不思議だったと思い出すこと
30年くらい前、ロシア語を学びに数ヶ月ウラジオストックという軍港街に滞在した事がある。
ソ連崩壊から10数年、物資も乏しく持参したスーツケースの半面はトイレットペーパーを敷き詰めるよう指示があった。
スーパーも個人商店が軒を連ねる商店街のようなものしかなく、品物もあったりなかったり。あおぞら市場でジャガイモを買い、炒めて食べたりしていた。
地続きに粗悪品を売りにくる中国人に間違われると危ない目に合うかもと、外出しないように学校の教員に言われた。
ラジオからはマイナス40℃の寒気団が…と聞こえてくる寒さ。天気も悪いし、外出も出来ない。食生活も悪いし、鬱鬱とし始めて孤独感が増していった。
ロシアの人はアメリカの人よりも日本人に馴染みやすいのではないか、が今も持つ感想である。日本に興味のある学生はみな素朴で丁寧で優しかった。
でも、寂しさを感じると際限なく、とうとうついに、お化けでもいいから出てくれないかと願ってしまった晩があった。
すると出た。
わあわあと騒ぎこえが聞こえ始め、目を覚ますとそこら中にバタバタ騒ぐ足音と騒ぎ声。ゆかと壁を縦横無尽に歩くような騒ぎっぷり。
滞在中一度もなかった騒ぎだ。
角部屋にいたわたしは、壁の向こうは外なのに足音や声が聞こえる側面や天井や床を見る事もできず、願ったからだと合点した。
願った手前、わたしは邪魔しないからあなたたちもわたしの邪魔をしないでと言う他無く寝ようと心に誓いそのまま眠ってしまった。
危険を感じる事がなかったからである。
わたしは所謂見えるタチではない。
場所や道や人のコンディションの嫌な気を察知するくらいだ。
あれから見えた事も聞こえた事も無いけれど、あの時は意識と思考が完全一致して具現化をおこす力を宿したのかもしれないと思う。
完全一致なんて、個人的には普段は稀なんだと思う。心から望む事と無理だおかしいなんだそれと一欠片も否定しないマインド。
それができるなら、人間は割と色々な事を引き寄せられるのかもしれない。