素人のための法学入門 #15

15回目ですよ。

国の意思に確たるものなど何もない
 
先生 「ルールなんかより言葉の方が大切なくらいです。ところで、ルールは私たちの生活と密接に関わっています。一度定められたら、そうそう簡単に変化することはありません。ですが、結局のところ数の力で決められてしまうわけです。法律は多数決で採択されますからね。自然権で国が形成されるのであれば、自然権の行使の量が国の意思とされるのです。少数者の意思は無視されることになりますね。」
 
学生A 「正しいと思っていた法律さえも正しいとは限らないのですね。では、私たちが法律を守っていることは、果たして世の中のためになるのでしょうか。」
 

先生 「法律は自然権と自然権の調節弁です。言ってしまえばそれだけのものであり、法律が正しいとか間違っているかということを考えること自体、全くの無意味なのです。わたしたちが法律を守ることは、人間社会全体の秩序の安定に寄与している、ということは間違いないでしょう。それだけです。法律とは私たちが勝手に定めたものにしかすぎません。野山は大きく破壊されてきましたし、海も汚染されてきました。多くの動物も殺されてきました。人のルールは、この世界に適合しないのです。例えば、動物からすれば車で引かれるのは殺命罪といってもいいですし、私たちが自分たちの食料として動物を捕獲するのも同じことです。ありがたく食べきるならまだしも、大量に廃棄したりすることも行っているわけですから。これは無駄死にと言っていいでしょう。大量殺命の無差別攻撃です。法律とは私たちが勝手に作った、私たちのためのルールにしか過ぎないのです。」
 
学生B 「僕たちはこんなものに縛られていたのか・・・。」
 

先生 「また、私の『語』解説になるのですが、『法』というのはさんずいに去ると書かれているように、やがて水のように去る、つまり、変化するものです。そのようにやがては去ってなくなってしまうものによって私たちを拘束する、つまり律するということですね。ぎょうにんべんは現在進行形を意味します。だから『法律』と言われます。結局変わるから守らなくてもいいのではと、そういう考えもあるにはあるのですが、やはり守らなければ、それこそ自然権は無制限に行使されるようになってしまいます。ですから、変化するという意味では、改正される憲法も条約も結局は法律なのですよ。ですが、法律学上は、法律とは別だと言われていますけどね。最高法規とか、法律の上位の法とか。」
 
学生A 「なるほど・・・。そういえば法ってさんずいに去るですね。そういうことか。」 
 
先生「法律は正しくもないし間違ってもないのです。例えば、海のサザエやアワビを取りに密漁をする人がいるとします。漁業権の侵害者ですね。しかし、警察に捕まってしまいました。そして、彼らがポロリと不平をもらしました。なんで釣りはよくって、直接取るのはだめなんだ?という文句です。どうしてだと思われますか?」
 
学生A 「直接取ったら、海の資源が大きく減少するからではないでしょうか。」
 
学生B 「それに、一人の人にそんな漁を認めてしまうと、その他大勢の全ての人にも認めなくちゃいけなくなってしまいますね。どうしてあの人はいいのに、私はダメなの?っていうことになります。」
 
先生 「いい線いっていますね。じゃあ、どうして釣りはいいんでしょうか?釣りも、漁業権を侵害しているような気がしませんか?」
 
 
学生A 「・・・。多分、釣りくらいだったらあまり魚も取れないからじゃないでしょうか。」
 
先生 「そういうこともあるでしょう。ポイントは、資源の枯渇を防ぐことと、もう一つは、消費が促進されるかどうかです。」
 
学生B 「消費が促進?」
 

先生 「はい。例えば釣りの場合、釣り竿を買わなければなりませんし、撒餌とか、釣り用のウェアとか、アイスボックスとか、そういった細かい道具が必要になりますね?」
 
学生A 「はい。」
 
先生 「そうすると、商品が売れて経済が活性化するわけです。釣り船やさんに頼むと、ボートを出してくれますし、それが仕事になります。そしてボートやボート用品なども売れます。ところが、密漁とか直取りっていうことになると、ほとんど費用もかからず丸儲けできちゃうんですよね。しかも資源が枯渇しやすい。そういう意味で、中間の経済的取引が何もない。ただ取りつくすのはやめてほしいのです。」
 
学生B 「・・・。お金を使ってほしいってことですね。」
 

先生 「そうですけど、資源の枯渇はさすがに困るわけです。これは我々の食料問題にもかかわってきますから、これが一番大きいですね。それに、暴力団の資金源にもなっているという話があります。とにもかくにも勝手に取られると困るというのは商品と同じです。サザエやアワビも、育てている人がいるのですし、自然にあるものも、全て商品化してしまいたいくらいなのですよ。」
 
学生A 「密漁はだめだというのは、それが正しいからだと思ってた。」
 
先生 「違いますね。自然権を行使する立場からすると、いくらでも取っていいのです。しかし、それはいくらでも商品を盗んでもいいのと理屈は一緒です。それだと困るから制限している。ルールっていうのはそういうものなのです。正しいとか間違っているということではありません。そんな取り方をされてしまっては困る誰かがいるのです。つまり、もう一方の自然権の保持者です。例えば空気中の酸素なんかを考えてください。いくらでも吸って構いませんからね。」
 
学生B 「なるほど・・・。そういうことか・・・。」
 
先生 「密漁をいくらでもしたところで全く困らないのであればこんなルールはできないのですよ。人間のルールは人間が勝手に決めたものですから。どちらにせよ、海の生き物たちは困るでしょうけどね。これは実際に確認したわけではないのですが、そうした仕組みの上に立っている限り、きっと何らかの形で漁業権を持っている人のところにお金が入る仕組みになっているのかもしれません。しかし密漁だとそれが全くない。そして、損をしてしまうのでしょう。」
 
学生B 「なるほど・・・。」
 
学生A 「私たちってそんなに法律なんて意識したことありません。だから、守っているのかと言われると、そうでもない気がします。」
 
先生 「私もそこまで法律というものを意識して生きているわけではありません。犯罪をしようと思ったことはありませんから。これは極論ですが、大多数の法律を破らないようにするには、基本的に何もしないのがいい、ということもできますね。また、個人的には、法律にかかわるような人生にならないほうがいいとさえ考えています。(笑)」

学生B 「何もしなければ、確かにルールを破ることもなさそうですね。制約だらけの世の中だから、何だか生きるのもメンドクサイ気がするなぁ。だって、何かをしなければ生きていけないじゃないですか?つまり、その生きるための何かをしようとすると、待ったをかけられるんですよね?僕たちの行動を否定するっていうのもわかるんですけど、それならどうやって生きていけばいいのかを積極的に示してほしいなぁ。」
 
先生 「確かにそういう気もしますね。とはいえ、普通に生活していたら、そうそう破ることはありませんから、そんなに肩の力を入れることはありません。」
 
学生B 「いえ、それもそうなのですが、もし自分がしたいことで、自分のやる気の出ることなのに、それが法律とかルールによってたまたま駄目だと言われていることだったら、すごい嫌だろうなって思いました。」
 

先生 「なるほど・・・。そういえば、3Dプリンターで拳銃を作った人が、誰もいない山の中で発砲しているところをYouTubeで放送して逮捕された事件がありましたね。拳銃とかが純粋に好きな人にとっては、どれだけ安全に配慮しても、嫌なルールでしょうね。他にも、耳の聞こえない人は薬剤師になれないというルールがあったのですが、努力を積み重ねて法律を変えさせた例もありますよ。」
 
学生B 「いますね。拳銃とかライフルとか、兵器好きの人とか。」
 
学生A 「法律がたくさんありすぎて、結局何をしていいのか、何をしちゃいけないのか、よくわからなくなっちゃいますね。最近は家に引きこもって、スマホをいじったり、パソコンで自分の世界に没頭したりする人がいるけど、みんな世の中で自分のやることを見失っているんじゃないかなって思います。まず何をしていいのかがわからないと、自分が若いときに努力したことも無駄になったり、悪いことだといわれそう。」
 

先生 「銃刀法違反というのは割と有名な法律です。ただ、法律自体を学ぶことによって私たちが何をしてもよく、何をしちゃいけないのかを判断するということは、ほとんどないといっていいでしょう。学ぶとしても、人を殺してはダメとか、物を盗んじゃいけないとか、そうやってかみ砕いて伝えられるからです。
 でもね、細かいルールなんていうのはほとんど怒られたり注意されて初めて学んでいくことが多いのです。学校側はおとなしい生徒がいてくれた方がありがたいと思うものですが、本来、学校でたくさん失敗しておいたほうがいいのですよ。失敗は様々なことを教えてくれますからね。」
 
学生B 「僕の父さんは税金が大変だって言ってました。これって税法っていう法律が関わっているんですよね。」
 
先生 「そうです。先生も税金は納めています。皆さんも将来働いて収入を得るようになれば、最も身近に感じる法律になってしまうかもしれませんね。今だって、何かを買うときには必ず消費税がかかっていますし。」
 

学生B 「消費税10%って・・・。本当に嫌になっちゃうよなぁ。消費税を支払わない自然権を行使したいなぁ。」
 
先生 「やってもいいですよ。消費税は消費財の購入に伴って行われるので、消費税を支払わないということは、その物自体を買うことができない、ということになりますが・・・。」
 
学生B 「うまくできてますね・・・。」
 
先生 「税法というのは法律があるから取る、というよりは、取りたいから法律を作るものですね。自然権国家としての本質がよく見える法律です。自動車が日本の経済を支えてきましたが、車は税金の塊と言われ、車のためにかける費用にはふんだんに税金が盛り込まれています。ガソリンも半分はガソリン税ですからね。最近は車が売れなくなってきたと言われていますから、車で税金が取れなくなれば、別のものに新しい税金がかかるようになってくるでしょう。消費税の増税も、そうした背景もあったのではないかと考えます。また、酒税、たばこ税がありますね。利子税も高いです。400円くらいの利子がついたのに、130円くらいは税金でとられちゃいました。」
 
学生A 「高い・・・。というか、ガソリンも酒もたばこも消費税でいいんじゃないですかね・・・。」
 
先生 「私が個人的に問題だと思っているのは、犬などのペットの糞ですね。特に、公園や公園の砂場というのは、ペットの公衆便所と化しているところが多いのですよ。また、子どもの遊び場であるはずの公園などの空きスペースは、結局大人たちに都合のいい建物が建てられるターゲットにされやすいという問題がありますね。遊んだら遊んだで子どもの声がうるさいということになり、子どもが成長するための環境も、動物の環境と同じで追いやられているように思います。しかし、自分達は法律に従っているからそこに建物を建ててもいいのだ、といって建て始める。結局大人たちの勝手な自然権の行使で、弱者たちが追い込まれて行くという流れは全く変わらないのです。」
 
学生B 「ルールがあるからいいのだと思っていたのですが。言葉と一緒で勝手に決めつけたらまずいのはルールも同じ気がしますね。動物とか、自然環境、子どものことを考えると、私たちの世の中が悪くなっていっているのは、法律だからと勝手に物事決めつけて、それを行っている人たちの傲慢さにあるのではないか、と思いますね。」

先生 「そうでしょうね。法律は、正しくもくそもない。一定の秩序を保つことに寄与していることは確かだが、弱者がルールによって押し込められてしまうということは、よく起きているのですよ。傲とは相手を侮ること。軽んじること。慢とはおこたる、怠ける、あなどる、おごる、と言った意味です。つまり、動物や子供たち、自然環境を軽んじて、また、そのための対処については全くといっていいほど考えないでそのままの状態でいる。一種のネグレクトだと言えるでしょうね。」

この章のまとめ

① 法律に正しいも間違いもない。だから、正しさや間違いを考えること自体ナンセンス。線引きを引くことによって、人間社会の秩序の維持に寄与していることは確か。

② しかし、法律は自分達のためのルールにしか過ぎない。つまり、線引きは弱者に対して強く押し込まれてしまうことが普通。

③ 釣りはよくてアワビやサザエを直接取るのはだめというのは、中間の経済的取引が介在しているかどうか。あるいは、そういうことを行われると困る誰かがいるために制限されるだけ。逆に言えば、いくらでもとっても誰も困らないならそういうルールもない。例えば、空気中の酸素はいくらでも吸って構わない。

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