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自主性の育て方

「自主学習」というタイトルの印刷されたノートが家に置いてあった。息子が学校からもらってきたらしい。最初のページを開くと、細かく決められたルールが紙に印刷され、表紙の裏に貼ってある。毎週の提出を義務付けられているそうだ。詳しくは書かないが、「自主」と言いながら多くの「やくそく」を求められているあたり、自主性が発揮されるかどうかはかなり怪しい。自主性を強いる圧が強すぎて、多くの子供の自主性は出鼻をくじかれるのではないか。そのうえ、隅々まで徹底して学習意欲を削ぐような仕掛けが施されている。案の定、息子はノートに手をつけていない。

自主性を奪うものは何か、自主性を引き出すものは何か。見るからに、自主練への関連性が深い問いだ。

面白くもやっかいなのは、自主性を奪うのも、引き出すのも、「制約」だろうということだ。

どちらに転ぶにしても、制約を取り扱うことには違いない。目指すは、自主性を引き出すこと。自主学習ノートの例とは真逆の効果だ。制約を設けることで不自由を感じるのではなく、自由を感じてもらいたい。それによって自主性の扉をノックしたいのだ。そして、その自由は、他の誰でもなく自分のために開かれたスペースであると感じてもらうのが理想だろう。

いったい何から考え始めたらよいだろうか。

私は、自由リストをつくってはどうか、と考えた。


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