途中まで話して観客が共感の拍手を送った際、それを制するように「いや感動とかで締めたいわけじゃなくて」と言い、自分自身で選択することの大事さを説いたのも印象的だったし、そういうところが信頼できた。「生きてるってこういうことだよなっていう一つの感触を、人と人が出会うことの意味を、2021年の混乱と光の同軸で鳴らし、記号ではない血の通った存在の振動でもって、苗場を爆発させる」とマヒトはフジに参加する前の覚悟をそう文にして綴っていたけれど、まさにそういうライブであり、苗場が爆発した。GEZANが爆発し、僕も爆発した。そのとき全てのモヤモヤが吹き飛んだ。カラダに血が巡っているのを実感できた。自分のなかの何かが長い間死んでいたが、このとき息を吹き返した。そういう感覚が確かにあった。全身全霊。爆発と祈りのライブ。GEZANのライブがレッドマーキーで行なわれているその間、外はこの3日間で一番の豪雨となったが、その雨の激しさがそこでのGEZANの表現を象徴しているようにも思えた。

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グリーンステージで、忌野清志郎Rock'n Roll FOREVER with ROUTE17 Rock'nRoll ORCHESTRA feat.仲井戸“CHABO“麗市。この時間帯はレッドマーキーでCHAI、ヘブンで上原ひろみが演奏していたときで、どれも観たかったし、配信でだったら自分はたぶんCHAIか上原ひろみを見ていた気がするが、苗場にいるからにはやはり清志郎の存在をそこで感じないわけにはいかない。何度も観たフジでの清志郎を思い出すということをしないわけにはいかない。なので、迷わずそれを選んだ。池畑潤二率いるROUTE17 Rock'nRoll ORCHESTRAをバックに様々なゲストが清志郎楽曲を歌うという、ここ数年のフジの恒例の出し物だ。

初っ端はエセタイマーズで、曲は「デイ・ドリーム・ビリーバー」と「TIMERSのテーマ」(の替え歌)。ヴォーカルはアジアン・カンフー・ジェネレーションの後藤正文だが、ありゃ?    歌にまるで気持ちが乗っていない。心ここにあらずといった感じの、なんとも弱々しい歌いっぷりだった。「デイ・ドリーム・ビリーバー」を歌い終わると、TOSHI-LOWさんに促されて後藤さんが話しだした。「へんな決意を持って、なんなら今日死んでもいいんじゃないかって気持ちで来たけど、歌っていたらなんか違うなって…」「楽屋で会ったみんなも自分にあたたかく接してくれて…」。後藤さんはフジロック開催前夜に、この状況のなかで参加することの複雑な心境をnoteに綴って公開していたが、オリンピックに対しての以前のツイートが引き合いに出されるなどして炎上。自分は後藤さんの書く誠実な文章をいつもいいなと思って読んでいるし、フジ出演にあたっての文章もまたそのように受け取っていて、そこまで批判されなきゃならないものだとは思わなかったのだが、しかしご本人はそれをもってツイッターを休むほどに相当の傷を負っていたようだ。なので、引き裂かれる思いで苗場に入ってこのグリーンに立ったのだろうことは理解できたし、同情(という言い方は失礼かもしれないけど)もした。でも、ならばなおのこと、ステージではそういうネガティブ要素の全てを吹き飛ばすくらいの気合い入った歌を聴かせてほしかった。「デイ・ドリーム・ビリーバー」がそういう種類の歌じゃないならば、「TIMERSのテーマ」で爆発してほしかった。「TIMERSのテーマ」では「ガースーもうやめてくれ、棒読み答弁聞きたくない」などと歌われ、ツイッター上ではフジで、しかも自分のバンドじゃないところでそれを歌うのがダサいというような批判が多く流れていたが、まあそれはいい。自分がこりゃダメだと思ったのは、そういうことを歌うのに声そのものがあまりに弱々しく、「今日死んでもいいんじゃないかって気持ち・覚悟」が少しも感じられなかったことだ。それこそ決死の覚悟に裏打ちされたGEZANの圧倒的な爆発力にやられた直後だっただけに、尚更「これはないわ」と萎えた。そもそもタイマーズとて歌詞は稚拙と言えば稚拙なものだったが、それをZERRY(清志郎)があの声のでかさで有無を言わせず叩きつけるように放つからこそ痛快だったのだ。自身の心情をステージ上で(しかもグリーンステージで)吐露して、覚悟を持つに至ってない状態で弱々しく歌うって、それ、清志郎が最も嫌うことじゃないか。加えて書くと、そもそもスタイルだけ真似て、内輪受けの冗談など言いながらヌルく進行し、「エセ」だからそれでいいのだと開き直っているようなバンドのあり方からしてもう自分にはどうしても受け入れられない。といったわけで、「忌野清志郎Rock'n Roll FOREVER」というそのテーマ性にも最もそぐわない数分間に思えたのだった。

それを除けば、ゲスト陣のパフォーマンスはいいなと思えるものが多かった。まずGLIM SPANKYによる「ぼくの好きな先生」がよかった。レミちゃんは自身の学校のまさにそういう感じだった大好きな美術の先生を思い出すので、この曲を選んだと話していた。動機のしっかり乗った歌唱だった。Charは「忌野清志郎, JOHNNY, LOUIS & CHAR」で86年に出したシングル「S.F.」のB面曲「かくれんぼ」を歌った。この曲を選んだこと自体が嬉しかった。トータス松本の「JUMP」は、彼のヴォーカルの質に合っていると思えた。YONCEの歌う「すべてはALL RIGHT」に続き、ステージにチバユウスケが登場すると「ボスしけてるぜ」の演奏が始まり、「え?  チバがボスボス、ボースって歌うの?」と驚いていたら曲が「あきれてものも言えない」に変わって、それはチバの歌い方によく合っていた。この曲以外、考えられないというくらいに。さらに、チバが「チャボ!」とその名を呼んだのも個人的に胸熱だった。チバがチャボの名を呼んだんだよ!!   続くUAは、清志郎が亡くなった年のグリーンの追悼ステージでは「スローバラード」を歌って、それも素晴らしかったが、今回は「トランジスタ・ラジオ」を歌い、途中、「聴いたことのないヒット曲」として自身のヒット曲「情熱」を挿んだ。ジャネール・モネイみたいな衣装をセンスよく着こなし、誰よりも楽しそうに歌うUAは華もあったし、清志郎の歌い回しもちゃんと自分のものにしていてさすがだと思った。奥田民生は今回もまた「スローバラード」を。MAN WITH A MISSIONのメンバーふたりは「ドカドカうるさいR&Rバンド」を歌ったが、このステージで”誰よりも気持ち“よさそうに歌っていて“サイコー・サイコー“だったのはなんといっても次の甲本ヒロトだ。曲は「キモちE」だが、歌の入りを間違え、照れ臭そうに頭をかいて笑いながらも上半身裸で飛び跳ねる。曲の終わりでは「間違えた~」と言って何度もシェー。ほんとに最高だ。全部もってく。そして楽しい時間のあとには泣ける時間が。チャボの持ち時間だ。チャボは言った。「清志郎、フジロック好きだったから来てるんじゃないかな」。また「ヒッピーに捧ぐ」の歌詞を引用して、「キヨシロー、天国から空を切り裂いて降りてきてオレたちを救ってくれ~」とも。そして選ばれた曲がなんと「指輪をはめたい」だったのには驚いた。チャボがこの曲を歌ったのは初めてのはずだ。わからないけど、久保講堂ライブの完全版『ラプソディー ネイキッド デラックスエディション』の発売にあたってそれを聴き返し、清志郎のそこでの思いの熱さを自身の声を通して表現したいと思ったのではないか。チャボは歌いながら、珍しいことだけど感極まっているように自分には見えた。あまり人前で見せない表情で歌っているように感じられた。その表情を見ていて、そして中盤からの梅津さんとの掛け合いを観ていたところで、涙腺決壊。チャボはコロナ禍が始まって以降、観客の前に立つことをしてこなかった。無観客の配信ソロライブは積極的かつ定期的に行なってきたが、こうして今回大勢の前でギターを弾いて歌うことには相当の決意と覚悟があったはずだ。だからか、この曲以外でもいつものチャボの明るい表情はそんなに見られず、どこか厳しい表情でステージに立っていたように自分には感じられた。チャボの歌のあとには、オールキャストで日本の有名なロックンロール「上を向いて歩こう」を。ヒロトがまたしてもシェーを繰り返していて最高だった。最後は「雨あがりの夜空に」をみんなで歌っておしまい、というのはよくあるパターンだが、そうせずに今回は「上を向いて歩こう」が選ばれたのがよかった。そして全員の去り際に、スクリーンいっぱいに清志郎の歌い姿が映し出され、そこで「雨あがり~」が使われたのだった。

このあと、苗場食堂での奇妙礼太郎を後ろのほうに立って15分程度観た。彼にもその前のグリーンステージに出てもらいたかったし、彼に「スローバラード」を歌ってもらいたかったなと思いながら。彼の歌はもちろんよかったのだが、レッドマーキーで始まった4s4kiの大きな音が流れてきて聴こえ辛くなったのは残念だった。

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グリーンステージに戻って、電気グルーヴ。2016年のクロージングアクトで観て以来のフジの電気グルーヴで、けっこう前のほうまで行って観た。ここに至る背景を改めてここで説明する必要はないだろう。誰もが「このときをどれだけ待ったか」という思いを持ちながらそこにいたはずだ。少し意外だったのは、今回は全体通してえげつなくバキバキな音で盛り上げるのではなく、ある意味抑えめのクールな音で、極端に言うなら盛り上がりすぎるのを抑えるくらいのトーンで大人っぽいライブを見せていた、というところだ。とはいえ、そういう音のあり方に対して、主役のふたりは楽しさ嬉しさを動きで素直に表わしていた。特に卓球は少しもそれを隠そうとしなかった。それがよかった。終盤ではふたりでハイタッチなんかもするもんだから、キュンキュンした長年のファンもたくさんいたのではないだろうか。感動を誘う見せ方・演出など一切してないが、ふたりは過去最高と思えるくらいにそこで輝いて見えた。ビリビリくる電気の音の振動に、自分のカラダが喜んでいた。フジで観る電気はやはり格別だ。

グリーンステージの3日目のクロージングアクトが終わると、例年ならジョン・レノンの「パワー・トゥ・ザ・ピープル」が流れるのだが、今年はそれはなし。「さぁ、立ち上がり 表に飛び出せ」。そういう状況では今はないという事実を、曲をかけないことで主催は伝えていたわけだ。スマイリー原島さんが「フジはもう一度初回に立ち返った」というようなお話をされていて、そうなんだな、ある意味今年のフジロックは「始まり」なんだなと思いもした。

レッドマーキーではまだ砂原良徳がDJをしていたので、寄って20分くらい聴き、そして友人とその日に観たものの感想など話しながら宿へ帰った。足は棒のようだったが、久々のリアルな肉体的疲れが嬉しくもあった。

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フジロック3日間を終えて。

8月23日(月曜)。

チェックアウトの際、宿の女将さんと15分くらい話をした。「音楽の灯、フェスの灯を絶対に絶やしたくないですもんね」と熱く話されるので、それに応えて自分もいろんな思いを話していたら涙が溢れてきて困ってしまった。湯沢町で暮らすこういうひとりひとりの思いがあってフジロックは続いている。それは確かなことだ。

越後湯沢駅でお土産など買い、食事してから新幹線で東京へ。車中でPCR検査の予約を入れ、家に帰った。妻が家で仕事をしていたが、その日はマスクをしたまま家庭内ディスタンス。食事も別々の部屋でとり、夜、自分は越後湯沢駅で買った新潟のお酒を呑みながらみんなのフジの感想ツイートなどを見て、「そうそう、あれよかった」とか「それはちげえよ」などとぶつぶつ言いつつ、振り返り時間をしばらく楽しんだのだった。

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8月24日(火曜)。

大手町のクリニックでPCR検査。地下鉄に乗って行ったのだが、感染対策がしっかり成されていた苗場滞在時及び往復時よりも、すぐそばにひとがいて換気もよくないこの地下鉄のほうがどう考えても感染率は高いよなと考えていたら、おかしな気持ちになった。

PCR検査は自費で3万3千円。めちゃめちゃ高い。無料で受けられる場所もあるようだし、2000円台や3000円台で受けられる場所もあることを知っていたが、こういうとき(フジロック参加後)だから少しでも信頼度の高そうなところをということで、その金額を払って受けた。現在日本では、症状が出ているひとじゃないと病院の検査が受けられない。無料で、受けたいときに受けられないというのはやっぱりおかしいよなと、前から言われていることだが今回初めて自分が受けてみて実感した。夕方、結果の通知が来た。陰性だった。かなりほっとした。が、たとえ陽性になって辛い思いをしても後悔はしないようにしようと決めていた。そう決めて、フジロックに参加した。

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苗場に行ってよかった。それは偽らざる気持ちだ。こんなに複雑ないろんな思いが頭のなかグルグル回っているのを感じながら過ごすフジは初めてだったが、それだけに尚更アーティストたちの熱演を観ていて胸が熱くなったし、泣いてしまったりもした。切実な言葉が響いたし、言葉を発さずとも表情からそれが伝わるアーティストもいた。ライブがどうだったというだけじゃなく、会場でばったり会った友人との時間、友人の紹介で会った若者たちと話した時間、宿での時間、ステージ移動時の土の感触、ゴンちゃん、ボードウォークの手描き文字、オブジェの夜の光、青い空、白い雲、山と緑の匂い、川の水、激しい雨、澄んだ空気、その全てがいつもよりもっと愛おしく感じられた。

けれども、「行ってよかった」と言うこと・ツイートすることは憚られた。3日間が終わってからもフジに対しての風当たりはしばらく強かった。酷い報道もあったし、でたらめな記事も出た。3日間たくさん歩いたことでカラダの調子はすこぶるよかったし、検査結果が陰性でほっともしたが、全てはオーライという感覚はなく、完全に靄が晴れたというわけでもなかった。

2週間ちょっとが過ぎて思うこと。

そこから2週間ちょっとが経った。この文を書いている9月9日の現時点でまだ主催側からの正式な発表は出ていないが、とりあえずクラスターの発生はなかったようで、それは本当によかったし、すごいことだとも思う。湯沢町のホームページにも「8月26日(木曜)以降、町で新規感染者は確認されていません」とあり、とりあえず開催地での感染拡大は抑え込めたことがわかっている。

しかし、フェスに対する人々の印象・評価・捉え方はこの数ヵ月……特にこの2~3週間でずいぶん変わってしまったように思う。補助金システム「J-LODlive」に基づいて1億5千万(5千万×3日)の補助金がフジロックに交付されることについての正しくない伝わり方と批判。愛知のヒップホップ系野外フェス「NAMIMONOGATARI2021」の感染対策及びモラルなき開催とクラスター発生。それが原因ではないにしても遠因にはなっているかもしれない、数多くのフェス(またはイベント)の中止あるいは延期。FFKTもハイライフ八ヶ岳もSlow LiveもワンミュージックキャンプもWILD BUNCHもなにわブルースフェスも今年はなくなり、スーパーソニックは来日アーティストの国内移動が困難になったため千葉のみとなった。SNS…というかツイッターでは、フェスそのものを悪しきものとして捉えて叩く傾向が急激に強まり、何がどうしてこんなふうになってしまったんだろうと胸が苦しくなったりもする。きつい。辛い。フェスを愛する、フェスに関わる、全てのひとにとって苦しい2021年だ。

「明かりは見え始めている」などと辞めていく首相のようにズレた楽観を口にすることなんてまだしばらくできやしない。フジのクラスのフェスでとりあえずクラスターの発生を抑えられたのは大きな一歩だと自分は思うが、しかしウイルスが各地で独自の変異を繰り返し、世界中で様々な変異株が現れるそのスピードに、イベント業界のアップデートが追い付いていくのは至難の業だろう。時間が必要だし、費用もかかる。

でも、非難を浴びながらも、とにかくクラスターを発生させずに開催できた今年のフジロックのやり方は、少なくともこれからのフェスのあり方の「参考」にはなるはずだ。自分はそこに期待と希望を持ちたいし、今はなんとも言えないけれど、何年か経ったときに「2021年のフジロック開催」がよかったこととして、あるいは何かひとつの始まりとして捉えられるようになったらいいなと、そう思う。

NO FESTIVAL, NO LIFE。

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長々と書いてしまったが、最後に今年のフジに関しての読んでおくべき記事をいくつか貼っておく。どういうところがよかったか、どういうところがよくなかったのか、賛否合わせて自分もまた読んでもう少し考えてみたい。

*主に何について書かれているか分類して並べようと思ったのだが、やり出したらちょっとたいへんだったので、ランダムに並べてます。

そして下は、本来なら9月に開催されるはずだったフェス「ハイライフ八ヶ岳」の、開催の有無に関するミーティングの模様をレポートしたもの。フジロックも、ほかのいろんなフェスも、このように中でどういった話し合いがなされているのかを我々がもっと知ることができれば、今回起きたような分断も防げるかもしれない。フェスの規模の違いはあれども、やはり透明性が高ければ高いほど信頼できるというもの。「KEEP ON ROCKIN’」みたいな言葉ではなく、より具体的な今年のフジの結果報告のようなものが主催から出るといいなと思っている。







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