どう死ぬかはどう生きるか『私の生き方連絡ノート』を書こう会に参加


緊急事態宣言がまだ新鮮だった去年の春頃、「コロナで死んだときの為に遺書を書いた」という友人が居ました。それがきっかけで終活に興味がわき、終活関連の情報をあつめている中で、「私の生き方連絡ノート」とそれを書く会を知り、参加しました。こちらはその感想を友人たちに向けて書くものです。ひとことでいうとお勧めです。

「私の生き方連絡ノート」とは、「自分の受けたい医療・ケアのためのエンディングノート」

“私は長年医師として過ごしてきましたが、どうしてもやるせない気持ちになることがあります。それは患者さんの最期が近いとき、果たして治療の選択や処置の状態が、本人の希望に沿ったものかどうかわからない状況に出逢うからです” 

(ノート冒頭「医師からのメッセージ」より引用・自分らしい「生き」「死に」を考える会代表 渡辺敏恵さんの言葉)

自分が受ける医療行為についての判断ができなくなったときに備えて、そうなってしまったときにどのよう医療行為を希望するのか、またはしないのかを前もって考え、書面に残したものをリビング・ウィルといいます。

(ノート冒頭「アドバンス・ケア・プランニングとは」より引用

つまり、このノートは「自分が望む医療・ケアのかたち」について家族や近しい人に伝えておくために書くものです。

ノートに含まれないもの

遺言、銀行口座など資産情報、葬儀やお墓の希望など。

書こう会の開催形式

開催は10時から15時の5時間。申込む時は「そんなに長い時間」と思ったものの、一人ひとり話す時間、書く時間を細切れに取り、お昼は1時間程度の休憩もあり、割とあっという間でした。参加人数3人に対し開催者3人と、とても丁寧に場を扱っていただいた印象です。

開催されている方々は理学療法士など医療系のお仕事とコーチングをされていて、私がこれまで避けてきた「終末医療」や「延命措置の具体例」について、イメージを持たせて下さいました。

自分が意思表示ができない時は3種類ある

自分が意識していなかったことですが、自分の意識がない状態で医療の選択を希望する時は、3種類あると知りました。

1. 急な病気や事故などで意識が鮮明でないとき

これは、若い時でも十分起こりえます。子育て真っ最中の時、まだやるべきことがあるから死ねない時。コロナで重症化した時に人工呼吸器を希望するかどうかは、これに当てはまりますね。

2. 病気・事故などの闘病が長期間続き、かつ意思表示ができないとき

これも1と同じく、若い時でも起こりえますが、想像はしていませんでした。

3. 認知症が進んだとき

私がイメージしていたのは認知症の時だけでした。80歳を超えて認知症になった時の延命措置と、1.のような急な状態の延命措置は違う考え方になると整理できました。

延命措置の色々

蘇生措置にも心臓マッサージやAEDから、人工呼吸器、気管切開、腎臓への透析まであること、食べられなくなった際の延命措置にも胃腸へチューブで栄養を送ることから点滴、またその中にも何種類もあることなどを教えて頂きました。感想としては、「回復の見込みがないなら生かされているだけで家族に金銭的肉体的精神的負担をかけたくはないな」というものでした。でも食べられなくなって死ぬのって、餓死・・?それも嫌だ・・

感じたこと

「私について」と自分の人生を振り返り、人生のゴールまでの道をどう過ごしたいか書くワークがありましたが、「振り返り」と「これから数年後の希望」は書けるものの、「老後」って具体的なイメージがかけないなと思いました。それでも50年以上あるのに、受験や就職、結婚といった行事が(多分)ない長い時間を、どう過ごしたいのだろう。

その後、「自分が余命3か月の時に大切にしたいキーワード」を選ぶ作業がありました。「余命3か月」で選ぶ言葉はなど、「自分がどう生きたいか」よりも「弱った、死ぬ間際の、不自由な状態の自分」を強くイメージするため、「苦しくないこと」等が上位に来て、「きれいごとを言っていられない状態なのだ」と自覚しました。それでも、そこで選んだ言葉をもとに「どう生きたいか」を考えていくワークに続き、「苦しくないこと」を意識して人生を生きるってどういうことなのか、考え続けています。

まだ感想を追加するかもしれませんが、取り急ぎ。

ノートはこちら


ワークショップに参加せずに書く場合の解説本はこちら。私はこれから買って親に話をしようかと思います。



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ではではー



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