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イタイ、ザンネンなところも憎めない。
今日は今年最後の対面セッション。
開業届のことと、恋愛のことを相談させてもらいました。
開業届のことは重要だけど急ぎではないので、一旦保留して冴える時の自分に判断を任せることにした。
改めて感じたのは・・・
仕事も、恋愛や家族のことも
自分のことを経営するところが基本なのだなということで。
自分を操業するということは
自分の気質を知った上で
どの状況でも
自分にとってのベストで選んでいくことなんだなって。
言葉にするとシンプルだけど、やってみるとズレやすい自分との付き合いに四苦八苦する。
***
恋愛のことになると
同性の友達や仕事上の付き合いの人にはあんまり出ないものが表れるのでびっくりする。
願望、思い込みや価値観・・・
うわ。わたしこんなことを思ってるんだ。
落ち着いて眺めてみると、イタイところやザンネンな部分を知って少し凹む。
例えば、返信がなかなか来ないことを気にしたり・・・
食事代を出してくれなかったことに不満を持ったり
デートに誘ってくれないといじけてみたり
相手に何をしてもらったかで、どれだけ大事にされているかを測ろうとする。
そのくせ、好きという気持ちや、何かしてもらった時の喜びの表現が出来ていなかったりするんだから。
何故か好きと言ったら「負け」だと思ってる。
うん??いつから勝負になったのだ???
自分の問題を担わそうとしてる時点で負けてるし。
そういうちょっとイタイところ、可愛げのないところ。
わたしにもありました。
そのことに気づいたら、さっさと自分に降参した方がいい。
女の人ってそうなりやすい人多いよって言われて、自分だけじゃないのかって思った。
わたしの課題は、みんなが持ってる課題でもあるのだな。
***
わたしは相手の苦手なことを自分の価値観で要求してて、
そのことに気づいて反省した。。
自分が思ってること、相手に言ったこと自体は後悔してないんだけど。
その時はそうしたいと思ったから。
ただ悪気無かったとは言え、なんで出来ないの?って
苦手なことを迫られたら嫌だし、お節介されたら不快だよな。
言ってみたらそのことに気がついて
申し訳なくなって謝りたくなった。
***
人を好きになることで、普段出会わない自分を知ることが多い。
それは見たくないと思っている部分の時もある。
正直ちょっとメンドクサイと感じてるけど。
「好き」という気持ちを育てたいのだ。
何かを好きになっている、自分のことが好きだから。
誰かを好きになることでもいいし、一人で楽しめるものでもいい。
「わたしは沢山の人や物を好きになったな、愛したな」って思い出しながら死ねたらめっちゃいいよねって、話していた。
今日はよく遊んだな、あれが楽しかったな、よかったなと思いながら眠るみたいに。
あ~。よく生きたなって思いながら死にたいな。
わたしはティム・バートンという監督の映画が好きで、「ビッグフィッシュ」の最後のシーンを思い出した。
主人公の父親が亡くなる時、父親が今まで出会って来た人たちに拍手で見送られながら魚になって泳いでいく。
自分の世界の住人たちに祝福されながら旅立って行く描写がすごく良かった。
あんな風に死ねたら幸せだ。
とりあえず、わたしは彼に謝りたくてメールした。
もしかしたらもう無理かもしれないけど。
「ゴメン」って言いたい。
その気持ちに応えるめに、できることをしたかったのだ。
人を好きになると表れる私の中の痛くて残念なところたち。
かっちょ悪いけど憎めない。
セッションを受けた後メールしたら腹ペコになり、
もちもちチョコパン食べて労った。