見出し画像

親への感謝と嫌悪感と罪悪感

うちの実家は田舎で買い物、通院など車がないと行動できない。
父が運転免許を返納してからは私が定期的(週1くらい)に買い物に連れて行っていた。
幼少期と変わらず機嫌の悪い日もあり、気を利かせて行ったつもりだけど
行かなきゃよかったと思うこともたびたび。
私が結婚して家を出てからなぜか月に1~2回くらい顔を出さなきゃという
義務感があった。勝手にそう思っていただけだが・・・間を空けると行きづらくなるようなまた不機嫌になるのでは?などいろいろな思いが巡りそうしてきた。行きたいと思って行ったことはほぼない。
遠方に住む姉はお正月に2泊するだけ。それでもたまに帰ってくる姉に両親は嬉しそうで歓迎していた。姉がとてもうらやましかった。私は近くに住んで嫌なことも引き受けてやってるのにと。

認知症だった父が6月に亡くなり、各種手続きに追われていたせいか
私はさみしさを感じることがなかった。ある程度覚悟ができていたのもあるかもしれない。母も同じで亡くなった直後はバタバタしていたせいかいつもと変わらぬ様子だった。1ヵ月半くらい経ち、だいたいの手続きが終わり電話や役所からの封書がなくなったころ緊張の糸が切れたのか母がガクっと元気がなくなった。もとから父の攻撃で鬱症状があったがぼーっとして食事も摂らないこともあった。
心配はしているが、これ以上頻繁に実家に行くことがどうしてもできない。
母に頼まれてやったことでも文句を言われたり、わけもなく機嫌が悪かったり、家族だけでなく周りの人にも感じの悪い態度をとる母に嫌悪感があった。いつまでも幼少期のトラウマが消えない。怖さがある。
今別居中で一人暮らしをしているので、本来なら実家に戻るのがベストだと思うが絶対に無理!そう考えていることに罪悪感がある。
金銭的に苦労せず、進学させてもらったことには両親に感謝している。
感謝と嫌悪感と罪悪感で揺れている。本当に自分が嫌いになりそうなくらいつらかった。
幼少期からの私のことを全部わかっている方に相談したところ、
「ここでじゅんが無理してお母さんと一緒に住むという選択をしたら、共倒れになると思う。じゅんが精神的におかしくなる。今まで十分がんばった。
親のために、子供のために、また親のために・・・って誰のために生きてるの?これからは自分のために生きなよ」
その言葉に救われた。
自分のできる範囲でやる。どうしても困っていることは支える。
救いなのは孫たち(私の子供)がたまに母のサポートをしてくれること。子供である私より孫のほうがうれしそうだ。
今は体がまだ動く母だが、今後日常生活に支障が出てきたときには本人と相談の上、納得のいく形で専門家の方に手を借りながら面倒を看ようと思っている。一人で背負わない。自分の人生も大事にしたいから。
親に対して嫌悪感がなかったら…気持ちよく面倒が看れたのかもしれない。
ほかの事情で親の面倒を看れない方もいると思う。それでも罪悪感を持たないでほしいと思う。親に対してできることはその家庭で違う。とっさにいろんな準備はできないのでいざという時のための準備=終活をしてほしいと思います。

【リザーブストック・終活サイト】 

https://www.reservestock.jp/54137


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?