息子を応援するということ
JGヒロシです。息子のマルが小1でサッカーを始めたのをきっかけに、少年サッカーが身近なものになりました。
あれから2年と8ヶ月。マルはサッカーを続けていますし、その熱は冷めてはいません。
けれど、全身全霊をかけてサッカーに取り組んでいるかといえば、そんなこともありません。
もちろん一般的な小学4年生と比較していえば、十分サッカー好きでしょうし、Jリーグやプレミアリーグにも詳しい方かもしれません。ただ、寝ても覚めてもサッカーの上達に時間と労力を費やすようなサッカー狂いではありません。
そもそもそれくらいの塩梅でいいものなのかもしれません。性格は明るく育っていますし、優しい子です。さしたる問題もありません。
ただ、サッカーの話になると、工夫が必要なのかもしれないと考えさせられる状況があります。
4月に入ったばかりのチームは、地域では強豪と言われるチームで、マルは大抵の試合でスタメンではありません。トレマでもカップ戦でも後半からの出場がもっぱらです。U10なので、この時期、公式戦はまだ経験していませんが、このままの調子でいくと出場時間はかなり限られたものになりそうです。
マルのプレイには、大きな特徴があります。全体的に消極的なのです。フィールドに立つマルは、まるで借りてきた猫のようにプレイします。
消極性をどうするか。
これはサッカーだけでなく、マルの生活全般に言える課題でもあります。いかにも人生に影響しそうなこの大テーマ。
もしかしたらサッカーを通じて克服することになるかもしれない。
もしかしたら消極性の活かし方を見つけるかもしれない。
もしかしたら…。
親としては、いくつもの「もしかしたら」をバリエーション豊かに思い浮かべます。
希望の持てる情報があれば、漏れなくブックマークします。
ただ、サッカーをやるのは親ではありません。そこを履き違えるほど、スポーツ分野の成功が全てだと捉えているわけではありません。
親としては、好きなことに熱中する経験や、うまくいかない状況での精神的な経験、できないことへのチャレンジ精神、かけがえのない仲間たちとの出会い、期待しているのはそんなことです。
息子が自立して、仲間をつくり、社会の中で自分の役割を見つけてほしい。
過保護・過干渉にならないように、サポートの加減を夫婦で話し合いながら、子供時代にできる環境づくりや習慣づくりに対してサポートしようと思っています。
サッカーが全てではありません。しかし、サッカーに費やす時間と労力の大きさを思うと、人間的な成長を促すものとしての「サッカー」に期待してしまいます。
さて、今後どうしていくのか。どうなっていくのか。そんなことを綴っていくことにします。
今後書きたいテーマ
・サッカーでないものとしてサッカーする
・鬼ごっこだと思ってフィールドに立つ
・音で脳と身体を繋ぐ