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4年近く同棲していたのに生活リズムの不一致で新婚早々妻と別居した話(2)

妻といくつか言い合っているのは生活リズムだけではない。
問題を大きく分けると結局は生活リズムの不一致ということにはなるのだが、その生活リズムの問題をややこしくしている要素がいくつかある。

ひとつは寝ている人を起こすことへの感覚の違い。
ひとつは約束というものへの感覚の違い。

どちらも成育歴などに由来している根深い問題である。

僕は幼少期、寝ている人を起こしたら蹴り飛ばされても文句は言えない、と言われ育てられている。
誰にそう育てられたかは言うまでもない。

小学校入学時点の1年生のころから、兄も僕も朝は自分たちで起きていた。
母は朝に弱いのだ。

遠足の日などお弁当を作ってもらう必要があるときは、寝ている母の手や足の届かない範囲から恐る恐る声をかける。
最初の一声は緊張しながら小さく、徐々に声を大きくしながら。
この時間に起こすよう昨日言われている、お弁当を作ってほしい、と用件を伝える。

なぜ体を揺すったりせずあえて遠くから声をかけるかというと、身の安全のためである。
寝ている人を起こしたら蹴り飛ばされても文句は言えない。
なぜなら、寝ている人には理性がないからだ。

たとえ事前に本人から起こすように頼まれていたとしても、起こして蹴り飛ばされたら起こした人が悪い。
寝ている人に責任能力はないし、起こす人が起こし方を気を付けるべきだ。
というのが母の言い分である。

理性がないので、何度目かの声かけに対して物凄い怒鳴り声が返ってくる。
こちらがなるべく刺激しないよう小さく声をかけているのに対し、
「うるせええええええええっっっっ!!!!!!!!!」
と容赦なく朝の静寂を打ち破ってくる。

距離があっても咄嗟に身構える。
もし手や足の届く距離から声をかけていたとしたら、蹲りながら何度も蹴られ続けることになるだろう。

一度だけ母の真似をして、昼寝から起こされたときに「うるさい!」と怒鳴ってみたことがあるが、「誰に向かってそんな口きいてんだ」とめちゃくちゃ怒られた。

ガムテープで口を塞がれ、両手首を背中の後ろで縛られ、両足首も同様に縛られた状態で布団の上に寝転がされて3日間食事抜きの刑に処されたものである。

父が夜にこっそりおにぎりを持ってきてくれるところも含めて、いい思い出である。
父は稽古場の上下関係的な罰か何かで餓死して減っていく仲間を何人も見てきているためか、僕が悪いことをして食事を抜かれてもおにぎりを持ってきてくれたし、母に対して飯は食わせろと怒鳴ってくれた。

いい父だった。

ちなみに、口にガムテープを貼られても両手を使わずに舌でガムテープを剥がすという当時得た特技は今でも使えると思っている。
大人になってからそんな状況に陥ったことは一度もないけど。

ともあれそんな環境で生きてきたので、寝ている人を起こすというのは、僕にとってはなるべく避けたいことなのである。

そして家のルールという極めてローカルな世界から外に出て色々と経験していく中で、人を起こしてもよいときというのがだんだんと整理されていった。

どうしても今起こす必要があるときに、その理由を伝えながら起こす、というものである。
今は寝てはいけないとか、ここで寝てはいけないとか、電車に乗っていて目的の駅に着いたよとか。
小学生時代に母に対してやっていた「この時間に起こすように昨日言われている」「お弁当を作ってほしい」と伝えながら起こすのも、これにあてはまる。

基本的に寝ている人を起こしてはいけない。
起こしてもよい時は、今起こさないといけないという状況であるとき。
起こし方は、起こす理由を伝えながら。
もちろん、起こしてくれた人を蹴ったり怒鳴ったりしてはいけない。
なので、体を揺すりながら起こしてもよい。

社会に出ていろんな環境で生まれ育った人たちと関わってきて、帰納的にそんな結論に落ち着いた。

だが、妻の常識は違った。


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