レジリエンス
学生の頃、自分は40歳まで生きればいいや、と、漠然と思っていた。
家庭は比較的厳しく、学力は低空飛行で優秀な姉と比較され、好きな人には振り向いてもらえず、何かと卑屈になっていた少女時代。未来に期待も希望も見出せなかった。
そんな私でも、ただただ運だけは良く、高校受験でも大学受験でも適度な第一志望校に合格でき、就職活動もさほど苦労せずして中堅商社に入社。能(脳)はなくとも体力と健康のおかげでバリバリと働き、今年で勤続二十数年となる。
そう、とうに40歳を超えてしまっている。
20代前半に結婚できたものの子供は授かれず、10年経てばいろいろとあって夫婦仲もうまくいかなくなっていた。「やっぱり人生40歳まででいいや」が見え隠れし、30代は悲観的なことばかり考えていた。
その頃、直属の上司が横領やらセクハラやら次々と問題を起こしては消えていき、行動規範とか教育を受けさせられるたびに、ダシャレの世界に身を投じているように感じた。
それでも上場企業の広報担当として、何とか業務を回さなければならなかった私だが、さすがに何かがプツンと切れてしまったに違いない。
上司が懲戒解雇になった直後、すぐさま新たな住処を探して仮面夫婦生活に決着をつけ、ものの2カ月で人生に大きな変化を起こした。
「人生40歳まででいい」と思っていた私が40歳で初めて一人暮らしを始め、通勤時間も2時間半かかっていたところが20分圏内となり、寝不足やイライラが激減した。もっとも、仕事が一番のストレス要因だから、仕事以外のことではできるだけストレスを抱えないように意識していたが、そうしているうちに「もう少し生きていたい」と思えるようになったのだ。
生きる気力を取り戻した私だったけれど、そののち、今度は直属の上司からのパワハラ被害に見舞われる。
精神的に苦しみ、またもや悲観的になりつつあったが40歳をとうに超えたいま、「40歳まででいいや」はもう通用しなくなった。
これまでそのフレーズは、まるで麻薬のように私の頭の中を支配していただけなのかもしれない。
パワハラから逃れた先は、当社のサステナビリティを主導していく部門だった。長い間、自分のサステナビリティさえ危うかったのに、事業の機会とリスクを抽出し、持続的成長に向けた取り組みを推進していくのが仕事だなんて、少し滑稽に思えたりする。
さらには、最近では従業員代表(労働者代表)に選ばれ、同僚たちからの相談ごとや私を頼りにしてくれる仕事が増えてきた。だだ、広報にいた頃の社畜のような忙しさとは違って、自分自身をコントロールできる忙しさだ。
きっと、こういう状態を世間では「充実している」と言うのだろう。
とはいえ、まだまだ大好きだった広報の仕事に後ろ髪を引かれる思いがあるけれど、願い通りにいかないのは、レジリエンスを鍛える時期なのだと自分に言い聞かせている。
社畜生活から脱却し、やりたかったことを実践している私は、このところ美容に目覚めてしまい、人生初の医療脱毛やまつ毛パーマの体験に感動しているところだ。
2023年上半期は、そんな自分の心身の変化をゆっくりと観察することができた。
引き続き、慌てずに、焦らずに、レジリエンスを高めていこうと思う。
人の心は、変えられない。
変えられるのは、自分の心。
自分はいつでも、変わることができるのだ。