ドラマで学ぶ中国史(南北朝時代/北周)
【今回のドラマ】
「独孤伽羅」「蘭陵王」は、ともに6世紀の北朝(北周と北斉)を舞台にしていて、同じ時代なもんだから、共通する歴史人物が登場して絡み合ってるから面白い。
「独孤伽羅」がおもいきり北周の物語。「蘭陵王」は北斉の物語だが北周の武帝宇文邕がヒロインと蘭陵王との三角関係になっていることから、かなり北周の事情がでてくる。どちらもおおまかには史実に乗っ取った設定になっているものの、それぞれに独自のフィクションを織り交ぜてくるので、何が本当で何が嘘かこんがらがってしまう。というわけで、史実とも比較して人物ごとに整理してみたい。各キャラ別に私的No1がどれかも語りたい。
独孤の娘3人が北周の皇帝、隋の開祖楊堅の妻、唐の開祖李淵の母なのが凄い。ヨーロッパでいうとハプスブルク家みたいな感じだ。
1.宇文邕(北周の第3代武帝)
【史実】
宇文邕は、北朝北周の第3代皇帝(武帝)。北周北斉では唯一教科書にでてくる皇帝で、廃仏(三武一宗の法難の一つ)と北朝統一が2大トピック。代々皇帝を上回る権勢を振るっていた宇文護を誅殺したことでも名をなした。
🔴「独孤伽羅〜皇后の願い〜」中の宇文邕
「独孤伽羅」の宇文邕は伽羅の初恋の相手という設定。
先帝が宇文毓であること、皇后が突厥出身の阿史那であること、宇文護に従順なフリをして油断させて誅殺すること、北斉を滅ぼして華北を統一すること、そして廃仏(三武一宗の法難の一つ)が、「独孤伽羅」「蘭陵王」ともに史実通り。こちらだけが取り上げている史実として、息子の贇の皇后が楊堅の娘の楊麗華であることとを行ったことまで盛り込まれているので、僅差でこっちに軍配を上げる。
「蘭陵王」中の宇文邕
「蘭陵王」での宇文邕は雪舞を巡って蘭陵王と三角関係を繰り広げる。
先帝が宇文毓であること、皇后が突厥出身の阿史那であること、宇文護に従順なフリをして油断させて誅殺すること、北斉を滅ぼして華北を統一すること、そして廃仏(三武一宗の法難の一つ)と、なかなか史実に沿っているのだが、「独孤伽羅」よりも詳しく史実を出しているのは、北斉を攻める際に突厥と同盟したところ。ほぼ「独孤伽羅」の宇文邕と同等までいい線いってる。
2.宇文護
【史実】
北魏末期の混乱の中で西魏を建国した宇文泰の甥で、宇文泰の死後に権力を継承した。宇文泰が構築した軍事力と政治的影響力を背景に、若い皇帝たちを傀儡にして権力を掌握した。まず孝閔帝(宇文覚)を擁立した後に廃位した。、次に擁立した明帝(宇文毓)を暗殺。最後にh武帝(宇文邕)の時に誅殺された。皇帝たちは実際には宇文護の支配下にあり、宰相のような立場で朝廷を動かした。周王朝の軍事・政治の両面で強力な権力を持ち、王朝内で事実上の独裁者だった。
皇帝を傀儡のように操る臣下という珍しい権力者。類似例でいうと、王蒙、董卓、曹操、司馬懿、楊堅と王朝の変わり目に現れる皇族外からの簒奪者は多いが、王朝の終焉でもない皇族のケースは珍しいのではなかろうか。後漢の霍光が王朝が変わらなかったキングメーカーだが皇族ではなく外戚。
🔴「独孤伽羅」中の宇文護
とんでもなく怪しい魅力を持つカリスマ悪役で、視聴者はめっちゃファンになる。ヒロインの独孤伽羅の姉、般若を心身ボロボロに傷つきながらも一途に愛する。朝廷内での強強ぶりと、般若に対する弱弱ぶりとがギャップになりすぎて観るものはやられちゃうんだろう。
史実エピソードとして出てくるのは、趙貴と独孤信のクーデター。
とんでもエピソードは、楊堅と独孤伽羅との間の娘であるはずの楊麗華を宇文護と般若の間の隠し子にしてしまってること。特に宇文邕に殺される時のエピソードがなかなか細かく忠実で、「酒の好きな太后を諌めるよう宇文邕から依頼され『酒誥』を太后に読んで聞かせている隙に背後から刺される」ところまで再現している。殺害時には60歳であるはずがあまりに若々しいところが無茶なのだが、あまりにも人気絶大でインパクトが強烈な、こちらを宇文護No1に認定せざるを得ない。
「蘭陵王」中の宇文護
年齢的にはしっくりくる初老の設定なところが説得力あるが、それ以外のエピソードが薄い。元々北斉が舞台のドラマにしてはがんばってるとはいえる。
3. 宇文毓(北周の第2代明帝)
【史実】
北周初代皇帝の宇文覚(孝閔帝)が宇文護によって廃位された後、第2代皇帝にされる。大冢宰の宇文護を太師、独孤信の長女を王后に立てる。寛大な性格で情け深く、度量が大きかった。親族を大切にし、弟の宇文邕とは特に仲が良かった。賢明で識見がある優れた君主であるのを懼れて宇文護に毒殺される。
🔴「独孤伽羅」中の宇文毓
独孤信の長女、般若が王后。般若がスーパーウーマンなので尻に敷かれまくり。宇文護からも蔑まれ、終始可哀そうな感じ。性格が優しいところ、弟の宇文邕と仲が良いところが史実っぽくて普通に良い。
「蘭陵王」中の宇文毓
第17話で宇文邕が宇文護を殺す前に恨み言をいうシーンで過去回想の中でちょっとだけ登場する。宇文護は宇文邕に宇文毓を毒殺するよう命じた。宇文毓は宇文邕のためにわざと毒を飲んだ。宇文毓は、娘の貞のことを宇文邕に頼んで死ぬというエピソード。史実では子の宇文貞は男で楊堅に殺される。
4. 尉遲迥(うっちけい)
【史実】
将軍。侯景の乱後の梁の混乱に乗じて蜀地方を平定した。後に楊堅の簒奪を阻止するために挙兵し、尉遅迥の乱を起こしたが、敗死した。
尉遅迥の孫娘を楊堅が寵愛したことを知ると、皇后はこの娘を密かに殺させた。楊堅は嘆き怒って、単騎で宮中を飛び出し、山谷の間に入った。
「独孤伽羅」中の尉遲迥
楊堅に対して反旗を翻すのは史実通りだが、悪者的な宇文贇と組んで、正義側の楊堅を貶めようとする嫌な奴として登場する。ちょい出なうえに悪者扱い。
🔴「蘭陵王」中の尉遲迥
「独孤伽羅」と打って変わり、男気にあふれた宇文邕の忠臣として登場。はっきりいってめっちゃ良いもん役。宇文護に陥れられて宇文邕自らが心で泣きながら殺されるという涙なしではみらない悲劇。史実と違いすぎるが、とってもカッコいい役だったのでこちらに軍配を上げる。
5.阿史那皇后
【史実】
突厥の木汗可汗(むかんかがん)の娘。木汗可汗が柔然を滅ぼした後、西魏の宇文泰は東魏と争うため木汗可汗の援助を借りた。娘は突厥を味方にしようとする北周の武帝(宇文邕)と武成帝(高湛)との間の争奪戦となったが、結局は宇文邕に嫁ぎ皇后となった。宣帝(宇文贇)の即位後は皇太后。静帝(宇文闡)時に太皇太后。美しくて宇文邕に寵愛されていたという説と醜くて疎んじられていたという説に分けれている。
北周北斉が突厥を味方にしようとして財宝を貢ぐ様子は、木汗可汗の後の他鉢可汗(たとぱるかがん)が「南に孝行息子が二人(北周・北斎のこと)も居る。貧乏になりようがない!」と喜んだという逸話が知られている。
🔴「独孤伽羅」中の阿史那皇后
突厥の木汗可汗が「阿史那大王」としてちょとだけ登場。柔然を倒して、北周と北斉を手下のように手玉に取り、トルコの祖となった突厥の王が登場するのは興奮するよ。
娘の阿史那皇后(アシナ公主)を北周と北斉で奪い合う様子が描かれてるのは◎。アシナ公主を北周に来るように説得する役が楊堅というトンデモ設定だが。
性悪女の独孤曼陀にのせられてヒロインの伽羅を苦しめる。ここではアシナ公主が宇文邕から疎んじられていた説の方に立っていて相当悪いもんの役。っていうか、宇文邕と独孤伽羅とがラブな設定だからそうせざるを得ないのだが。突厥がしっかり登場したのが嬉しいのでこちらに軍配を上げる。
「蘭陵王」中の阿史那皇后
「蘭陵王」の特別設定として蘭陵王王妃の天女(雪舞)が宇文邕と絡むことになっていて雪舞が北周に身を寄せている時に阿史那皇后が雪舞を殺そうとする。それで宇文邕から嫌われる。
史実っぽさを感じるのは、宇文邕から突厥王へ北斉を援護するよう手紙を書けと命じられてところくらいしかない。
6.楊堅(後の隋高祖)
【史実】
北周の宣帝の外戚として実権を有し、静帝(宇文闡)から禅譲を受けて帝位に就いて隋王朝を開いた。帝号は文帝、廟号は高祖。
静帝を含めて皇族の宇文氏一門を多数殺害していることから禅譲という名目でも実際には簒奪だと考えられる。
鮮卑の武人の家に生まれる。鮮卑名は普六茹那羅延(ふりくじょならえん)。父の楊忠が北周において随国王に封じられ、楊堅が随国王を継承。長女が北周の宣帝(宇文贇)の妃として嫁がせて外戚となる。宣帝が死去し7歳の静帝が即位すると楊堅は丞相として実権を握った。
楊堅の権力に反発した鮮卑尉遅部などの反乱が起こったが、楊堅は漢人有力者の協力の下、それらを抑えて政権独占を果たした。
北方では突厥を圧迫して東西分裂に追い込み、さらに南朝の陳に大攻勢をかけ、589年に滅ぼして約370年にわたった分裂時代(魏晋南北朝時代)を終わらせ、中国の統一を再現した。
🔴「独孤伽羅」中の楊堅
ヒロイン独孤伽羅のパートナー。父親の楊忠が西魏時代からの八柱国十二大将軍であり独孤信と友人であり、随国王に封じられ、楊堅が継いで「随」の漢字を「隋」に変更するとこ。
北斉を攻める時に大活躍するとこ。娘の楊麗華を宣帝に嫁がせるとこ。
独孤伽羅から一夫一妻を求められており、あまりの厳しさにグレかけるとこ。かなり多く史実に沿ったエピソードが出てくるのでマイNo1楊堅。
「蘭陵王」中の楊堅なぜかオープニングで謎の登場をする。天女の一族の長老から予言を聞くのだがなにゆえに楊堅なのかは謎だった。宇文邕が北斉を攻める時に将軍として活躍することだけが史実っぽい。
7.李淵(後の唐高祖)
【史実】
618年に唐を建国した高祖。南北朝の分裂時代を終わらせた隋が、煬帝の暴政によって短期間で瓦解した後、権力を奪った。
李氏はもともと鮮卑系で、西魏以来の八柱国将軍の家柄であった。隋を建国した楊堅(文帝)らと同じように、北魏の六鎮の一つであった武川鎮を拠点とした、鮮卑系軍人と漢人土着勢力の融合した関隴集団の一人であった。李淵は西魏の高級軍人である八柱国の李虎の孫であり、母も同じく八柱国独孤氏の娘で、北周明帝、隋文帝の皇后と姉妹であった。このように北周、隋、唐の王朝は関隴集団の密接な血縁関係にあった。つまり、李淵は鮮卑系であるといえるが、当時はすでに漢化が進んでおり、漢民族であると自覚されていた。
「独孤伽羅」中の李淵
北周のドラマに唐の高祖李淵が出てくるのが驚きだ。独孤信の3人娘は北周と隋の皇后だけではなく、唐の高祖の母でもあるというのがドラマチックすぎる。初めてこれ知ったら興奮する。ドラマの原題「独孤天下」は長女般若が北周皇后になることかと思いきや、ヒロイン加羅が隋高祖皇后になることかと思いきや、まさかの悪女キャラ次女曼陀が最期に唐高祖の母親だと判明してしまうのが興奮する。結局3人姉妹全員が天下だったという。
父親も史実通り李昞。李昞が曼陀を子供のように「よーよーよーよー」とあやす様子が好きすぎた。
8. 北斉年表
北斉で起こったエピソードを年表にして、各ドラマで扱っているものに印する。
534年 宇文泰が孝武帝の従兄を文帝として擁立し西魏を建て、北魏が二分
556年 宇文泰が死去
557年 宇文泰の息子、宇文覚(孝閔帝)が西魏の恭帝から禅譲を受けて天王位につき、北周を建てる。実権は従兄の宇文護が補佐の形で専横。反対派の重臣が結託して宇文護の暗殺を謀るが、事前に計画が漏洩し、孝閔帝や重臣らはことごとく殺害。宇文護は新たな天王として先君の兄の宇文毓(明帝)を擁立(独孤伽羅)
560年 宇文護が宇文毓(明帝)を殺害。先の2君の弟である宇文邕(武帝)を擁立。宇文邕は宇文護に警戒されることを恐れて無能な皇帝を演じる(独孤伽羅)
572年 宇文邕が宇文護を誅殺(独孤伽羅)
577年 武帝が北斉の首都の鄴を攻め落として北斉を滅ぼし、華北を43年ぶりに統一(独孤伽羅)
578年 武帝崩御。皇太子の宇文贇(宣帝)が新たに即位(独孤伽羅)
579年 宇文贇は皇太子の宇文闡(静帝)に譲位して、自らは天元皇帝と称す(独孤伽羅)
580年 宣帝は22歳で崩御。残されたのは8歳の静帝だけとなる。楊堅は兵権を掌握し、さらに隋王の称号を与えられる。(独孤伽羅)
581年 楊堅が静帝より禅譲を受けて隋を建て、北周は滅亡。(独孤伽羅)
9.北周の感想
宇文護以降はめっちゃ充実しているのだが、爾朱栄や宇文泰が登場するドラマがないのが残念。爾朱栄、宇文泰、高歓、そして宇宙大将軍の侯景あたりの時代はドラマにしたら面白いと思うのだが。どこかに存在してたら誰か教えてください。
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