![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/110422984/rectangle_large_type_2_da8e2e039abe5ac1abb1d155bbd1bcc7.png?width=1200)
虹の橋を渡った子と生きる。<2>両立させないと悲しむだろうから。
愛犬のまーが旅立って、4週間が経った月曜日です。動物病院で、獣医さん、ナースさん、そして私のところで、とても静かな旅立ちでした。「苦しんではいないですよ。眠ろうとしているだけです」と獣医さんに言っていただいたことと、まーの最期の表情は、きっと一生忘れないと思います。
最後の数カ月、月曜日は、まーを動物病院に連れていって、注射と点滴をしていただく日でもあったので、どう過ごしたらいいのか、まだ考えあぐねてしまいます。日曜日と月曜日が私のお休みなので、火曜日からの勤務に向けて、したいこと、しておいたほうがいいことは、いつもたくさんあるのですが、そして、それらをひとつひとつやっていくことが、気晴らしにもなるのですが、気晴らしはやっぱり気晴らしで、その言葉の裏には、「晴らしたい何か」が、錘のようにあるのです。
まーのお骨のところと、私のリビングと、両方にお花を生けることが、月曜日の習慣になっていて、今日もさっき買ってきて生けました。小雨の朝で、お店まで歩いていきました。いつもなら、歩いてどこかに出かけるときは、iPhoneで音楽を聴きながらなのですが、今日はなんだか音楽を聴く気になれなくて、というか、静かな気持ちで歩きたくて、iPhoneを持たずに出かけました。
道すがら、まーのことばかり考えていました。ひとつは「重いなあ」ということ。17年間、ひとりと一匹で暮らしてきたので、まーが旅立ったことに対する私の思いを、同じ重さで感じてくれる人はいません。たくさんの友人たちに励ましてもらったり、気持ちに寄り添ってもらったりしていることには、本当に感謝しているのですが、でも、この重みが減ることはないのです。
「重いよう」と声に出しそうなくらいに感じながら、同時に、この重みは私だけのものだから大切にしよう、とも思いました。だから、軽くしようとか、無くそうとかは、絶対思わないようにしよう、と。
私がまーのことを想わなくなったら、まーとの日々が消えてしまいそうにすら思います。ひとつの命が消えたのです。大切な大切な命が。だから、いつまでもその命のことを想いながら、しっかりと生きていかなければならないのです。
私たちは小さいころから、「両立」の大切さをよく言われて大きくなってきましたよね。部活と勉強の両立とか。家庭と仕事の両立とか。これからの私は、まーを愛しむことと、自分の人生を生きることの両立が課題なのだといま思いました。
まー、お母さんは、まーのことをずっと想って生きていくよ。そして、一所懸命、生きていくよ。だから、見ててね。まだまだめそめそしているお母さんだけど、そんなお母さんのことも見ててね。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/110420854/picture_pc_017ee6162c39f649acc4fafac074caaa.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/110420874/picture_pc_2e9de700ec54aea321e4d9a933827992.jpg?width=1200)