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当時高校生の火事の日の記憶(2)

また母の声で起きた。
朝か、昼か。外は明るくなっていた。

新聞屋さんに何かご飯をもらった記憶はある。
何を食べたかは覚えていない。

いつまでも寝ている父を母が怒っていたり、起きても壁に寄りかかりうずくまり続けている父に母が喚き散らしたり。
そんな光景ばかり覚えている。

消火活動が終わり家に入れるようになったと聞き、家に帰った。
まず心配なのは猫だ。
犬は家の外で飼っているのでおそらく大丈夫だろうが、猫は我が家に来てから外に出したことはない。
もし外に逃げていたとしたらもう見つからないかもしれない。
まだ家にいたとしたら、生きているだろうか。

猫は、生きていた。
猫の名前を呼ぶとどこからか小さく返事が聞こえる。
名前を呼び、耳を澄まし、名前を呼び、と繰り返して、和室の押入れの中で見つけた。
襖は閉まっていたのでどうやって押入れに入ったのかは不思議だが、とにかく生きていてよかった。

リビングはぐちゃぐちゃだった。
天井に穴が開き、床は水浸し。
変わり果てた姿というほどではなく原型はしっかりあり、それだけに何とも言えない虚しさがあった。

リビング側から見たキッチン

二階に上がった。
父の部屋、兄の部屋、そして僕の部屋がある。
兄の部屋の光景は覚えていない。

消防隊は僕の部屋の窓から入ったようで、窓は割られ、窓際のベッドには靴跡があり、やはり床は水でぐちゃぐちゃになっていた。

父の部屋。
巨体に合わせたサイズのベッドに大穴が開いており、そのまま床まで貫通している。
火元はここである。
もちろんベッド以外もひどい有様だった。

父の寝煙草が原因、というのをどのタイミング聞いたのかは覚えていないが、このときにはすでに知っている状態だったと思う。

煤で黒くなり水でべろべろになった教科書を回収。
学ランも無事だ。
今日は学校に事情を説明し休んだが、明日からは学校だ。

実際に燃えていたのは父の部屋のベッドの部分のみで、ほかの部屋の被害は主に煙や煤と消火の際の水によるもののようだった。
しかし、もう住める状態ではない。

このあとのことは、少し記憶が抜け落ちている。

ご近所さんが家の掃除をしてくれた。

母が近くの狭いアパートを契約し、そこに住んだ。
火事の家から少しずつ必要なものを運び入れた。

犬はどうしようもなかったので兄が犬二匹を土手の防風林の木につないで、ドッグフードもある程度の量を置いてきた。
猫は一緒に住んでいたんだったか、あまり覚えていない。

父は一緒に住まず、それきり数年会わなかった。

土手から犬二匹がいなくなった。
それから犬は見ていない。

教科書や学ランはしばらく燻製臭いまま、学校で周辺の席にその異臭をまき散らしていた。

兄は高校を卒業し、フリーターになった。
センター試験はギリギリ火事の前だったが、二次試験は受けたのか、僕は覚えていない。


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後から知った真相というものをすべて省いた、当時の視点です。

何も知らなかったがゆえに平和だと思っていた、その仮初めの平和が一気に壊れたのは、そのハジマリは火事の日だった。
そこから人生は大きく動いた。
実はもっと早い段階から詰んでいたのだが、それを知らない身からするとすべてのハジマリはここだった。

一旦この火事の話の真相編を書くか、それともまだ何も知らない状態での視点でこの続きの出来事を書いていくか、まだ検討中ですがひとまず火事の話はこれでおしまいです。
火事は始まりに過ぎない。人生はこのあとまだまだ続きます。

火事の1年前の猫。かわいい。

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