素人のための法学入門 #21 (重いので注意)

21~

(注意)

今回の話は今までに増して重いので、重い話が苦手な人は読まないでください。





信託先を変更する国民
 
先生 「今、日本から海外へ出ていこうという人が増えているようです。円安が進み、物価も跳ね上がり、さらに税金も高い。おまけに給料などはあがらない。これだと生きていくことができません。とすれば、日本へ自然権を信託するのをやめて、海外へ移ろうという人が増えるわけです。つまり、日本は国民からの信用を無くしてしまっているわけですね。」
 
学生A 「なるほど。反逆とかをしてもつかまっちゃうだけですからね。信託を自分からしないようにする。もうそれしかありませんね。」
 

先生 「そうですね。『信用』とは、『自分に属する変動物を他者に託し、それをその受託者の自由な意思のもとで運用させた結果、最終的に自分のところに戻ってくる変動物が、当初託した時よりも減少していないことを信じる心』です。私たちは自分たちの自然権を国に信託しました。それは、少なくとも、信託する前よりは、信託した後の方が自分にとっても良い世の中になるということを信じていたからです。ところが、今帰ってくるリターンは、とてもじゃないがそういうものには満たない。

 例えば、『信用』というものを大切にしているのは銀行です。1億円を預けたとして、銀行はその預金を自分たちで運用します。しかし、あなたが引き出そうとしたときに、『一億円もあるんだから300万くらい減ってもいいですよね?』とかいって返されたら、その銀行は信用できません。それと同じで、もう国が信用できないのです。もうこの国には、自分達自身のお金(税金・年金・国債・社会保険)も、自分自身の人生も預けてはいられない。そう考える人が増えたということなのです。

 しかも、それよりももっと大きな問題がありますね。こうした現象は、その結果としてあらわれてきたものにしかすぎません。」
 
学生B 「そうなんですか。その問題って何ですか?」
 

先生 「ん~。それを言うと大きい話になりますが、行き過ぎた経済というもの自体に原因があります。日本がこれまでも、そして今も重視している経済というものです。」
 
学生A 「経済?」
 
先生 「そうですね。日本はかつては経済大国でした。しかし、行き過ぎた経済というのは所詮幸せの前借りなのです。経済とは、利益を生みだすのと同時に、損害も発生させるものなのです。その損害の方が大きくなりすぎていったということですね。」
 
学生B 「つまり、大損こいたってことですか?」
 

先生 「得か損か、というと、プラスマイナス0です。利益はおいしいのでいくらでも取ることができます。人間の欲望は尽きませんからね。しかし、利益が生まれるということは、同時に損害も発生するものなのです。そして、損害の部分を別のところへ追いやるのですよ。利益とは違って、損害というのはなかなか消えるものではありません。せいぜい、臭いものに蓋ができるということですね。
 例えば原子力発電所を設置して稼働させると、莫大な利益が生まれます。しかし、決して安全というわけではなく、実際に東日本大震災も起きました。地震などがなく正常に運行できていたとしても、放射性廃棄物があるために、その受け入れ先の自治体を探しているほどですね。廃棄物から放射能が完全になくなるまで、気の遠くなるような年月がかかります。確か10万年ですね。そうしたリスクや負担を『損害』とします。
 利益と損害は常にワンセットで生まれるのです。ですが、利益を取って損害の方を軽視し続けてきたため、自分たちが潰されてきているわけですね。」
 
学生A 「確かに大きな問題ですけど。果たしてそれだけで国が駄目になるんでしょうか?」
 

先生 「それは一つの例なのです。リゾート地を開発すれば、その場所に利益は入ってきます。しかし、自然環境は破壊されますからね。で、廃墟となった建物がずーっと残る。例えばみかんを食べるためには皮をむきます。でも、私たちは皮は食べません。それは生ごみとして捨てますよね?おいしいものがあるところには、おいしくないものも同時にあるものなのです。人間はね、快楽を求めて生きる生き物なんですよ。でもね、快楽を得るということは、多くの場合他のものに不快感を転嫁していくことでもあるんです。損害と利益がワンセットであるということを、すごくわかりやすく示してくれた最近の事件は、ビッグモータースの事件ですね。車をわざと傷つけていましたし。」
 
学生B 「そうなんですか。」
 

先生 「ええ。あまり多くをここでは語れませんけど。利益を手に入れた人ほど、損害に対する責任を負っているのです。なぜなら利益がそれだけあるということは、それだけ損害もあるということですからね。残念ながら、責任を負わない人ほど利益を得ていくことが多いというのが現実のようです。

これはね、人に見られているとか見られていないとか、犯罪だとか犯罪じゃないとか、人からそう思われているとか思われていないとか、そういう問題じゃないんですよ。損害は確かにこの世界に積もり積もっているのです。どれだけ人の目を欺くことができても、これは嘘が付けないんですよ。お金持ちはお金があるので幸せでしょう。しかし、とても無責任な人たちなのです。放射性廃棄物を処理したいのなら、原子力発電所によって利益を受けた割合に応じて、利益を得た人たちのところで処分をしなさい。これが本当のところなんですよ。でも、やっているのは受け入れる自治体探しでしょ?自分達の出した汚物を、誰か臭いので処分してください。お尻拭いてくださいって言っているわけです。つまり、自分の下の世話ができないわけです。

 例えば、国は税金という形で大量に国民から利益を上げているわけです。税収が上がるということは、それだけ利益が生み出されたということです。とすれば、それだけ対応する損害が発生しているということです。で、その損害は別のところに転嫁されて行っているわけですね。国は赤ちゃんなので、無責任のやりたい放題っていうのは基本なのです。ここが基本なのです。よく、歴史の物語で、腐敗した国を立て直すという物語が描かれることがありますよね?しかし、腐敗している国こそが、真っ正直な国の姿なのです。自然権の行使を縦横無尽にしまくっているあの国の姿がね。自然権国家は本来の国の姿だといいました。だから、何度立て直しても、やっぱり時間がたつとああなっちゃうんですよ。あれが正直な姿だから、仕方がないんですよ。腐敗している姿こそが本当の姿。パラドックスですね。いい国を作れると思っている人間がいますけど、完璧な大間違いです。私たちが今の社会で考えているいい国を作るためには、大量の金がいる。大量の金がいるということは、大量の損害を生み出すということです。いい国は、私たちが大量の犠牲を生み出すことで作られるのですから。

(国を立て直すという物語は人気がありますが、国がこういうものだからこそ、その過程で多数の死者がでるわけですね。)
 
学生B 「そんな・・・。利益と損害がプラスマイナス0なら、何でもないのでは?」
 
先生 「それは、計算上の話です。皆さんも将来簿記とかを勉強されるかもしれませんが、バランスシートは左と右が常に一致するようになっています。左側は借方といって資産を、右側は貸方といって、負債と純資産を表示します。資産から負債を引いた額が純資産であり、これが利益の積み重なりですね。でね、これはたいてい、どちらかは実体のない価値なんですよ。」
 
学生A 「?。よくわかりません。」
 
先生 「今はわからなくてもいいですね。ただ、経済が回るためには、利益を生み出さなければならない。つまり、10円の物を100円で売るとかね。その間にある差が利益だとします。これってどういうことだと思いますか?」
 
学生B 「さあ?」
 
先生 「この利益っていうのはね、なんですよ。つまり、実体なんて何もないのです。」
 
学生A 「それって、お客さんをだましているってことですか?」
 
先生 「そうですよ。利益を生み出すにはコストも必要です。でも、コスト以上に利益を出さなければなりません。ということはどういうことだと思いますか?」
 
学生B 「利益と損害ってプラスマイナス0なんですよね?」
 
先生 「それはね、人間が全く嘘をついていなければ、の話です。」
 
学生A「えっ?えっ?」
 
学生B 「僕たちが利益と思って手に入れていたものは、嘘だったわけですか?」
 
先生 「そうです。」
 
学生A 「じゃあ、どうしてそれで販売者たちは捕まらないんですか?」
 
先生 「通常の経済的取引で行われる場合は、詐欺にはならないとされているのですよ。」
 
学生B 「なんじゃそりゃ。」
 
(ちなみに昔は、この考えは違法だったようです。大河ドラマ[龍馬伝]では、自分が仕入れたものを、その値段でほしいと思った人間に売る、といって高値で売ったおじいさんが逮捕されていました。)

先生 「ね、ルールってこんなものなんです。都合が悪いところは正当化されていくのですよ。もし一つだけ正当化できる理由があるとすればね、それは、その商品をそれだけ手間暇かけて作り上げたという人間の『時間』が、利益として転嫁されているということですね。で、もちろん経済過程で販売されているものはみかんだけではありません。実にいろいろなものが売られているわけです。中には大量に売れる商品を扱う人もやっぱりいるのです。ですが、獲得した利益は全て嘘なのです。ということはね、金持ちって、大ウソつきの大泥棒なんですよ。おまけに大量殺戮者です。だから、私たちが経済によって手に入れる幸せも、全てが嘘なんです。人は基本的に嘘があるから幸せになれるのですよ。今、経済が後退していっていますけど、嘘で作られたものは、自然と溶け出して、メッキがはがれていくものなのです。本来の国の姿に戻っていっているだけなんですよ。どれだけ美しい彫刻も、やがては溶けて原子レベルの物質に分解されて行くようにね。武器商人がぼろもうけする物語って、あるじゃないですか。」
 
学生A 「・・・。(先生・・・生きる気無くしちゃいます・・・。)」
 

先生 「嘘っていうのは、実体がないんですよ。つまりは砂上の楼閣なんです。嘘が国を成り立たせていたんですよ。バブルは一つとは限りません。嘘をつき続けなければ、国はやがて崩壊するんですよ。国を作るというのが、一つのバブル経済なのですよ。バブルがはじけるといいますが、バブルというのも嘘ですからね。
 
学生B 「ってことは・・・。」
 
先生 「つまり、それができなくなったときが日本の終わりってことです。そして、今でも日本が相変わらず経済を活性化させようとしているのも、結局はあがいているだけなのです。」
 
学生B 「何で日本はこのことを国民に知らせないんですか?」
 
先生 「決まっているじゃないですか。そんなこと言ったら、嘘が嘘でなくなってしまう。嘘こそが人を幸せにできる手段だからですよ。嘘つきは泥棒の始まり。つまり、経済社会とは泥棒社会なのです。」
 

学生A 「利益を上乗せして売ることは罪にならない。道理で転売とかが流行るわけですね。あれは絶対やめてほしい。」
 
先生 「そうですね。転売は、自分自身で価値を全く生み出していないので、あれで稼ぐことはできても、ちっともこの世界のためにはなっていません。稼いだ金を何かいいことに使っているとも思えませんね。いずれにせよ、金を稼ぐということは、同時にどこかに損害が発生している、ということになるんですけどね。」
 
学生B 「だから、地球はどんどん駄目になっていくんですね。」
 
先生 「そういうことです。これはどれだけ人の目をごまかしても仕方がないのですよ。世界が経済への依存から脱却しない限りは。もう少し正確に言えば、行き過ぎた経済からの脱却ですね。経済は原始時代からありますから。しかし、それは難しいでしょうね。私たちは原始の生活を忘れてしまいましたから。」
 
学生A 「大ウソつきの大泥棒っていうのはわかりますが、大量殺戮者ってどういうことですか?」
 

先生 「利益と損害はワンセット。だけどね、社会では更に利益を上乗せするんですよ。みかんが10円だとする。ということは、それを育てるコストも10円なのです。これは原価といいます。でもね、実際市場に出すときは、これを110円で売る。すると、100円の利益が出るわけです。」
 
学生B 「そうですね。」
 
先生 「いいですか?利益と損害はワンセットです。じゃあ、この100円の利益に見合う損害はどこにあると思いますか?」
 
学生A 「えっ?」
 
先生 「これはね、命に転嫁されていくのですよ。」
 
学生B 「え~~!」
 

先生 「例えば、日本は車を大量に生産しましたね。しかし、毎年のように交通事故者が出ている。にもかかわらず、今年は交通事故の死者は~人減りました、とかいって喜んでいます。でもね、車社会では人が確実に死んでいるということに目を向けるべきです。つまり、車社会では100%人が死ぬのです。死亡だけではありません。重度の傷害が発生する例は多いのですよ。」
 
学生A 「ってことは、車の儲けは、人の命に転嫁されているってことですか?」
 
先生 「そうです。人の命だけではありません。道路上の生き物もたくさん引き殺されています。車を走らせるために多くの自然環境が破壊されてきました。車のせいだけではありませんが、地球全体が温暖化によって沸騰状態にもなっていますからね。このように、利益に応じた損害はあらゆるところに転嫁されていっているのですよ。つまりね、確実に誰かが死ぬとわかっていて、なおも車社会を継続しているということは、そのための犠牲がでてもいいと考えているということです。これはね、未必の故意に基づく無差別殺人なのです。
 
学生B 「未必の故意?」
 
先生 「はい。誰かが確実に死ぬことはわかっているが、具体的にはそれが誰なのかわかっていない状態で行う殺人行為です。例えば爆破テロとかね。」
 
学生A 「なるほど。」
 
先生 「ええ。命は最も尊いものだ、とか言ってますけど、これも大ウソです。車とは一般の人たちが持つ凶器なのです。車で引きころすというのはね、これも一つのリンチなのです。交通ルールを破ったらひき殺されますからね。「ちゃんと線引き守らないと殺すぞ。」と言っているようなものなのです。そして、交通事故の責任は、基本的には運転手に与えられているのですよ。」
 
学生B 「運転手が悪いんじゃないんですか?」
 
先生 「いいえ。よく考えてください。車社会を動かした以上、100%人は死ぬんです。どう頑張ってもね。つまりね、本当の殺人者は、車を動かせば人がひき殺されるということがわかっているにもかかわらず、それにOKを出した人間、そして副次的には、途中でその社会を止めなかった者なのですよ。」

学生B 「え・・・。あ・・・。そうか。でも、どう考えても運転手が悪いんじゃないんですか?え~???」
 
学生A 「車があるから助かる命もあると思いますけど。」
 
先生 「ここが難しい所なんですよ。経済というのはね、世の中を駆け巡って人に生を与えることもあれば、世の中を駆け巡って人に死を与えることもあるということです。みんな、生の方ばかりに目が言って、なぜか死の方には目がいっていないように思うのです。それにね、死ぬはずだった人が生き続け、本当はもっと生きるはずだった人が死ぬ。つまり、本来の寿命分は損失といえるのではないでしょうか。」
 
学生A 「じゃあ、どうしてその世界を止めないんですか?」
 

先生 「理由はいろいろありますが、自然権をベースに考えると、それでも車を動かしたほうがいいと、我々が受け入れてしまっているからですね。ですから、犠牲者が出てもいいから、車社会の方がいいと言う人間が多いのです。多数者の意思が国の意思ですからね。今から車社会やめます、といっても大反対が起きるでしょう。まず間違いなく。」
 
学生A 「私たちはリゾート開発とか原子力発電所とか作ってないので、大丈夫ですよね?」
 
先生 「そんなことはありません。利益は巡り巡って自分達のところにやってくるのです。あなたのお父さんたちが給料をもらえたりするのも、どこかで何かが破壊された結果として浮かび上がる利益のおかげなのですよ。だから、私たちは多くの犠牲者のおかげでいきていられるのです。金持ちなんて全く尊くありません。我々にとって、この世界で最も尊いのは犠牲者なのです。」

先生 「まぁ、私も偉そうに言ってますが、私自身も巡り巡ってその恩恵を受けているわけです。だからね、こうして批判して、先生立派~と言われるかどうかはわかりませんが、それで、えへへ~なんて言っているのは馬鹿なんですけどね。私の考えも、その損害があってくれるおかげで考え出された考えなのですから、私自身も共犯です。」

学生B「・・・う・・・。重い・・・。重すぎる話だった・・・。今回の話は。」

(ちなみに、政治家が嘘つきなのは、国が嘘でできているから、嘘を供給しなければならないのです。政治家が正直になることは、未来永劫ないのであきらめてください。)


この章のまとめ
① 国民は、自分の信託を預けた国がたよりにならなければ、信託先を変更することがある。
② 国をダメにするのは行き過ぎた経済である。経済は利益と損害をワンセットで生じさせるもの。
③ 損害は利益に応じて配分されるのではなく、別のところに一挙に転嫁される。
④ 利益とは所詮嘘である。
⑤ したがって、利益を大量に獲得する金持ちなどは、大ウソつきであり、大泥棒である。
⑥ 損害が別のところに転嫁されることによって、多くの命が失われたり、傷つけられることがある。したがって、金持ちは大量殺戮者でもある。
⑦ しかし結局そういう社会を選び取ったのも、今の国民であろう。
行き過ぎた経済を止めなければ、地球が破壊されて行くのみ。やがては自分達を破壊することになる。利益に対応する損害は、自分達に降りかかることがあるからだし、今も一部の人たちには降りかかっている。

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