【#006】写真集『ONE SKY』制作ストーリー Vol.2 <吉岡医師との出会い・愛の世代>
<吉岡医師との出会い>
吉岡医師と初めて会ったのは2013年7月。浜田省吾ツアー・大阪フェスティバルホールへご挨拶に来られた吉岡医師に、J.S.Fundation佐藤代表が浜田さんの楽屋前で引き合わせてくれた。
吉岡医師の活動は2005年頃から知っていた。しかしその頃はロシナンテス川原医師のスーダン渡航の準備にすでに取り掛かっていて、さらに2008年からはカンボジアIKTTの森本喜久男氏の撮影を開始、お会いするタイミングが掴めないでいた。
ロシナンテス ・川原医師の写真集を2010年に刊行し、森本氏の撮影も8割方終わって写真集刊行の準備を始めていた2013年7月の出会いはジャストのタイミングだった。ライブ後の食事会の席で佐藤代表より「ジャパンハートを撮影する意思があるか」を問われ、その場で撮影を即決した。そして準備をし、5ヶ月後の12月末から年始にかけて半月の滞在予定でミャンマーに向かった。
<愛の世代>
2022年1月、浜田省吾武道館ライブが行われた。
1980年前後、”愛の世代”を強烈に求めていた20歳前後の私は、1982年の武道館公演で演奏された「愛の世代の前に」が完全にシンクロし撮影を決意した。”愛の世代の前”の紛争や差別や憎悪に満ちた世界・・だからこそ私は”愛の世代”を希求した。
しかしあれから40年を経た今、ますます溝は深まり憎悪が広がっている。コロナ禍に伴い世界も日本も排斥、差別、格差が蔓延し、この世界は見るに見かねる惨状になり果てている。
40年前と同じセットリストで行われた2022年の武道館。希求した世界の実現が道半ばなのが悲しい。だからこそ今でも鮮烈に届く音楽だと感じる。
吉岡秀人医師とジャパンハートの活動も、川原尚行医師とロシナンテスの活動も、森本喜久男氏の伝統の森と織物の復興も”愛の世代”であるがゆえの生き様だと強く感じ、私はそんな彼等を写真集にしたのだとあらためて感じている。
自分の生命の目的は ”愛の世代”を表現することなのだと胸の中でずっと響いている。
ジャパンハートは、コロナ禍においても北海道から沖縄までクラスターが起き危機的な病院に積極的に看護師チームを派遣。すばらしい支援活動に感謝の気持ちでいっぱいになる。
吉岡医師も海外渡航が大きく制限される中、何度も何度も渡航し、ガン手術を待っている子供達の命を救い続けている。
ジャパンハートの活動の原点を写真集から感じていただけると思います。ぜひ手にとってみてください。
暴風雨の時代の中でも必ず "愛の世代" がいる。