【150.水曜映画れびゅ~】"All of Us Strangers”~原作と合わせて観てほしい~
"All of Us Strangers”は、4月19日から劇場公開されている映画。
英国アカデミー賞にて監督賞・英国作品賞など6部門にノミネートされた作品です。
あらすじ
再会
ロンドンにあるタワーマンション。アダムはテレビドラマの脚本家として働きながら、そこで1人暮らしをしていた。そのタワマンは都会にあるにもかかわらず、夜になると人気がなくなる。ある夜にアダムがマンションを見上げると、電気が点いている部屋は自分の部屋と、あと1つだけだった。
「さっき、僕の部屋を見てたよね?」
その夜に、ある男がアダムを訪ねてくる。先ほど電気の点いていた部屋の住人であるハリーだ。
「寂しい夜だ。一緒にお酒でも飲もうよ」
ハリーの誘いをアダムは断った。
・・・
ハリーと出会った後、アダムに再び奇妙な出会いが訪れる。
ある日、アダムは自分の生家に帰った。「帰った」といっても、アダムは12歳の頃に両親と死別しており、生家はただの空き家になっているはずだった。
そのはずだったが…
「よう、久しぶりだな」
そこにいたのは、死別したはずの父と母だった。
山田太一の名作を、再映画化
本作の原作は、『ふぞろいの林檎たち』(1983)などで知られる脚本家、そしてその後小説家に転向した山田太一の小説『異人たちとの夏』(1987)。第一回山本周五郎賞を受賞した作品でもあります。
この小説は、1988年に大林宣彦監督により映画化されました。
私は、原作も未読で、大林版の映画も未見の状態で本作を鑑賞しました。そして鑑賞後、居ても立っても居られなくなって、映画館を出た足で書店へ向かい、原作を購入しました。
原作と映画、"違い"を楽しむ
映画を観た後すぐに原作を読みたくなったことには、理由があります。というのも、本作のストーリーがあまりにも現代的、そして欧米的なものになっていたからです。
ロンドンという設定もそうですが、主人公の性的趣向や会話の質感など、日本の小説が原作とは思えない印象なんですよね。
ということで、鑑賞後の熱が冷めないうちに原作を読み切りました。
やはり、映画と原作でかなりの違いがありました。極論、全く別物といってもいい感じでした。
しかしそれは悪い意味ではなく、むしろ"そこがいい"。
原作では浅草が舞台となり、人情味のある両親との再会とその交流に、心温まります。一方で映画では、「再会できて、よかったね」では話は終わらず、そこからアダムは両親にゲイであることをカミングアウトします。そこから生まれる家族の葛藤、そして数十年越しに本当の息子の生き様を認めようとする両親の姿が映し出されます。
そして最も顕著な違いは、ラストシーン。原作の最後は急にホラー的な展開になるのですが、映画は全く異なります。
原作で描かれた"拒絶"が、映画では"受容"へと変わります。
映画と原作、どちらがいいという話ではありません。どちらもいいのです。なので、映画鑑賞前でも鑑賞後でもいいので、この映画を観られた方はぜひ原作も合わせて読んでいただきたいです。
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次回の更新では、濱口竜介の『ドライブ・マイ・カー』(2021)以来となる新作『悪は存在しない』を紹介させていただきます。
お楽しみに!