見出し画像

父と母

私の両親はあまり仲がいいほうではなかった。
母は結婚してからずっと専業主婦をしていた。父は母を働かせないことにプライドを持っていた。父は家庭への関心が薄かった。母は家のことは一手に引き受け、子育てもしていたためキャパオーバーになっていたのかもしれない。イライラしていることが多かった。

母は言葉がきつく、私達姉妹もその言葉が今でもフラッシュバックすることがある。父に対する言葉も「その言い方はないんじゃない?」と思うことが多々ありました。若いころの父はそれに対して言い返すこともほとんどなく心が広いか気にしていないのか不思議だった。

父は75歳を超えたころから、物忘れがひどくなり何度もおなじことを聞いてくることが多くなった。老化現象だからと思いその都度同じ答えを返していた。母はイライラして怒りながら返答していた。
実家は田舎で車がないと買い物や通院が不便だった。父の運転はだんだんと危なっかしくなってきていた。決まった場所と決まった道しか通らなくった。少し違うところに行こうとすると慎重になりすぎて視野が狭くなるのか注意力散漫になり、横から出てくる人を認識していないなど危険なことがあった。母からその報告を受けて父に免許返納しようと提案すると過去一番くらいの剣幕で「俺は大丈夫だ!事故の確率はお前と変わらない。何もわかってない」などと永遠と怒られた。「事故して嫌な思いをするのはお父さんだよ。そんな思いしてほしくないから言ってるんだよ。私たちにだって運転をやめさせる義務があるんだよ」と本当にわかってほしく説得しましたがダメでした。それ以降当てつけのように毎日のように車で勝手に出かけるようになり毎日ひやひやしてました。

免許更新に案内がきました。その時も返納したら?と言いましたが「しない!」と言い張った。運転しないようにカギを隠しましたがそうすると母に手が出るんじゃないかと思うくらいの剣幕で怒り狂うため仕方なくカギを渡しました。私は悩み返納させるためにはどうしたらいいか大変悩みました。認知機能検査を受ける教習所に電話して父を落としてくださいとお願いしました。検査結果が満たしていればそれは合格にするしかありませんと…。本当に運転が危ないんですと訴えました。

認知症機能検査の日。父は筆記の試験のみで帰宅。落とされたと…。私はホッとしました。母はあんなに運転してほしくないと言っていたのに「お父さんがかわいそう」と泣きました。頭の中が???に。この夫婦わからないな。事故を起こされて他人を巻き込んだらと思うと毎日心配で運転しなくなったらその心配もなくなるのに何でかわいそう?
父はこの結果に納得がいかず、病院で検査を受けると言っていたが翌日になるともう返納すると…。私の戦いはひと段落つきました。

そのころから父と母の立場が逆転していました。父はちょっとしたことでも大声で怒鳴り散らすようになり母はおびえて生活。母も体調があまりよくなく横になっていることが多くなってきましたがそれでも8時、12時、18時に食事の支度が出来てないと「ちょっと待って、今したくするから」と言っても怒りが収まりません。そんな状況が続き母は鬱症状になってきました。

病気が認知症がその言動になっているのは承知ですが、そう割り切れず父を恨むこともありました。両親の様子にもう家族じゃ対応しきれないと地域包括センターに相談することにしました。父と母…幼少期から父が亡くなるまでいつもどちらかがイライラしている。言っても仕方ないけどなんでこうなの?と悲しくなりました。夫婦ってむずかしいなと…。母は父に暴言を吐きながら好きだったのだろうか?情はあったのだろうか?両親に関しては謎だらけです。

<a href="https://resast.jp/subscribe/290757">終活=今活の購読申し込みはこちら</a>

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?