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【171.水曜映画れびゅ~】"City Hall”~“本当の”聞く力~

"City Hall”ボストン市庁舎は、日本では2021に公開された作品。

2021年のキネマ旬報ベスト・テン(外国映画部門)にて、2位に選出されたドキュメンタリー映画です。

作品情報

多様な人種・文化が共存する大都市ボストンを率いるのは、アイルランド移民のルーツを持つ労働者階級出身のマーティン・ウォルシュ市長。2018~19年当時のアメリカを覆う分断化の中、「ここではアメリカ合衆国の問題を解決できません。しかし、一つの都市が変われば、その衝撃が国を変えてゆくのです。」と語る市長と市職員たちの挑戦を通して「市民のための市役所」の可能性が見えてくる。それはコロナ禍で激変する日本社会に暮らす私たちにもますます切実な問題だ。私たちが知る<お役所仕事>という言葉からは想像もできない、一つ一つが驚きとユーモアと問題提起に満ちた場面の数々。ボストン市庁舎を通して「人々がともに幸せに暮らしていくために、なぜ行政が必要なのか」を紐解きながら、いつの間にかアメリカ民主主義の根幹が見えてくるドキュメンタリーが誕生した。

日本公式サイトより一部改編

マーティ・ウォルシュ

数年前、映画評論家の町山智弘がラジオとBSの番組で紹介していたのが、本作『ボストン市庁舎』。ボストン市庁舎(日本で言う「市役所」)の姿を淡々と映し出した、4時間超のドキュメンタリーです。

監督は、ドキュメンタリーの“生きる伝説”と言われるフレデリック・ワイズマン。本作を制作したきっかけは「市の仕事を密着して撮らせてほしい」とあらゆるところにかけあったところ、ボストン市長からのみ・・返事があり、撮影を承諾してくれたという背景があるそうです。

その市長が、ただものではなかった…。2014年から2021年までボストン市長を務めたマーティ・ウォルシュは、治安が荒れていたボストン市を大改革した人物だったのです。

市民に寄り添う姿勢

映画で描かれるのは、ウォルシュ市長をはじめとする市庁舎で働く職員の姿。彼らは、とにかく市民の声に耳を傾けます。

ボストンでは311という番号に電話を掛ければ、市庁舎のコールセンターへと繋がります。その電話では「○○で信号が消えている」であったり、「ネズミが出ました」であったり、とにかく何でも相談していいことになっています。このシステムは、ウォルシュ市長の姿勢そのものです。

劇中の序盤で印象的なシーンがあります。高齢者向けの詐欺予防セミナーみたいな集まりがあった時、市長がスピーチをする場面です。そもそもそんなセミナーに市長が出てくること自体が驚きなのですが、そこでのスピーチの内容もすごいのです。

「もし困ったことはあれば、311に電話してください。私と話したいのであれば、311から直通で繋げることもできます。もしくは、通りで私を見かけた時、声をかけて困っていることを教えてください」

まさに“聞く力”。何よりも市民の声を大事にするその姿勢は、職員たちにも波及していきました。

この映画で大好きなシーンがあります。それは、交通課の職員が駐車禁止の罰金を払いに来た男性とやりとりをする場面です。男性は駐車禁止を反省している一方で、妻の陣痛が始まったと知り、その時は気が動転していたのだと職員に話します。すると職員は、「それなら今回は仕方ない」といった感じで、罰金を免除するのです。完全に職員の独断で決めてしまうのです。それは、規則からすれば間違いです。でも、とても人間的な行為だと私には思えました。

”本当の“聞く力

先日、新内閣発足に向け、岸田内閣は総辞職しました。思えば、岸田前総理は前回の総裁選で“聞く力”をスローガンに掲げ、総裁に選ばれました。しかし、その実際はどうだったのでしょうか?

安倍元総理の国葬から始まり、増税やインボイス、複雑すぎる減税政策、裏金問題…。国民の声に耳を傾ける様子などなく、その証拠に支持率は下がり続けました。聞く力とは、一体誰の声を聞く力だったのでしょうか?そんな中身のないスローガンよりも、ウォルシュ市長の方がよっぽど“聞く力”があるように思えます。

そして新しく生まれた石破内閣。期待していないこともないですが、一方で総裁選キャンペーン時は裏金問題への再調査の必要を否定するなど、疑念はあります。

民主主義を支えるのは、国民です。国民の代表が議員なのです。国を担っているのは国民であり、議員ではありません。議員は国民の声を実現するために選ばれているのです。だから、国民の声を聞かなければならないのです。

日本とボストン市では、国と市と単位が違うから単純に比較できないと言い切っていしまうのは簡単です。でも本当にそうでしょうか?根幹は同じのような気がします。そう言い切って「無理だ」と最初から諦めてしまうような人には、私は票は入れたくありません。

今月27日に衆議院総選挙が行うと石破新総理は表明しました。

正直、誰に、どの党に入れるべきかはわかりません。でも、もし『ボストン市庁舎』で映し出された姿勢を日本でも目指すような、”本当の”聞く力を持つ人がいるならば、私はその人を自分の代表として選びたいと思います。

あとがき

私は『ボストン市庁舎』を今年の初めに視聴し、非常に感銘を受けました。市長はボストンが多くの問題を抱えていることを自覚する一方で、困っている市民を1人残らず救おうとし、その姿勢に理想的な政治の姿を見ました。反対意見に耳を貸さず議会との対立し続け、結局何も成果を出さないまま任期途中で都知事選に出た市長とは大違いです。

そんな『ボストン市庁舎』を私のnoteでもいつか紹介したいと、ずっと思いました。“聞く力”というキーワードで、記事を書きたいと思っていました。結果的には、“聞く力”を掲げた首相から新しい首相に代わるタイミングのはなってしまいましたが、それと同時に総選挙も発表されたので、記事を出すベストでありラストタイミングだったかなと思います。

党員でもないし、特に自民党支持でもない私にとって、選挙権もない総裁選の話でニュースが埋め尽くされた先月は、正直言ってうっとうしかったです。候補者たちの街頭演説に何の意味があるのかも、見出せませんでした。

そして総選挙が始まります。実績も何もない新政権発足のタイミングで選挙に踏み切るとは、いかにも“政治的な”選挙戦略ですが、決まったからには投票には行こうと思っています。たとえ1票でも意思表示はできますし、なんなら白票を入れるだけでも価値があると私は思っています。ただ白票はもったいない気もするので、結局は有効票としての1票を投じたいとは思います。

たとえ今回の選挙ではダメでも、ここ数年、数十年はダメでも、いつかはウォルシュ市長のような国民の声に真摯と向き合う政権が誕生してほしいと願っています。その未来の種まきになるならば、自分が持つ1票に希望を託したいと思います。


前回記事と、次回記事

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次回の更新では、稀代のクレイジー監督ヨルゴス・ランティモスによる異色のオムニバス映画“Kinds of Kindness”憐れみの3章を紹介させていただきます。

お楽しみに!