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月利3%の仮想通貨自動運用ツールで計220万借入した話(1)

金が欲しい。
働きたくない。

こういった思いは誰しもが持っているであろう。
しかし僕は人一倍そうした思いが強かったように思う。

もちろん過去形ではなく今でもそうだ。
なんとか楽に生きられる方法を探している。

ただ、今はどちらかというと仕事をしたくないというよりは、負荷の低い仕事や自分にとって苦ではない仕事をして、サラリーマンとしての恩恵だけ享受していたいという価値観に変わりつつある。

窓際族、社内ニート、最近では静かな退職という表現もされる。
仕事をしている振りをしながら定時まで時間を潰していれば一定の給与をもらえる。
そういうものに憧れていた時期もあった。

しかしやることがなく暇というのもそれはそれでつらいので、時間を忘れて没頭できるようなことに従事して定時まで過ごせるような仕事が今はいいと思っている。

だが、今の価値観は今の価値観。
当時はただ、働きたくなかった。

働く時間が惜しいほどに時間を注いでやりたいことが当時はあったのだが、それは割愛しよう。
理由はどうあれ、とにかく働きたくなかったのだ。

実際に働かずに生活していた期間も何度かある。
普段の生活にあまり金はかからないので、100万程度の貯金をしたら家賃の安いアパートで一年前後働かずに生活する、ということを繰り返していた。

電気代は冬で1500円前後、夏は最低料金の300円ちょい。
食費は月3000円、水道はそもそも契約しない。
トイレはコンビニやスーパーで済ませ、もちろん風呂には入らない。

健康で文化的な最低限度の生活にすら至らない、肋骨が浮いて食後には腹だけポッコリ出る餓鬼みたいな体型で、それでも充実した満足度の高い生活をしていた。

働いている間に可能な限り食べて脂肪を蓄えようとはしていたが、それでも食べる間も惜しんで何かに熱中するような生活をしていれば一年程度で貯金より先に体が限界に近づく。

今すぐ何かを食べないと死ぬ、という気はするけど意識が朦朧として体が動かないという経験をして常に手元にカロリーメイトを置いておくようにしたり、転んだら骨が折れるなと感じながら外を歩いたり、思ったより歩けなくて途中で休んだらそのまま立てなくなったり。

でも食べるのは面倒だから賄いのある単発バイトで生活維持費補充ついでにちょっと食べて、やっぱり一旦体型をリセットしようとして普通に働き始める、というのがだいたいいつものパターンだ。

今にして思えばもっとやりようはいくらでもあっただろうと思う。
まず面倒がらずに普通に飯を食えばいいのだ。

いや、飯はやはり今考えてもどうしようもない。
今でも平日は朝起きたらすぐ朝食とか仕事から帰ったらすぐ夕食を作るという習慣化ができているからなんとかなっているだけで、休みの日は平気で何も食べなかったりする。
もう少ししたら何か食べようと思いながらいつの間にか夜になっていて、今日はもう食べなくていいかという考えになり、土日で一食しか食べていないなんてことはザラにある。

腹が減ったら何か食う、ということすら習慣化できない。
昔から空腹を我慢する癖があるのだ。

もし仮に貯金を100万よりもっと貯め続けて1000万くらいを投資信託なんかで回していたとしても、働くのをやめたらやはり飯で詰むだろう。

仕事の前に飯を食うとか仕事から帰ったら飯を食うとか、仕事の延長として食事をしている感覚なので、今にして思えばと言うのであれば、そもそも仕事をやめれば食事の習慣もなくなるという時点で仕事を辞めると餓死一直線なのである。

だがそれはあくまで今気付いた話。

当時はとにかく働きたくなかった。
働かずに生きられる金が欲しかった。

一生仕事に縛られるなんて嫌で、でも将来的には子どもも欲しいし何不自由なく生活させられるだけの金が欲しい、なんて思っていた。
まともに働いて子どもも養うのであれば、一生を金を稼ぐために費やすことになり、働くだけの人生になる。
世の中の多くの人がそうして生きているのだろうが、僕はそれが耐えがたく嫌だった。

当時こういう価値観だったからこういう行動をした。
そしていろいろな経験を積んでこういう価値観に変わった。
その一連の流れが人生というものだと思うので、できる限り当時の価値観を再現して書いていきたいと思う。

働かずに生きられる道はないか。
それを探していたころの話である。


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