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ドラマで学ぶ中国史(南北朝時代/北魏)

北魏は隋唐へと続く鮮卑拓跋国家が遊牧民の胡族から中華文化へと変身していく最初の国、仏教と道教が中国で初めて本格的に政治の表舞台にでてくる時代、としてめちゃめちゃ興奮する題材。

【今回のドラマ】

北魏馮太后
王女未央-BIOU-

文成文明皇后をヒロインにした二つのドラマ、「北魏馮太后」「王女未央-BIOU-」。
歴史教育教材じゃないかと疑うくらい硬派に史実エピソードを忠実に再現する「北魏馮太后」に対して、あまりに史実を無視しすぎで完全創作のロマンスドラマのような「王女未央-BIOU-」。
歴史を学ぶなら圧倒的に前者で、もはやドラマではなく教育と思えるくらい当時の政治社会の問題や政策にたっぷり入っていく。隋唐が鮮卑系統という説を前面に出した最近の書籍「中華を生んだ遊牧民 鮮卑拓跋の歴史」や「中華の崩壊と拡大(魏晋南北朝)」を読みながら「北魏馮太后」を味わうのがベストな楽しみ方(「中華を生んだ遊牧民 鮮卑拓跋の歴史」中では映画「北魏馮太后」にも触れていたりする)。史実が多い分硬派過ぎるのでエンタメとしてはキツイ。
単純にドラマ的な面白さを求めるなら圧倒的に「王女未央-BIOU-」。

1.太武帝(北魏第3代皇帝:拓跋燾)

【史実】
太武帝は、北朝北魏の第3代皇帝(拓跋燾)。南北朝時代を通して最も教科書にでてくる皇帝じゃないだろうか。華北統一、廃仏(三武一宗の法難の最初)、道教の国教化、国史事件が4大トピック。太武帝は最後は宗愛という名の宦官に殺された。
【エピソード1】華北統一(五胡十六国)
強力な鮮卑系武力を有し、さらに漢人官僚の力も取り入れて強力な国家を作り、華北を統一して五胡十六国の分裂時代に終止符を打った。最初に北魏の宿敵、オルドスを支配していた赫連氏の夏を滅ぼす(この時にさらってきたのが赫連勃勃の娘、赫連皇后)。次に馮氏の北燕を滅ぼす(北燕から投降してきた馮朗が馮太后の父)。そして匈奴沮渠部が建国した北涼を滅亡させたところで華北統一で五胡十六時代は終了。
【エピソード2】廃仏(三武一宗の法難の最初)
北朝北魏の初代皇帝、道武帝の時代から始まった道人統朝廷から任命されて教団を統率し宗教業務をつかさどる役職)の初代、法果が「道武帝は如来だから沙門(出家僧)は拝み奉るべし」と言い、北魏仏教に独特な「皇帝即如来」の思想となった。
世俗権力の頂点、「皇帝はお釈迦様だ」っていうんだから(本来の仏教の教えに対して)ものすげえ破壊力だよなー。世俗の名声・権力から離れようとした仏陀(ゴータマ・シッダールタ)には思いもしなかった展開だろうな。
西洋のキリスト教もそうだけど、道教といい、仏教といい、宗教というのは国家権力の深い結びつきがあるんですなあとつくづく思う。仏陀もそうだけど、老子なんて世俗の権力指向に最も反した思想だし、イエスだって反権力指向が強いからこそ虐殺されたわけで、教義が開祖たちの真逆の方向に向かっていくのは味わい深い。
そんなわけで仏教は武器は持ち始めるし、隠れて女遊びをしまくるわで、見るも無残に世俗化していき、激怒した太武帝が仏教に徹底的な弾圧を加えたというのが廃仏(三武一宗の法難の最初)と言われている。
【エピソード3】道教の国教化
少数の鮮卑族が多数の漢人を収めるために皇帝の権威付けを目論む太武帝と仏教を敵視する崔浩など漢人官僚、自らが興した道教を広めたい寇謙之との思惑が一致し、道教を国家として定めた。この動きも廃仏の背景になっている。
儒教では「漢人以外は天子になれない」とされているのが鮮卑の太武帝にはいまいちだったらしい。一方で寇謙之は、道教の神、太上老君(老子の神格化。。)から天師の位を授けられ、太上老君の子孫から、北方で地上を治める役の泰平真君(北魏太武帝)を補佐するよう啓示を受けたということで、自分を神扱いしてくれる。その言葉に乗って年号を「太平真君」とした。
道教も五斗米道(天師道)の頃は反権力・弱者救済だったはずなんだが、この時に天師道改め、新天師道として、権力べったりに変容したのですね。道壇に至って符籙(ふろく:神からの預言書)を受けさせるとか、儒教的な礼法儀式も入ってくる。
【エピソード4】国史事件
漢人官僚のなかで太武帝が一番信頼したのが崔浩という人物で、朝廷のあらゆる内政、とくに文化政策の責任者となり律令や暦の制定にあたり、さらに魏王朝の歴史を国史として編纂した。ところが国史に鮮卑の未開な時代の野蛮な事実をそのまま記してあったことが大問題となり、崔浩を殺した。

🔴「北魏馮太后」中の太武帝

「北魏馮太后」中の太武帝

鮮卑、というか匈奴から始まる歴史ドラマに出てくる遊牧民族は皆派手な顔周りに派手な装飾品をつけてくる。ドレッドヘアもお馴染みだが、本作の特徴はでっかいイアリング。男たちが皆くそでかいイアリングをしてくる。拓跋燾(太武帝)も同じく。なんとなく田舎者っぽい武骨でイカつい太武帝がでかいイアリングをしてくる。現代の我々がみて違和感があるので当時の漢民族からすると恐怖の的だったんじゃないかと思う。
華北統一、廃仏、国史事件、宗愛、史実エピソードが大体全部出てくる。道教の寇謙之が出てこなかったのが残念なくらいか。
基本的には名君扱いなのだが、国史事件の際に、崔浩に「都合の悪いことも遠慮せずに正直に書いてOK」と言っておきながら実際に書かれると「ぶっ殺す!」となる権力者のリアルっぽさが気持ちいい。

「王女未央-BIOU-」中の太武帝

「王女未央-BIOU-」中の太武帝

史実エピソードに沿っているのは宗愛に殺されたところぐらいか。廃仏、国史事件はまったく出てこない。崔浩も乙渾も出てこない。

2.馮太后

【史実】
北魏文成帝の皇后。文成文明皇后とも呼ばれる。
【エピソード1】北燕の皇族→父親誅殺→左昭儀の元へ
出自は、五胡十六国時代から南北朝時代初期にかけて遼東を支配した北燕の皇族。北燕は北魏により滅ぼされ、父親の馮朗は北魏に降って秦州・雍州刺史として重用されていた。しかし馮朗は罪を問われて誅殺され、身寄りをなくし幼かった馮太后は、北魏の太武帝の左昭儀(後宮における称号で皇后に次ぐ地位)だった叔母の馮氏に従って後宮入りした。
【エピソード2】文成帝の火葬時に火中に身投げ
後に皇后となるが、文成帝は若くして崩御し、彼女は悲しみのあまりに文成帝の遺体を火葬する際に火中に身投げしたが救出されて一命を取り止めた。
【エピソード3】献文帝と文成帝を補佐して垂簾政治
文成帝の跡を継いだ息子の献文帝の代には、義母として皇太后として補佐にあたった。しかし献文帝が成長するにつれて対立が生じ、皇太后は献文帝を脅迫して息子の拓跋宏(孝文帝)に譲位させた。太皇太后は抜群の政治手腕を見せた。同姓不婚・俸禄制・均田制・三長制・租調制など様々な政治改革を行ない、北魏の全盛期をもたらした。一方で丞相乙渾など政敵に対しても容赦なく処分し、謀反の目を事前に摘み取る切れ味も持っていた。

🔴「北魏馮太后」の馮太后

「北魏馮太后」の馮太后

どうでもいいことかもしれんが、眉毛の癖が強くて見慣れるまでかなり時間がかかった。
史実エピソードは、出自経緯から政治改革までほぼ全部網羅されている。父親の馮朗が誅殺されたこと、叔父が柔然に亡命してしまったこと、兄の馮熙が都の平城に戻ってきて将軍になったことなど家族のことは細かく沿っている。文成帝の遺体を火葬する際に火中に身投げするシーンまでちゃんとやっていて感動した。
このドラマが凄いのは、北魏の2大変態風習の「子貴母死」と「金人鋳造」まで真正面からテーマとして取り上げているところ。「子貴母死」とは「皇帝の嫡子が決まるとその生母を殺害する」制度で、つまり太后(皇帝の母親)になるはずの女性を先に殺しておくというもの。パッと聞くと「ちょっと何言ってるかわからない」というくらい狂った話だけど、外戚が権勢を振るうのを予防する目的を聞くとちょっと意味はわかる。でもいくらなんでも殺すのはメチャクチャすぎるだろと思いきや、何も北魏オリジナルなものでではなく、漢の武帝がやってたことだと。おー!確かに!そういえばそうだ。漢の武帝やってたわ!武帝が劉弗陵(後の昭帝)を皇太子に立てた時、生母の鉤弋夫人を殺した。理由は呂雉一族のような外戚の専横を未然に防ぐためだ。このグロテスクな「子貴母死」制度がストーリーの中でとても重要な位置づけとして扱われている。
「金人鋳造」は、皇后冊立などの重要な案件に際して候補者に銅の像を鋳いらせて吉凶を占うという風習。無事に像が完成すれば吉として事を進め、罅ひび割れたり直立しなかったりなどの不備がある場合は凶として事を取りやめる。これもパッと聞くと「ちょっと何言ってるかわからない」のだが、カメの甲羅に熱を加えて、生じたヒビの形状を見て占うみたいなもんかと思えば理解できる。このエキセントリックな「金人鋳造」がかなりに長尺かつ詳細にエピソードになっている。
でもこのドラマで最高に驚いたのは俸禄制・均田制・三長制などの政治改革についてのディープな取り上げ方。娯楽ドラマでここまで詳しくやらんでもと心配になるくらいに経緯と内容を丁寧に描いている。思わず「歴史教材か!」と叫ぶほどだった。俸禄制・均田制・三長制がすべて「貴族の横暴な中抜きから民と朝廷の収益を守る」という同根の目的だということがスッキリと理解できるようになっている。

「王女未央-BIOU-」の馮太后

「王女未央-BIOU-」の馮太后

思い切って史実を無視している。馮太后を「モデルにした」人物程度なんだろう。そもそもいきなり冒頭で本人は死んでしまい、成りすましという設定で始まっているので、最初から史実に合わせるつもりはまったくない。まず出身が北燕ではなく北涼。でも北魏が華北統一する時に最期に残ったのが北燕と北涼だったので、なんとなくギリギリ史実っぽくしてるところに良心が残ってる感じ。出自が全く別人なので、家族も設定も全然別人のファンタジーストーリー。

3.   文成帝(北魏第4代皇帝:拓跋濬)

【史実】
【エピソード1】馮太后を皇后に
馮淑儀(馮太后)を皇后にする
【エピソード2】父親は太武帝に病死に追いやられた拓跋晃
父親は太武帝の皇太子であった拓跋晃で、宦官の宗愛の讒言によって結果的に太武帝がショック病死に追いやった。
【エピソード3】曇曜と雲崗石窟を建立

太武帝の廃仏を止めて仏教を復興させる。曇曜の建言によって平城近郊の岩場に雲崗石窟を建立。

🔴「北魏馮太后」中の文成帝

「北魏馮太后」中の文成帝(中央)、曇曜(左)、馮淑儀(右)

何が興奮するって、映画全編に渡って頻繁に雲崗石窟が物語の舞台として登場することだ。曇曜が雲崗石窟を建てるシーンが出てくるだけで興奮するのに仏像のほくろのエピソードまで入ってくる。
珍しく設定が史実と違うのは父の拓跋晃の扱い。なんかよーわからんがこのドラマでは父ではなく敵のような設定になってた気がする。

「王女未央-BIOU-」中の文成帝

「王女未央-BIOU-」中の文成帝

ヒロインの相手役としてのロマンティックさは凄い。結構泣ける。父の拓跋晃の扱いだけは珍しくこっちの方が史実に近かった。

4.   孝文帝 (北魏第6代皇帝:拓跋宏)

【史実】
教科書では太武帝と並んで代表的な皇帝。鮮卑系国家(北魏→西魏→北周→隋→唐)の漢化を決定づけた功績で有名。
【エピソード1】都を平城から洛陽に遷都
南方の洛陽に遷都するという考えには鮮卑族の反対が強かった。文成帝は演義で南朝の斉を討つために江南に遠征すると騙し、群臣に南征をあきらめるかわりに洛陽遷都を選択させるという心理技を使った。
【エピソード2】徹底的な漢化政策
胡服、鮮卑語を禁止し、風俗習慣を漢人風に改め、胡族と漢族の通婚が奨励。鮮卑の名前も漢風に改められた。「拓跋→元」(皇族が拓跋から元になる)「普六茹→楊」(隋の文帝楊堅の本名は普六茹那羅延(ふりくじょならえん))、「大野→李」(唐の皇族李氏は元々大野。異説有り)。
【エピソード3】洛陽の郊外の竜門に石窟寺院
仏教が隆盛し、都洛陽の郊外の竜門に石窟寺院が建造された。

🔴「北魏馮太后」中の孝文帝

「北魏馮太后」中の孝文帝

竜門石窟寺院以外は極めて史実を再現。洛陽遷都と漢化政策もかなり長い尺で詳細に描かれる。

5.  北魏エピソード年表

北魏で起こったエピソードを年表にして、各ドラマで扱っているものに印する。

386年 拓跋珪(道武帝)が北魏を建国
436年 拓跋燾(太武帝)が馮氏の北燕を滅ぼす
439年 匈奴沮渠部が建国した北涼を滅ぼして華北を統一
442年 道教を国教とし年号を「太平真君」とする
446年 廃仏(「三武一宗の廃仏」の最初)(北魏馮太后)
450年 大軍を率いて南征(北魏馮太后)
崔浩が国史編纂において鮮卑族を怒らせて誅殺(国史事件)(北魏馮太后)

451年 皇太子の拓跋晃が讒言ショックで病没
452年 宗愛によって太武帝が殺害される(北魏馮太后)
    
 宗愛が南安王拓跋余を擁立後数か月で殺害。
       宗愛が誅殺され、拓跋濬(文成帝)が即位(北魏馮太后)
456年 文成帝死去(北魏馮太后)
465年 拓跋弘(献文帝)即位(北魏馮太后)
471年 拓跋宏(孝文帝)即位(北魏馮太后)
490年 馮太后死去(北魏馮太后)
493年 都を平城からに洛陽に遷都(北魏馮太后)
499年 孝文帝死去
523年 漢化施策に反抗して六鎮の乱
534年 東西に分裂

6.北魏の感想

「北魏馮太后」の史実っぷりには興奮した。主要人物だけではなく「子貴母死」「金人鋳造」の北魏風習まで真正面からじっくりテーマとして描かれる。孝文帝の時代では教科書にでてくるお堅い政治テーマ「班禄制」「三長制」「均田制」が社会的な問題の背景まで含めてじっくり説明される。
そのわりにはなんと伝説の女剣士ムーランがけっこうな重要な役割として出てくる。あまりに教科書的で華に欠けると思って加えたのかもしれない。
道教の寇謙之が出てこなかったのが残念。六鎮の乱、爾朱栄、霊太后の黄河沈めも見たい。
それでも北魏でここまでドラマが充実しているのは嬉しいことなんだろう。一番好きな五胡十六国時代のドラマなんか一つもない。民族融和を謳いあげたロマンチスト胡族英雄の系譜、劉淵~石勒~苻堅を主人公に怪人仏図澄、鳩摩羅什とか絡ませてくれれば最高に興奮するんだけど。


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