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21.家族と外に出かける

ちょっと外行ってくる、も大変です。

2年前の夏までは、独りで外に出るのに苦労はあっても、独りで出かけられました。

コンビニのような広くない店、スーパーマーケットのような少し広めの店なら、なんとか歩けました。

量販店やショッピングモールのような広いお店ではぐいぐい歩けないけど、休み休みで歩いてました。
お店によっては無料の車いすがありお借りしてました。
美術館のような公共施設ではしっかり無料の車いすがあります。

しかし、完全車いすとなると、車いすの貸出がない店は入れません。
なので、車いすを購入しました。
入れる店は増えました。
とはいえ、お店の入口に数センチ以上の段差があると越えらません。
お店の中にも段差があると・・・
トイレも身障者向けがないと利用できません。
まだまだ、不都合が普通です。

自分の車いすですと、持ち帰りがあり、載せ降ろしがあります。
全身の筋力が弱くなっている自分には自力では困難です。

家族に助けてもらえるのでは、という声が聞こえてきそうです。

確かに、言われる気持ちもわかります。
自分もこの状況になるまでは、そう思ってました。

確かに、家族にお願いできます。
家族の力だけではすぐ限界を迎えます。
それ以上は精神論になります。
それでは続きません。

それは、家族、妻、息子に生活があります。自由があります。
目的、日程、時間が合わせられれば行けます。
合わせられなければ・・・
たとえ行けたとしても、その場での行動が自分の世話を意識せねばならず、自由なものとはいえません。
自由にできないでしょう。

家族だからと面倒みてもらうのは、自分としてはキツイ。

家族に助けてもらうのは純粋に嬉しい。
だけど、家族が自分を助けている姿を見たいのではないです。
家族が笑っている、喜んでいる、楽しんでいる、輝いてる姿を見たいんです。
介助してもらっていると、その姿が見れません。

家族で一緒に行動するときも、支援する仕組みがあれば嬉しいかも。

そこで、外出を支援してもらうサービスはできないものだろうか。
黒子のような存在の。
執事のような存在の。

ボランティアではなく、有償で。
有償であれば、いい意味で気兼ねなくサービスを利用でき、普通のものになりそう。
普通のものにするにはビジネスとして成り立つことと思う。
ボランティアでは気兼ねなく利用できない。

福祉としての助成をいただきつつも、利用者も対価を支払い、サービス提供側にも利益があって、持続性があるものでありたい。

では