![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/160735791/rectangle_large_type_2_4aa2e259b14b2dfb36740ce79b5320dd.png?width=1200)
日本人の私が語学留学なしで英会話を習得した方法
今日も一日お疲れ様です、おうちOLです(`∀’)ノ
普段はゆるい外資系旅行会社にてフルリモートで働いています、アラフォーOLです。自己紹介はこちら👇
今では毎日使っている英語という私のツール。私が英語に興味を持った瞬間というものは、明確に覚えていませんが、小学校6年生の頃に叔父の婚約者(今の叔母に)出会った事がきっかけではあったと思います。今回は叔母との出会いから、今に至るまで私がどのように英語と付き合ってきたかの昔話にお付き合いくださいませ(、._. )、
叔母の影響と私が英語に興味を持った理由
私の母方の叔父は、私が幼い頃からよく遊んでくれたり面倒を見てくれたりしていたのですが、当時の一般的な物差しで考えるとかなり変わった人だったんだろうな、と思います。今の時代とは違って海外旅行が物珍しかった時代、叔父はアジア諸国一人旅をしていました。私はそんな一風変わった叔父が大好きで、東京で会社員をしていた彼が遊びにくるときは、いつも楽しみにしていたことを今でもよく覚えています。
叔母とは中国を鉄道で旅をしていた際に会ったそうですが、そんな叔父が選んだ結婚相手ですから、叔母もかなり変わっていて(褒めてます) 、小学6年生だった私ですが、叔母の朗らかさの影響や、当時は見たこともなかったタイやインドの料理を我が家で作ってくれたりで、すぐに打ち解けることができました。
叔母は、今で言う帰国子女でした。ご両親の仕事の都合で、幼少期は外国を転々とし、一番長く過ごした国はアメリカということで、自然な英語を身につけられたことを含め、彼女から聞いたエピソードはどれも当時英語教育が始まる前の私にとって刺激的でした。
私は当時シンクロナイズドスイミングをしていたこともあり、海外遠征へ行った先輩から外国のお土産を頂いたり、海外から絵葉書が届いたりして、漠然と私も海外に行ってみたいなあ〜という気持ちが芽生え始めていました。
叔母に出会ったのはちょうどその頃。
私の中で、英語ができれば憧れの外国へ行ける!という単純な気持ちで、英語への興味が向いたのでした。そして、私は中学生になり、初めての英語教育が始まったのです。
純粋に英語に触れることを楽しむ中学高校時代
私の中学校は公立でしたので、当時の一般的な英語教育を受けてきました。
それでも私にとっては十分で、毎回の英語の授業が楽しくて仕方がなかったです。当時どこで情報を拾ったか全く覚えていませんが、ペンパルという制度のようなものを見つけ、アメリカの女の子と文通を始めました。
(今でも名前を覚えています。Meganでした)
私の拙い中学英語でも、Meganと文通することはすごく楽しくて、毎月手紙が届くことが楽しみでした。
そんな中、ありがたいことに自分もシンクロの遠征で中学1年生の終わり頃、アメリカはロサンゼルスへ行くことになったのです。
2週間ぐらいの遠征だった気がします。全てが初めての経験で行く前からビビり倒してましたが、日本人は自分一人ではなかったので乗り切れた感じです。現地の選手とのコミュニケーションなんて当時の私にはハードルが高過ぎ!何せ私にはハローとサンキュー、マイネームイズぐらいしか出てくる言葉がないのです(笑) 相手が何を言ってるか全く意味不明でした。
それでも初めて吸う外国の空気と、初めて見る海外の雰囲気。多民族国家のアメリカならではの多種多様な人種が生活している様子を見る事ができ、日本とは正反対の世界を感じ、とても刺激を受けました。帰国後、英語の勉強に益々やる気が出たことを覚えています。
そこで、先述の叔母に「私も英語を話せるようになりたい!」と相談したところ、このようなアドバイスをくれたのです。
「洋楽を聞いて歌えるようにするといいよ」
今で言うディクテーションの代わりともなる勉強法じゃないかと思うのですが、私はすぐに試しました。叔母がお勧めするビートルズを皮切りに、ラジオで聞いて自分が好きになった洋楽のCDを借りてきたり等ひたすら1曲ずつ何度も繰り返して歌えるようにしました。(音程は気にせず笑)
叔母が言うには、歌を真似ることで発音が強化されるし、どのように単語が聞こえるか(リエゾン等含む)と言うことがわかるとリスニングも強化されるとのこと。
私は歌うことが好きだったこともあり、好きだと思う曲は手当たり次第トライ。当時流行っていたDestiny's Child(ビヨンセがいました)を完璧に歌えるようにしたい!と部屋に篭って練習していたな〜笑
高校に入ってもこの歌の習慣を続けていました。その他は大学受験のための教科書参考書英語をひたすら勉強。これと言って特別な英語教育を受けたわけでもなく、英会話教室に行くこともなく、大学に進学しました。
計画が狂った大学時代
高校生の頃は「大学に入ってバリバリ英語を勉強して、英語圏に留学するんだ!」なんて考えていた私。しかし大学二年時に、とあるキッカケから全く予想していなかったドイツに短期留学することになりました。
その詳しいお話はこちらで👇
ドイツには語学を勉強しに行ったわけでは無いですが、英語も使っていたので少なからず英語を使うことに抵抗感がなくなったと思います。
帰国後はドイツ語もかじりましたが、英語を使う機会は減らさないようにしようと国際交流サークルのようなものに参加したりしていました。
教授(海外講師)と話す機会には参加したり、留学生との交流にはなるべく関わるようにして、英語を話す機会を積極的に作っていたと思います。
ザ・勉強ということはしていなかったので、テスト(特に文法)の結果なんぞは中の下って感じでした(笑) しかし、自分が間違っていようが英語を話し続けることをした結果、いつの間にか自分の脳内で日本語を英語に変換して発話するという流れが短くなっていることに気がつきました。
この辺りから、日常英会話はそこまで苦ではなくなっていた気がします。
仕事で使うことで格段に伸びた英会話力
大学卒業後は紆余曲折あり、職を転々としていたものの、どこの会社でも英語を使う仕事に就いてきました。
とりわけ自分の英語力、特に会話力が伸びたのはホステルで働いていたからだと思います。日々95%ぐらい外国人のお客様相手に接客をし、英語ネイティブのみならず、他国の人たちが話す多種多様な英語に触れてきたことが一番勉強になったと言えます。
毎日英語を使わなければいけない環境で、読み書き、会話、リスニングとバランスの良い勉強を働きながらできるという意味でホステルでの勤務は一石二鳥以上にとても役立ちました。
特にスクールに通ったり、語学留学をせずとも英語を身につける事ができたことは自分の中で自信に繋がりましたし、経済的にも助かりました。
もちろん、ホステルで働いていると、毎日同じような文言しかつかわなくなります。(チェックイン&アウトとか、予約受付、変更とか)
この文言を意識的に違う言い回しで対応したり、ネイティブの人が使っている言い回しをメモして実際使ってみたりなど工夫をしてみました。
また、従業員にも外国人が居たので、お昼休みに世間話をしたりなど、違う単語や言い回しをアウトプットする機会を作ってみたり。
こういったホステルでの日々が、チリも積もると言いますか、国内留学とも言えるような環境に浸かる事ができたのだと思います。
私の場合は、この経験を英語の土台とし、転職するごとに英語レベルをステップアップしてきて今の外資系企業で勤務しています。
今はYoutubeやpodcastなどディクテーションもやり放題ですし、オンライン英会話までできちゃう時代。凄いですよね!
ある程度の土台を作るために勉強は必要だと思いますが、もはや留学や語学学校に通わずとも英会話を習得することは可能と言える時代に突入していると言えるんじゃないでしょうか。
(もちろん語学留学が反対というわけでは無いです)
でも莫大な金額投資をせずとも、現代は英語/英会話を勉強する方法がいくらでもあるので、自分に合った方法をトライ&エラーしていく事が一番の近道だなと思います。なんでもそうですが、勉強は1日にして成らずなのに、忘れるのは一瞬なので、日々私も英語を忘れないように工夫の毎日です。
この私の昔話を最後まで読んでくれた方の中で、これから英語を勉強したいとか、勉強に悩んでいるという方へ少しでも「お!試してみよう!」という事があったら嬉しいです^^
私の変なキャリアについてこちらにまとめてます👇
それでは、また!