金玉が大きいので病院にいったら即入院即手術になった話(3)
肩を叩かれながら名前を呼ばれ、意識を取り戻した。
手術が終わったらしい。
意識を失った感覚はなかった。
なぜか突然ここにいる。
そして最後の記憶を思い出す。
車椅子で手術室の前まで運ばれ、調理の人が被るような髪の毛全体を覆い隠すヘアキャップを被り、手術室に入った。
外科医2名と麻酔科医1名の紹介を受け、車椅子で運んできてくれた看護師さんが退室した。
みんな女性だった。この歳になると若い女の子ってだけでみんなかわいく見える。
いや、普通にかわいいのか?
手術台に横になり、なぜか左の前腕、柔らかい裏ではなく筋肉の大きい表側に点滴の注射針を刺した。
なんでそこ?と疑問に思ったのを覚えている。
そして呼吸器を口にあてた。
点滴から痛み止め流しますねー、深呼吸しててくださいー、で吸って吐いて、
眠くなるやつ流しますねー、
で、吸って吐いて。
ああ、覚えている。
記憶は繋がっている。
フィットア領転移事件で娘を抱えながら草原にぶっ飛ばされた元S級冒険者もこんな感覚だったのか。
いや、この感覚は僕自身にも経験がある。
あれは10年以上前、北海道で一人暮らしをしていたときのことだ。
月1万2000円のアパートで、100万円程度の貯金で働かずに生活していた。
100均の乾燥切り干し大根を噛み続けていると空腹をしのげることを発見したりして、体重40kg切るか切らないかのガリガリでギリギリな食生活だった。
あるとき、気付いたら目の前に本棚がそびえ立っていた。
何か声を出さないと死ぬと直感的に思い、あーあーと赤ちゃんのような声を出したあと少し意識を取り戻して、なんだこれ意味がわからない助けてこわいこわい死にたくない、と必死に意味のある言葉を声に出し続けた。
前頭葉を働かせないとまた意識を失う気がした。意識を失ったら次にまた目を覚ませる確証なんかなかった。
視界の中で自分の四肢が虫の足のように痙攣していた。
痙攣が収まって体を起こして、そこが自分の部屋だと認識して、そして最後の記憶を思い出した。
そう、本を読んでいた。
何の本だったかは今となっては思い出せないが、吉田たかよし先生か武田邦彦先生か齋藤孝先生か、当時はこの辺りを読み漁っていたから、おそらくその辺だろう。
段ボール箱を左右に二段ずつ重ねた上に板を渡しただけの簡素な机から顔を上げて、椅子の上に立って伸びをしたのだ。
そのとき、立ち眩みのときの、意識を引き剥がされるような感覚があった。
たいていは屈んだり何かに掴まって耐えれば意識を保てるのだが、椅子の上に立って伸びをしている状態では咄嗟に掴めるものがなかった。
そして気付いたら床に倒れて本棚を見上げていたのだ。
そのときと同じだ。
意識を失ったという感覚はない。
気付いたらまず目の前の光景があり、次に最後の記憶を思い出す。
貴重な経験ではあるけど、一度味わえれば十分だ。
それとも平和ボケして忘れたら再度経験させられるシステムなのかこの世界は。
ハードモードかよ。平和に暮らして何が悪いんだよ。
ああ、しかし。
それにしても麻酔で意識が飛んでる間は腹に穴を開けられても体の中を弄られても一切何も感じることはなかったのに、肩を叩かれて名前を呼ばれると目を覚ますとは不思議だ。
その辺で倒れてる人を見かけたらまずは大丈夫ですかと声をかけながら両肩を叩いて意識があるかを確かめるのがよいと救急救命的な何かで聞いたことがある。
肩と意識、何か繋がりが深いんだろうか。
それとも名前のほうか。
意識がなくても、無意識に自分の名前くらいは処理するかもしれない。
小中学生のころはよく昼寝をしていたが、家族に名前を呼ばれたら意識を戻していた記憶がある。何度か起こされるまで起きなかったが、少なくとも名前を呼ばれたことは認識していた。
肩を叩かれたり名前を呼ばれることによる刺激は、腹に穴を開ける刺激より強い。
面白いことを学んだ。
まあ、単に麻酔の効果が切れただけだろうがね。
そういえば、薬剤で眠らされた人はアンモニアの刺激臭を嗅がせて起こすとか小学生化探偵アニメで見たな。
アンモニアじゃなくても、なんらかの薬剤で目が覚めやすい状態になっていたとか。
うん、あり得る。
いや、だったら麻酔の効果時間が切れるタイミングで起こしたのほうが現実的か。
それにしてもあれだな。
麻酔打ったら秒で意識落ちたな。
眠くなるとかじゃなかった。主電源を落とされたというか、コンセントを抜かれたというか。
もし僕が乾電池式だったら間違いなく抜かれたのはそれだろう。
そう、ゲームボーイの乾電池を抜いたときの画面の消え方を主観的に感じたような。
目の前が暗くなる前に意識を引き剥がされた気がする。きっと人生の最期も同じような感覚なんじゃなかろうか。
あらためて思うと、小さくなっても頭脳は同じの彼が使ってる腕時計型の武器は、あれ睡眠薬じゃなくて麻酔なんだな。
みんな一瞬で無力化されてるもんな。
眠くなるなんて嘘じゃないか。
なんてもん使ってんだ。恐ろしい。
おっと寝ぼけていたようだ。
気付いたら手術室から病室に戻っていた。
車椅子で運ばれてきたんだったか。
これは意識を失ってたわけじゃなく考え事をしてただけだから、お馴染みの感覚だ。
看護師さんから去り際、「2時間このまま横になっててください」とのご指示。
トイレは?と聞くと、膀胱に管が入ってるのでこのまま出して大丈夫、とのこと。
なるほど、ちんこになんか挿さってる。
死んだら幽門から肛門まで各門の括約筋が力を失ってあらゆる排泄物が漏れ出るとか、特に首吊り死体とかだと重力に従ってドバドバうんこ出てくるって聞いたことがある。
手術中も麻酔で意識失ってる間におしっこは出るんだろう。
各門といっても幽門と肛門くらいしか知らないけど。
あれ、おしっこは管挿してるとして、うんこはどうするんだろう。
ああ、だから手術前は断食だったのか。
手術中に無意識にうんこが漏れる可能性を下げてるわけだ。
なるほどなるほど。
それより問題は今だ。
うん、おしっこは管挿してるとして、うんこはどうするんだろう。
うんこが出そうだと伝えると、おまる型のプラスチック製の洗面器みたいなやつをお尻の下に入れてもらって、色々丸出しであとはもう踏ん張って出せばいいという状態にセットしてもらった。
終わったらカーテンの外で待ってる看護師さんに声をかければ、おまるを回収してくれるらしい。
看護師さんって大変だなあ。
申し訳ないけど、この便意は2時間も我慢できる気がしないし、ここまで用意してもらったからにはもう出さないわけにはいかない。
いざ。
???
出ない。
というか、腹に力が入らない。
その昔分娩は、天井から吊り下げられた綱を両手に掴み、足を地につけ深く腰を落とした姿勢で行っていたとされる。そのほうが現代のベッドで寝た姿勢での分娩より力みやすく、重力も利用しており合理的なんだとか。
産婦人科ではなくトイレで産み落とす中高生がニュースになったりするが、うんこ座りのほうが姿勢としては理に適っているらしい。
なんて、いつどこで得たのかも思い出せない知識が頭をよぎる。
力が出ないのはそのためか。
仰向けに寝た姿勢でうんこするのなんて乳幼児のとき以来じゃないだろうか。
もちろん当時の記憶なんてない。
つまりは手術や麻酔に続いてさらなる人生初経験と言える。
初挑戦。ぜひとも成功を収めたい。
いざ!
………
………ん?
………んんん???
確かに寝大便は人生初なのでそこで初めての感覚を得るのは間違いではない。
今感じているこの感覚は、紛れもなく初めての感覚だ。
だけど、なんだろうこの違和感は。
何かが違う気がする。
なんだ、どこで狂った。
うんこが出ない。
力もうとしても力が入らないのは、手術の後だからだろう。
へそに穴を開けて腹筋を貫くと言っていたから、それで力を入れられない可能性は大いにある。
痛みがあまりないことからも考えて、まだ麻酔の効果が残っているのかもしれない。
何よりまず、僕が便意だと感じていた感覚が、実は便意ではないかもしれない。
僕がどこで便意を感じたかというと、肛門などの尻側ではなく、下腹部である。腹筋か内臓かは知らないがその辺である。いつもそこからのシグナルで便意と解釈されるものを受信する。
でも、過去に似たようなことはなかっただろうか。
フィットボクシングなどで普段は鍛えないような下腹部のインナーマッスルが筋肉痛になったとき、便意に似た感覚を得なかっただろうか。
そんな経験があったような気がするし、たった今捏造したような気もする。
本当に経験してたとしてもそんなに印象に残らないだろうしな。
どうする、今このカーテンを挟んだ向こう側に、僕のうんこを待っている女の子がいる。
僕の初経験を祝ってくれるのかもしれない。
いや、そんなわけはない。
看護師さんとしてもうんこの処理なんかできればしたくないはずだ。
僕のうんこを祝ってくれるかどうかはひとまず置いておこう。
たとえ期待を裏切ってしまうことになろうとも、出ないものは仕方がない。
そう、問題は、出るか出ないか、それだけだ。
今は力が入らないし、本当に便意かどうかも怪しい。
姿勢も悪い。
こんな産まれたての格好で女の子を待たせるより、素直に2時間待って起き上がれるようになってからトイレに行けばいいのではないか。
その場合のリスクは、2時間の間に漏れないか、である。
最悪のパターンを考えよう。
もしもこの感覚が便意で、2時間以内に限界が来て、腹筋に頼ることなく自発的にうんこが外出し始めてしまうとする。
やばいと思ってもまだ起き上がることもできず、ナースコールに手を伸ばした拍子に一気に解放される。
………ふむ。
うん、悪くないな。
なんだ何もリスクなんてなかったじゃないか。
少なくとも今はうんこが出ない。それは確定だ。
力が入らないし、姿勢も悪いし、便意じゃないかもしれない。
うっかり漏れたらごめんなさいだ。
産まれたての格好してるから許してもらえるだろう。
それでいこう。
リスクはないのだから。
そうしてカーテンの向こうに控えていた看護師さんに声をかけ、洗面器を片付けてもらった。
時間が経ち痛みが増してきたが、相変わらず便意との区別はつかない。麻酔が切れて痛くなってきたのか単に便意が強くなってきたのかわからず不思議な感覚だった。
漏れそうな感じはしない。
ただ踏ん張れば出せそうな感覚だけがずっとあるのだ。
結局多少動けるようになったところで腹に力を入れることはできないので、うんこを出せたのは翌々日のことである。力で押し出す作戦に早々に見切りを付け、逆に力を抜いたら出る状態になるまで待つという戦略に切り替えたのが功を奏した。
もちろんトイレで一人で出した。