死とは何か、ALSに抗うために肉体をサイボーグ化した人と「クララとお日さま」に考えたこと
先日の投稿で「自分が口から食べられなくなったら」「呼吸できなくなったら」延命措置はやめるかどうか、という意思を書く、ACP(アドバンス・ケア・プランニング)のエンディングノートを書く会について書きました。その時は、「人間のいれものである肉体が機能しなくなったら、管につながれて生きているよりは死を選びたい」と感じました。
一方で今週、それを真っ向から否定するようなドキュメンタリーを観ました。全身の筋力がなくなっていく難病 ALS患者の方が自らの体を先手を打って生命維持装置とつなぎ、コミュニケーションはAIを活用し、サイボーグ化して生きていくことに挑戦する、というものです。
クローズアップ現代+「ピーター2.0 サイボーグとして生きる 脳とAI最前線」
https://plus.nhk.jp/watch/st/g1_2021112404606
(見逃し配信は放送日11/24の1週間後まで)
要約記事はこちら↓
ピーター・スコット-モーガン氏(60代前半)は、4年前に全身の筋力がなくなっていく難病 ALSを発症し、余命2年と言われました。
彼は自身の専門であるロボット工学を病の克服に活かせると考え、ALSが進行する前段階、まだ嚥下障害(ものを呑み込めなくなる)や栄養補給、排せつに問題がない状態で、先手を打って呼吸器、胃ろうによる栄養補給、排せつ装置を取り付ける手術をします。
さらに言葉が話せるうちに自身の声をAIに学習させ、現在は眼球の動きでキーボード入力を行い、それを自身の声でAIで発話させてコミュニケーションをとっています。AIを使うので日本語でも何でも話せます。彼をバックアップするインテルやPCメーカーにより、彼は「コンピューターやAIの進歩により自身のパワーも飛躍的に進歩する」と笑います。
メカニカルな車いすのような椅子の後ろに呼吸装置や栄養装置をつなぎ、アバターに話させ明るく微笑むピーター氏のチャレンジを、私の感情はストレートに受け取ることができませんでした。これは、自身のバイアス(偏見)がある可能性が多分にあり、それを紐解いていくための文章であることを、ご理解いただければ幸いです。
感じたことは、
「これは一部の特権階級だけが命にあらがっている状態ではないのか?」
「自分で食べられない、排せつできない、呼吸できないという状態は『死』ではないのか?それを機械に置き換えて生きていく人が大量にいる社会はディストピアではないのか?」
「その社会が可能だとしても、発展途上国の人たちが同じように病を克服できるようになるのは50年後では?不公平な命の格差がさらに広がるのでは?」
でした。先日エンディングノートで延命措置について学んだばかりということもあり、またピーター氏のビジュアルに受けたショックもあり、感情で反応してしまったとは思います。
一緒に見ていた長男に意見を聞くと、
「新しい技術はいつだって先進国から始まるやん。世界同時に普及することはあり得ない。公平性にこだわったら何も進化できない」
「老化して肉体が使えなくなるのと、60代のALS患者は同列には扱えない」とのこと。なるほど、私よりよっぽど冷静な意見です。
ALSについて調べると、確かに最も発症しやすい時期は60代-70代だそうです。これを10代発症と比べるかはおいておいて、確かに「まだ寿命がある人がかかる難病」と捉えると、私の最初の考えは老後の方々と一緒にとらまえていた気もします。
また、ピーター氏はこうも話していました。「最もバカげた批判は、私の挑戦が正しいとは思えないというものでした。しかし常識は変わります。
女性の役割や老い 障害や同性愛についても常識は進化してきました。
我々は新しい時代の夜明けを迎えています 程度の差はあれ あらゆる人が 肉体にテクノロジーを取り込んでいくでしょう 私が1人目だったというだけです。」
私はただ、知らない事象にアレルギーを起こしているのだけなのかもしれません。
彼がAIに置き替わっても愛せるか?
もう一つ、自分の考えが刺激されたことがありました。
番組の中で、「ーーピーターさん、未来の話をさせてください。AIの劇的な進化によって、自分自身のコピーまで作れる可能性が現実のものとなってきています。たとえ脳や身体がなくなってもあなたをコピーしたAIは生き続けることになります。そのAIは、あなただと言えるのでしょうか?」という質問に対し、ピーターさんはこう答えていました。
「私の肉体が死を迎えたら AIは私の人格を支配するのか。ジャズの例えに戻ると歌手が死んだあとでも セッションできるのではないでしょうか。もし..生前の歌手と見分けがつかないほどピアニストが上手に歌うことを学んだら…AIはコピーではなく、真のピーター2.0と言えるはずです。
その真の私であるAIは 肉体の死を乗り越えるのです。
(中略)もしあと20年私が生きたならAIは私の活動の大部分を担っているでしょう。認知症の私を助けてくれているかもしれない。
ですから私の肉体が死を迎えても驚くほど小さな違いしかないと思います。
残されたAIのピーターは本物の人間と同じです。慈しむ心や常識を打ち破ること そして愛 これらがあれば生物かAIかなんて 些細な問題です。ㅤ」
さらにピーターさんのパートナーへ質問がつづきます。
「もしピーターさんをコピーしたAIが残るとしたら、そのAIをピーターを愛するのと同じように愛せますか?」
答えはYESでした。
これは、本人の意思で準備したAIでパートナーも納得していればこそかもしれません。
私が思い出したのは、カズオイシグロの「クララとお日様」でした。
以下ネタバレになりますが、
ロボットであるクララは、死に至る病にかかっているお嬢さんのうちに雇われ、途中で両親から「お嬢さんの挙動を十分に学び、コピーし、お嬢さんが亡くなった後は身代わりとしてご両親に愛される役割」であることを知らされます。
人が死んだ後もAIが代わりになってくれたら、慰めになる。ということと、
愛し合っている二人が片方が先だった後、前もって準備したAIと生きていくということは、ちょっと違うかもしれませんが、
22世紀後半の世界が見たいような見たくないような気分になった、今日この頃でした。
最後にピーターさんの著書を紹介します。ものすごく勇気ある前向きな方であることは間違いなさそうです。
明日また推敲しますが、取り急ぎ!
おやすみなさーい