ふわふわ浮かんでろ(双極性障害の私)<20>ところでタイトルの由来は。
私には、文章の師匠がいます。ずっと、そう、いまでも小説を書くことを生業にするのは、大きな夢なのですが、その夢をずっと見守ってくださっている師匠が東京にいます。時代小説作家をされています。
その師匠には、長らくご迷惑ばかりかけていました。私がフリーランスのライターだったころ、彼のもとで何度も仕事ができなくなりました。またプライベートでも、さまざまな迷惑をおかけしました。
32歳で、故郷に戻ってからも、師匠には、連絡をとっています。ごくたまにですが、メールでやりとりしています。私の鬱が酷いとき、師匠には、いつもこんなことを言われていました。
「馬鹿なんだから、考えるな」
「雲みたいに、ふわふわ浮かんでろ」
最初は、こんな言葉に困惑もしましたし、ショックでもありました。そうか、私は馬鹿なんだ、と激しく落ち込んだりもしました。鬱のときは、地下深く潜り込んでいるような状態ですから、雲だなんて、そんなはるか彼方にあるものになれるわけはないと思っていました。 症状が落ち着いてから、そうか、そういうことだったのか、とわかったことがたくさんあります。師匠からのお言葉もそうで、なんてお優しい言葉だったんだろう、と今は思えますし、その温かさに、改めて感謝しています。
そうなんです。鬱が酷いとき、考えてはいけないんです。だって、どうせろくなことは考えないんですから。もちろん、人間ですから、思考を止めることは不可能です。ぼーっとしているときだって、人間は無にはなれない。私は、マインドフルネスを試みては失敗してきたタイプなので、「何も考えない」というのは無理なんです。始終何か考えてしまう。
最近思うのは、考えるのではなく、感じてみたらどうか、ということ。考えている自分を客観視して感じてみるとか。それが難しいなら(鬱のときは実際、難しいと思います)、感じることをメインにしてみる。五感を大切にしようとしてみるという方法がいいのではないかと思います。気温、匂い、触感、味覚、聞くこと、見ること。そういうことに集中してみるんです。
そして、これが肝心だと思うのですが、「気持ちいい」と思えるものを探すといいと思います。これも難しいんですよね。だって、気持ちよさを何かに感じられるということは、鬱がかなりよくなっている状態なんです。鬱真っ最中には、気持ちよさを感じることができません。たとえ、本来なら気持ちのいいことにさえ、です。
冬が終わって春が来たあたりから、鬱期を脱して、気持ちよく過ごせるようになってきました。一時は、毎朝作る珈琲の香りもしなくなっていたことを思えば、ベランダに出ては春(もう晩春ですが)を感じ、風を感じ、鳥の声に癒されるようになってきたことが、たまらなく嬉しいです。
ほんと、馬鹿なんだから考えるの、やめてます。あ、馬鹿なんだから、というのは自分を卑下しているわけではなくて、等身大の自分を認めようと思っているわけです。考えずに感じて、止まらずに動き続けて、ふわふわ雲に浮かびながら、生きることを楽しんでいきたいと思います。
やっとこのマガジンのタイトルの由来を書くことができました。読んでくださってありがとうございます。これからもよろしくお願いいたします。